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囲碁殿堂資料館(東京都千代田区・市ヶ谷駅)
国内における囲碁の協会である日本棋院。各地にある施設では誰もが利用して囲碁の対局に勤しむことができる。市ヶ谷駅から歩いてすぐ近くにある東京本院の地下には囲碁殿堂資料館があり、囲碁の歴史を知ることができる。施設を利用しなくても見学が可能。
囲碁はもともと中国ではじまったものとされる。占星術の一環から変化して現在の形になったと推測されている。実際に中国の歴代皇帝の墓では碁盤の断片が発見されていたり、書物でも囲碁に関する記述が残っているという。当時は博弈という名前だった。三国志でも曹操や関羽が囲碁を嗜んだ記述が残されている。
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7世紀にはすでに日本国内にも入ってきていることがわかっており、他にも『古事記』の表記に「碁」の用字があることから伝わっていたことが推測されている。中世には源頼朝や真田昌幸が碁を愉しんだ記録が残されている。その中で名人として本因坊算砂が名を成しており、織田信長も算砂の妙技を讃えたという伝承が残っている。豊臣秀吉や徳川家康は実際に碁を好み、特に徳川家康は囲碁の発展に寄与することになる家元制や碁所の設立をおこなっている。家元四家としては本因坊算砂の本因坊家、井上因碩の井上家の他に安井算哲(渋川春海)で知られる安井家や林家が立てられ、江戸時代を中心に発展したという。
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幕府の崩壊により、これらの家元は窮地に陥るものの、村瀬秀甫たちの働きによって盛況を取り戻すことに。けれど決して順風満帆ではなく、各家でそれぞれの団体を起こすことで混迷、関東大震災の後に棋士やファンたちが一丸となったことによって、現在につながる日本棋院となったという。
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館内では殿堂とされている歴代の人物の紹介がある他、名人が実際に使用していた碁盤などが展示されており、歴史を知りながら興味を持つきっかけにもなる。トイレはウォシュレット式。なお、囲碁と並び楽しまれている将棋は東京では千駄ヶ谷に会館があるものの、ミュージアム施設としては東京にはなく、山形県の天童にある。ちょっと遠い。
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