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煩悩超えを祝い、沼落ちの経緯を改めて語るnote

皆様こんばんは、四四田です。

皆々様のおかげさまで、

「推しのアクスタ作った話」

108つのSUKI!!

思わず記念のスクリーンショット


煩悩の数ですね、なんとなくめでたく感じてしまうのは何故なのか。

僕、自分の記事が100スキ超えるのなにしろ初めてでして。こう見えてはしゃいでおります。
ありがたい限りです。
それもこれもnote編集部さんのおかげだなあと、圧倒的感謝。
初の100スキ超えが推し絡みの記事であることもやはり嬉しいです。

だからといって、108スキを後生大事に守りたいわけではなく。
あの、ぜんぜん煩悩の数を超えてもらって、やぶさかではないので……。

……良かったらハートマークぽちっと押してやってください。

浮かばれます。

だれがって僕じゃなくて、推し(アクスタ)が。

こちら僕の推しのWikipediaですね。
よかったらどうぞ。
29歳の若き思想家です。永遠の29歳。


推しもアクスタにされた甲斐をすこしは感じてくれてるかな、どうかな。

ちなみに推し(アクスタ)は、僕に連れまわされ、ゴジラと対峙させられたりしている。


実は、

#沼落ちnote

というタグを発見しまして。
そういえば、推しについて沼落ちの経緯を語ったことってなかったんじゃない?!
と腕まくりをしていたのですが、そんなことなかった。

普通にこの記事で喋ってた。


でもこの記事もなんやかんやちょっと前に書いてて、
別に嘘は言ってないんだけどなんだろうな。
今だったらこういう書き方にはならないかなと思うと不思議です。

書いたのは一年半くらい前ですね。
そこまで前だとは思わないんだけどな。

まだちょっとダウナー期の匂いがするけど、ちゃんと推し短歌の題材にしているあたり。我ながら愉快な人だな、四四田くん。


そんなわけでせっかくなので、
上の記事とちょっとかぶるんですけど、
改めて沼落ちの経緯を、
今の文体で説明しようかなと思います。

まずは、
「キューティクル探偵因幡」や「四百四鬼」といった作品でご活躍されている漫画家もち先生の、「烈! 松下村塾〜やむにやまれぬ見島牛〜」という作品の中で、牛の姿で出てくるんですよね、

吉田松陰が。

(ちなみに残念なことにこちらの作品は単行本未収録。もち先生、そのうちどうにかこうにか単行本に収録していただけないものでしょうかマジで)


四四田は、キューティクル探偵因幡からの、もち先生ファンでして、「烈! 松下村塾〜やむにやまれぬ見島牛〜」も雑誌掲載時に読んでいるのです。
それが2009年のことでした。かるく15年ほど前である。

作中の吉田松陰は特にイケメン化してるわけでもなく、完全に徹頭徹尾ひたすら牛の姿、キューティクル探偵因幡好きの方にはお察しいただけますでしょうか、言うなれば首領のポジションです。

それで、
あれ……吉田松陰ってこんな感じなんだっけ……
なんかイメージと違う……
と疑問に思ったのがそもそものきっかけです。

ところで肝になるのが、

「イメージと違う」

というこの点です。

これ、じゃあそれまでどんなイメージを抱いてたのか、という。

だってイメージと違うってことは、
すでに、「はじめまして」じゃないですものね。

ここをね、あんまり掘り下げていなかったんですけど、ここもちゃんと理由があったのです。

2009年からさらに遡って、四四田が高校不登校だった時代になるのですが。

四四田、高校不登校だった当時、ほんの一瞬ですがFMラジオにハマってたのです。

そのラジオのとある番組(正確な番組名を覚えてない)で、早朝、リスナーの長距離トラック運転手さんに電話が繋がって、パーソナリティさんがいろんな質問をするコーナーがありまして。
ある日、繋がったかなり若いトラック運転手さんが、尊敬する人物は?という質問にあげたのが、

