『星に仄めかされて』多和田葉子
多和田葉子の長編三部作の二作目『星に仄めかされて』を読了した。
前作『地球にちりばめられて』では、旅は道連れ的な感じでユニークな面々が集まり、冒険が始まったような感覚で終わった。
主な登場人物
主なメンバーは以下の通り。一言でまとめるとこんな人物たち。
Hiruko:故郷は日本の北越。留学中に母国が消滅、同郷の人物、母語を話す人物を探している。
クヌート:言語学者の卵のデンマーク人。Hirukoに協力し共に同行している。Hirukoと恋人のようだがセクシャルな関係はないようだ。
アカッシュ:「性の引っ越し」中のインド人。世界中に友がいる留学生。
ナヌーク:エスキモー。パトロンに費用を負担してもらい留学するが旅に出る。一文無しになった時ノラに助けてもらった。
ノラ:ナヌークを助け、献身的に思いを寄せるがナヌークに逃げられる。あるイベントでHirukoたちと出会う。
Susanoo:日本の福井出身。留学したが寿司職人として働いている。言葉を発しないため、周りからは失語症と思われているが実はそうではない。
サラダボウル論?
彼らが知合ったきっかけは本当に偶然ではあるが、あれよあれよといううちに6人が共に同士のようになる。国も言葉も性もバラバラだ。そして、その内には誤解があったり、仲がいいんだか悪いんだかも謎めいている。好感があるのがはっきりしている人物もいるが、その反対もあるし、よく分からない人物もいる。
第二部になって、新たな登場人物が出て来たり、ますます賑やかになる。ごった煮状態になってくる。
まさにこれは「サラダボウル論」じゃないだろうか。個性豊かなモノたちが集まり、皿の中では誤解や言い合いもあるが、かといって皿からはじき出すことはしない。だから、この作品の登場人物も、きっとそのうち混ざり合っていい塩梅になっていくんだと思う。
読んでいるうちに、クヌートとナヌークの区別がつかなくなってくる…。だって響きが似てるんだもん…。
あと、クヌートの母親であるニールセン夫人からも目が離せない。
アカッシュの魅力
個人的にはアカッシュという人物に好感を持った。アカッシュは男性として生まれたが女性へと「性の引っ越し」をしている最中だ。
本文にもこんなことが書かれてあったが、アカッシュの場合は「彼」というべきか「彼女」というべきか分からない。だから常に固有名詞で行こう。ちなみに、自身の一人称は「僕」と語っていた。
アカッシュはとても繊細で素直な人だと感じる。アカッシュのことばや行動からそれとなく分かる。だから登場すると明るくなるし安心する。
読みながら、印象に残った部分をチェックしていたのだが、見返すとほぼアカッシュが発した言葉や思考の部分だった。
性を問わずに人の気持ちを敏感に察知できるから、アカッシュは友人が多いのかなとも思った。
人と接し対話するということ
留学中に故郷が消滅…という、とんでもない出来事を経験するHirukoやSusanooだが、彼らから悲愴感は感じられない。Hirukoはちょっと不思議で捉えどころのないような感じの小柄な女性。母語を話す機会を失ってしまったからと言って絶望的に孤独になるのではなく、人工語である「パンスカ」を作り出してしまう、なんだかすごい人。
「パンスカ」はスカンジナビアの人ならたいてい理解できるし、簡素ではあるが意志疎通には全く問題ない言語。ただ感情的ではないので無機質な感じが漂う。
勝手ながら、Hirukoは作者の多和田葉子氏をイメージしてしまう。
でも、こうやって人と出会い、人と接し、会話しながら旅の行く先が決まっていくんだな。
最近の私は、人付き合いがほぼなくなっている。かといって、積極的に友人作りをするつもりもなく、友人と付き合いたいとも思わない。息子がいるから大丈夫という思いもあるのかもしれない。しかし、息子は成長と共に離れていくんだろうし、そうも言っていられない日が来てしまうのだろうけれど…。
人とおしゃべりをするより、本を読み、そしてこのように振り返り、時には映画や美術鑑賞など、ひとりで過ごした方が充実していると思っていた(いる)。
もしかしたら、知らず知らずのうちに、ある部分においての世界が狭くなってきているかもしれない。
とはいえ、仕事では大勢の若い子たちと関わる…というか声を張り上げる仕事ではあるが…。
どうしたもんだろう‥‥‥。
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