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鎌倉文学館(神奈川県鎌倉市・由比ヶ浜駅)

鎌倉文学館は江ノ島電鉄いわゆる江ノ電の由比ヶ浜駅から長谷寺方面へと進む途中の「文学館入口」という交差点を目印にして山の方へ進んだ先にある。意外にも行き先の看板などはほとんどないため迷うかもしれない。2023年4月から4年間にわたる長期の休館とあって、休館する前に行っておかなくてはならないという使命感に駆られて訪問。鎌倉ゆかりの作家を中心にして直筆の原稿や生前の愛用品などの文学資料を収蔵・展示しているミュージアムである。

敷地へ入るとすぐ左手には古い洋館らしき建物も見えるがこちらは入れない(こちらも邸宅だったという)。そのまま右手の坂道を上って行くと守衛所のような場所でチケットを販売しており、チケット販売所のすぐ目の前には「招鶴洞」と名付けられているトンネルが印象的である。こちらは源頼朝が鶴を放したという故事に由来するという。トンネルをくぐり抜けた先にあるのが鎌倉文学館の本館となる。玄関にはかつての名称であった長楽山荘の看板が残されている。

このトンネルが異世界への入口である

玄関のドアーを開いて下駄箱へ靴をしまって中へ入るとすぐ目の前に飛び込んでくるのは年輪がインパクトある巨大な花梨の樹の幹。海外から運び込んだという。本館と敷地は旧前田侯爵家の鎌倉別邸として使われていたもので、1890年頃に当時の当主が和風建築の館を建てたことにはじまっている。聴濤山荘と名付けられた和館は類焼によって消失するも長楽山荘と名を変えた洋風に再建され、現在の洋館へ改装されたのは1936年。その後デンマーク公使や元首相の別荘として使用されたりしながらも、1983年に前田家から鎌倉市へ寄贈されて文学館として1985年に開館した。

なんつー格好いい造りだ

3階建となっている洋館の入口は2階。六角形の張り出し窓が印象的な常設展示室において鎌倉文士についての紹介ということで、川端康成大佛次郎といった鎌倉に居を構えた文士たちの原稿や手紙が残されている。意外にも可愛らしい川端康成や久保田万太郎の文字もさることながら、大佛次郎の所有していたヨットを文士仲間で転覆させてしまったという永井龍男の日記に記されているエピソードが印象的。所有者よりも使用していることが多かったという。どれだけ破天荒なんだ鎌倉文士。

館内は撮影不可なので館外を収めまくる

隣室では特集として文豪の「愛にまつわる作品」を特集しており、夏目漱石、与謝野晶子、芥川龍之介、太宰治などの愛にまつわる作品もここで紹介しているほか、入館記念に「愛の言葉おみくじ」を引くこともできる。芥川龍之介は安定のラブレター公開。妻の文子に対しての愛の手紙が「そっと隠しておいてほしい」と記されているのにも関わらず公開されてしまっているのが有名税というやつだろうか。意外にも中原中也も鎌倉に関係があり、死を鎌倉で迎えている。かつては食堂だったこの部屋ではマントルピースが目立つ。

こちらは裏手から見た館

続いての隣室では2022年に亡くなった永井路子の特集。生後すぐに実父が死去したため、母方の実家を継ぐ形で大叔父にあたる永井家の養子として育ち、編集者として仕事をしながら歴史小説の大家として女性側の視点にスポットを当てた作品を執筆、直木三十五賞、菊池寛賞、吉川英治賞といった数多くの賞を受賞している。

隣室は客間として造られた部屋で、ステンドガラスが印象的な造りをしている。こちらでも特集の続きとして柳美里、山崎方代、立原正秋、江藤淳らの作品を愛の言葉という視点から公開している。井上ひさしの神経質そうな丸文字も印象深い。ちなみにこれらの部屋の窓からは由比ヶ浜からの相模湾が見えるという素晴らしい眺望。さらに隣にある休憩室ではテラスに出ることもできる。

庭が綺麗なのよ

企画展示室では鎌倉文学年表と題して、収蔵品のうち古典作品で鎌倉に触れているものを特集しながら実際の史跡を一緒に紹介している。万葉集や平家物語、金槐和歌集に太平記や徒然草といった古典に登場する鎌倉はまさに歴史の中心にあった場所と言える。階段を降りた1階でも同じく古典作品との関わりを紹介している。

洞窟もあるよやったね

トイレは2階と1階ともに洋式。ただし屋外収蔵庫の隣にある多目的トイレはウォシュレット式。鎌倉市にあるミュージアムのいくつかでは鎌倉市民であれば無料で入館できるという夢のようなシステムが組み込まれている。もちろんそのための維持費の多くは鎌倉市民の税金から賄われているという背景はあるだろうけれど、そういう地元に根付いたミュージアム造りというのは重要な項目の一つであると感心する。

収蔵庫の丸窓まで洒落てる

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