「吉田松陰」

だったんですよね。

しかもこれを四四田本人は直では聞いてない。

この日の放送を聞いていた四四田のおかーさんがなぜか四四田に、この話をしたんです。

若きトラック運転手のあげた尊敬する人物が、
憧れのスターでもなく、
自分の身内でもなく、
歴史上の偉人の中にしても
「土方歳三」でも「徳川家康」でもなく、

「吉田松陰」ということで。

ちょっとマニアックなのではないかという質問がさらにあり、それに対してどんなところが魅力なのかを語っていた、という話を。


で、当時高校生でその話を聞かされた四四田自身も「へえ、歴史上の偉人をあげるにしても、マニアックだなあ……」と思いながら、
そのトラック運転手さんが「吉田松陰は松下村塾の主宰で」とか、「教育者の面が」とか、色々と語られていたらしい内容をまた聞きして、
そのお兄さんはずいぶん吉田松陰が好きなんだなあと思ってたんですよね。

四四田、この時点ではまだ沼に行ってない。

とはいえ
今振り返ると、

まるで時限爆弾を埋め込まれた瞬間のようではあります。


つまり、

高校生四四田がラジオで若いトラック運転手さんが尊敬する人物に吉田松陰をあげていた、という話をまた聞きする。

2009年、もち先生の「烈! 松下村塾〜やむにやまれぬ見島牛〜」を読む。

という流れを経て、
四四田は、

あれ……吉田松陰ってこんな……牛になるようなギャグ的な存在だっけ……?

という興味を抱いていくんですよね、っていうか疑問に思わなくても牛になるような人間はそうはいないよ、そこはもち先生のセンスだよ。


何が言いたいかと言うと。

一体どこから始まってたんだ……?

みたいな時限爆弾式の出来事というものは、あるんだよね、ということです。

沼は自分で気がつく前から用意されてるんだよ。


すごい長距離の伏線回収をさせられている。

こうなると、もち先生にハマって追いかけてきたのすら吉田松陰沼へのプレリュードである。こわい。

あと、四四田が吉田松陰を推しにしてしまうきっかけには、
この名も知らぬトラック運転手さんと、もち先生の存在が外せない。
漫画家として読者を抱えていらっしゃるもち先生はともかくとしましても。
この若きトラック運転手さんもまさかご自身の発言が、

四四田を発生させているとは夢にも思うまい

人間どこで何のきっかけになっているかわかったもんじゃないですね。


ちなみにこのあと、四四田は人生初の一人旅を2010年に決行。
行き先はもちろん長州の地、山口県萩市でした。
旅に不慣れすぎて行き当たりばったりでしたが、ちゃんと推しの生まれ故郷の地を踏ませていただいております。

「高杉晋作の家から久坂玄瑞の家まで徒歩でどれくらいの距離だったか知りたい」という熱意を持って萩に行きましたが、当時の四四田の足で20分くらいだったと記憶しています。
なんだその実地調査……。


沼落ちの経緯はこのような次第です。

沼落ちに歴史あり。


ここらで推し短歌連作八首も引用しておこうかな。

あの海の向こうを目指す今はまだすぐに未来へ行けなかろうと
生き急ぐ必要はないまだ若い一度とにかくおやすみなさい
進む道それだけ君は背負えば良い他には何も持たなくて良い
いずれ来る終わりをじっと待っている君へとボトルレターを流す
君を生きながらえさせるためだけのタイムマシンをこしらえている
もう二度と会わない人を追い抜いた生命線は案外長い
君を好きじゃない理由ならいくらでもあげられるけど君が好きです
煌めいた刃先が拓く血の輪廻踏み越えて往けまた逢う日まで

推し短歌連作


なんというか、自分で引用しててなんなんですけど、
照れますね

ダウナー期って言うなれば拗らせ中。
貴重な記録なのかもしれません。でも今作らせても似たようなものになる気もします。

推しに対する解像度は今もあまり変わっていない。今年はちょっと深められるように勉強を頑張りたい。あと下田に行きたい。

下田来訪計画も真面目に立てなくてはならない。


あと、萩も行きたいですね。
もちろん今度は推し(アクスタ)を連れて行くのだ。


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