荒川ふるさと文化館(東京都荒川区・南千住駅)
初めて訪れた南千住の地。なかなかセンシティヴな街だという話をその地に住む友人から聞いていたので少し気合を入れながら降り立ったのだけれけど、覚悟していたよりは特に波風なく、でも路上喫煙率が他の街よりは多い気もする。気のせいかもしれない。
東京23区にはそれぞれに郷土博物館機能を有しているミュージアムがあるのだけれど、それぞれ色々な名称だったりしてわからなかったりする。こちらは荒川区にある郷土博物館として荒川区の歴史や文化を紹介している。
郷土博物館ではおなじみの土器や板碑などが紹介される他、すぐ近くにある千住大橋についても紹介されている。隅田川にかかる足立区と荒川区を繋ぐ橋で、もともとは渡し場だったのを徳川家康の江戸入府のタイミングで架けられて以来、江戸時代を通じて崩落することもなく街道をつないできた(明治になって一度だけ洪水で流れる)。これは小塚原という地が近かったことから小塚原橋とも呼ばれていたが、この小塚原というのは刑場のこと。江戸には鈴ヶ森と小塚原の二つの刑場があった。小塚原では鼠小僧次郎吉や幕末では吉田松陰、橋本左内といった人物が処刑されている。
江戸時代には真先銭座という鋳銭工場が浅草から移転してきたことから工場の町としての下地ができて以降、明治時代に入ってからは官営工場の「千住製絨所」ができたのを皮切りに羊毛・毛織物の工場が多く立ち並び、ラシャ製造の町として発展したのだという。そういった工場や職人が多く育った町という一面がある。企画展ではこれら荒川区の産んだ職人たちの作った作品が工芸品として展示されている。
隣接するギャラリーでは荒川区の伝統工芸に的を絞って、職人たちの作った作品を展示している。訪れた時には若手職人の作品を中心に展示していた。ほとんどが親子伝承のものだったのが印象的。図らずとも一子相伝になってしまっている文化なのだとしたら、もっと盛り上げる爆発的なきっかけが欲しいもの。
展示室は昭和の下町風景の原寸大展示があったり、意外にも松尾芭蕉がここでも推されていたりしている。江東区がメインかと思いきや、奥の細道で弟子たちに別れを告げて旅立ったのはこの地なのだという。トイレは和式と洋式。