東京都水道歴史館(東京都文京区・水道橋駅)
気兼ねなく使っている水道は、人間にとってなくてはならないインフラ設備の一つである。ある意味、電気やガスよりも重要な生命のライフラインでもある水道。この東京都水道歴史館では東京都の担ってきた水道の歴史についてを紹介している。
水道を扱う博物館としてはお台場エリアにある水の科学館が著名なところだったので、文京区にこんな歴史館があったのか、と意外だったのだけれど実は30年以上の歴史をもっている博物館。よく考えてみれば場所も水道橋駅の近くで、まさに水道の歴史を語るのにふさわしい立地と言える。
入口ではマスコットキャラの水滴くんがお出迎え。なんとも形容のし難いキャラクタを素通りしながら階段を上って2階へ。2階建てになっている展示室はまず2階からが順路となっている。最初は江戸時代の水道についての案内。実際のところ江戸時代は水道設備が世界でも類を見ないレベルで張り巡らされていた。水が豊富な国ならではといったところだろうか。江戸時代の水道の記録である『上水記』を紹介している。
江戸の街を支えた水道はその多くが神田上水と玉川上水からのもの。江戸の人口増加に伴って水の供給が急務となり、神田上水は大久保主水(濁らないように「もんと」)によって作られた。玉川上水は農民だった庄右衛門・清右衛門の玉川兄弟によって開削されたもの。羽村から四谷までを開削するという膨大な計画で、予算が足りなくなった兄弟は田畑を売って費用にあてたという。
上下水道と完備されている江戸時代の水道設備は維持管理も当然ながら必要で、これらは水道代として年貢などに含まれていたのだという。この頃からしっかりとしていたことがわかる。館内には水道がどういう造りだったのかを含めた当時の江戸の暮らしが原寸大で展示されている。
1階に降りると今度は明治以降の水道についてを紹介している。江戸時代より敷設されていた水道設備だったものの、コレラの流行によって水質改善が急務となった。ここから近代水道への必要性が生じ、オランダ人技師ドールンやスコットランド技師バルトンらの意見を取り入れて西洋の水道技術が取り込まれることになった。これまでの木樋や石樋から金属製の管へと変わり、また浄水施設も作られることになる。
近代水道の父と呼ばれる中島鋭治の調査によって設計を精査、西新宿の淀橋浄水場が建設された。現在は超高層ビルが立ち並ぶエリアにはかつて巨大な浄水場があったと思うと胸が躍る。初期は給水普及宣伝の歌謡曲が作られたり、割とのんびりなことをしている時代だった。
トイレは洋式。屋外では中島鋭治の邸宅にあった井戸や神田上水の石樋などが見られる他、本郷給水所の屋上に造成されている公苑があって散歩するのもまた良い。意外と隠れた穴場スポットかもしれない。