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自由学園明日館(東京都豊島区・池袋駅)
池袋西口をしばらく南下すると住宅街の中に唐突に出てくる校舎が自由学園明日館。羽仁もと子と吉一の夫妻が創立した自由学園の校舎として100年以上前に建設された。もともとクリスチャン同士で面識があった建築家の遠藤新に設計依頼をしたが、遠藤がさらにふさわしい人物として師匠のフランク・ロイド・ライトに依頼したことによって、現在にいたるまでの建築物となった。
現在は校舎としては使われていないものの結婚式場や講座の教室として利用されている。ライトによる建築で現存するものは非常に少ないため月に1回だけ内部を見学できる日を設けている。
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受付でチケットを購入してまずは東教室から入る。ライトの建築物というのもあって重要文化財に指定されることになり、認定前に行った保存修理工事で校舎は再建されたが、この東教室には修繕前のものが残っていたりする。
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校舎内でなんと言っても印象的なのは中央ホールの窓。幾何学模様が配された窓枠が独創的で、2階まで吹き抜けになっており開放感のある造りになっている。壁には生徒たちによって10周年の際に描かれた聖書の『出エジプト記』に関する壁画がある。
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階段を上がったところには、現在はカフェとして利用されている食堂。全校生徒がここで食事を作り食べていたそう。結婚式で使用される際もここが会食の場となる。天井の明かりやマントルピース、窓の形の他に椅子も特徴的な形をしている。
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さらに階段を上がれば先ほどの中央ホールと繋がっている2階へ出る。現在は自由学園で行われていた授業の紹介や、創業者の理念、ロイドの建築のこだわりについて紹介されている。学校機能としては13年のみでその後は東久留米に学校機能を移しているが、それまではこの校舎が女生徒たちの生活の基盤だった。2階から1階の中央ホールを見下ろすこともできてそれもまた壮観。
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階段を降りて食堂、さらに降りて中央ホール、もう一つ階段を降りれば地下階へ繋がっている。現在は使用されていないがここにかつて厨房があったらしい。トイレもある。ウォシュレット式。
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西校舎へ進むと記念室となっている。この教室が最初の入学式が行われた部屋。26人から始まった入学式は建物がまだ仕上がっていない中で行われたという。当時ライトは帝国ホテルの建築などで日本における建築の基礎を築いていた人物だったが、明日館の建設途中で帝国ホテルを解雇されてしまい、中央棟と西教室のみ仕上げた段階で帰国、残りの東教室と講堂は共同設計していた遠藤新の単独によって手掛けられた。
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中央ホールと東教室の間にある講義室では企画展として星燈社のデザイン作品を展示販売している。かわいいデザインで思わず購入。西教室の間にも講義室があり、こちらはワークショップ講座が開催されていた。
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本校舎と道を挟んだ向かい側には2階建の講堂がある。なんといってもトイレに注目で、現在は使用されていないものの洋式で、紐を引っ張って天井側の水槽から水を流すという水洗式。『ゴッドファーザー』の冒頭でアル・パチーノがピストルを隠していた水槽、といえばイメージしやすいかもしれない(しにくい)。興味深いのがトイレットペーパーの位置。当時は洋式が浸透しておらず、現在とは逆向きに用を足すことを想定して取り付けられている。ドアーに背中を向ける形である。非常に興味深い。小用トイレもある。
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講堂では時間によって建築解説が行われている。今回たまたまちょうど良い時間に遭遇したので拝聴、ここに記した情報はほとんどがその解説を見聞きしたもの。
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明日館の左右対称で軒が低く地を這うような建築洋式は平等院鳳凰堂を彷彿とさせる。これは実際にシカゴ博覧会の日本館で平等院を模した建築展示があり、ライトがそれを参考にしていることがわかっている。ちなみにライトの建築は「雨漏りライト」と呼ばれるくらいに所々の劣化が激しく老朽化が著しかった。重要文化財の認定を受けてしまうと修理ができなくなるため、認定前に保存修理工事を実施して現在はインフラも含めて充実している。なるべく残っていた部材を使用して再建をおこなっているが、竣工当時のカラー写真がなく、実際に校舎がどんな色をしていたのかがわからなかったらしい。証言と残っていた生徒の水彩画を参考にしたというのが面白い。歴史的な建造物というのは案外そういうものがあるかもしれない。
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