採用面接とカウンセリングに見つけた、
先日、YoutTubeでワンキャリアの「いきなり最終面接」という企画を見ていたところ、ある種の気持ち悪さを感じてしまったときのことを書こうと思う。
実際の企業の人事担当者が、学生に対して新卒採用における最終面談をガチで実施。
その後、実際に合否の判定を出すというものだった。
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そこで感じた気持ち悪さは、「臨床心理学」や「公認心理師の功罪」の教科書を読んでいたときに感じたものと似たものだった。
ちなみに、公認心理師とは、2017年に施行された、日本初の心理系国家資格のことだ。
今、一般的に「カウンセリング」と呼ばれるものの中にも色々あって、フロイトによる精神分析、ユング、アドラーの流れ→行動療法→認知行動療法→アメリカのロジャーズによる来談者中心療法などと、時代の流れとともに心理学的知見が溜まっていき、各論に紐づく手法は少しずつ異なっている。
その中の「精神分析」を基調とするカウンセリングでは、クライアントに思いつくままに自由に話すように求め、クライアントは質問されたりしながら、次第に過去の事象を掘り下げていく。
カウンセラーという聞き手に導かれて、質問される中で、心の奥深くに留めていた出来事や感情を話していくうちに、カウンセラーに対して、愛情、信頼、尊敬、ときには性的欲求などを向けるようになる。
こうした陽性の感情を向けることを陽性転移といい、場合によっては、恨み、非難、反抗、敵意などの破壊的な感情を向けることもあり、これを陰性転移という。
そしてまたカウンセラーとて、ひとりの人間である。
クライアントの話を理解する姿勢から、そしてひとりの人間としての自然な反応として、自身の内側に様々な感情や空想が引き起こされ、これを逆転移という。
この、カウンセラーはこの「逆転移」の状態を自身で注意深く観察して、自己分析や心理学で得た知識や経験を動員して、クライアントの態度や言葉に感情的に反応せず、自身をコントロールし、むしろこの「逆転移」の現象を積極的に活用して、クライアントがこの葛藤状態を乗り越えられるように適切に導いていくのである。
クライアントはカウンセラーに依存している状態であるが、この依存状態から自立状態に至るまでを聞く・質問するという行為を通して支援していくのである。
陰性転移も、陽性転移も、逆転位も、カウンセリングの場では日常生活では決して話されないようなことが語られるわけだから、納得なんだけど、
「陽性転移も、陰性転移も、逆転移も、治療の中であって然るべし」
「知識や技術を身につけ、これを上手く乗り越えよ」
というのが、「精神分析」という手法におけるカウンセラーの仕事だと捉えたときに、そしてそれが教科書に堂々と書かれていることに、(患者と性的な関係にならないように、とも繰り返し書かれている)、
心理学とは、科学の一種であるにもかかわらず、なんて非効率な手法なんだろうと感じた。
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カウンセラーではないけど、弊社、ナムフォトで個人向けのワークショップを開催している時に、同じようなことを感じていた。
ナムフォトのワークショップでは、感性や創造性、その人独自の価値観を写真を通して掘り下げていくようなことをしていた。
リピーターさんは、お客様としてはありがたい存在なんだけど、「依存されているなぁ」と感じて、この状態をどう取り扱うかとても悩んだ。
世の中には、「依存させる」ことで商売として成り立っているものがたくさんあり、
むしろ「いかに依存状態を生み出すか」そのために、あれこれと手を変え品を変え、マーケティングしているような状況が散見する。
でも、人は変化変容していくのが常であるならば、「依存」という、主体性を失い、価値観において閉じた状態をキープさせ続けることへ仕向けるようなことはよろしくなくて、「お互い良ければご一緒しましょう」という状態が好ましく感じる。
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最終面接の話に戻って、最終面談の、学生の相手をしているのは、一介の人事担当者である。言うても、30才やそこらのただの人である。
自分で会社を経営しているわけでもなく、学生に給料を払うリスクを自身で負うわけでもない、いやいや、それを責めたり非難したいわけでは決してなくて、経営や事を成していくためには人が必要で、経営者が採用活動のすべてを行うわけにもいかず、職務として、人事のプロとして、至極真っ当に、一生懸命、真面目に、熱をこめて、学生の相手をしている。
学生は、人事担当者に色々なことを聞かれるうちに、陰性転移や陽性転移の反応を示し、ただしこの場はカウンセリングではないから、社会性を保つために多大な努力をしている。
人事担当者も、学生の返答を受けて、どうしたら学生の本質を引き出せるかという目的のもと、色々な言葉で質問を続けるが、その様子からは明らかに逆転移が起きている。
この「密」なやり取りを通じて、結果的に出されたのは「不合格」であった。
この人事担当者は、依存型ではなく、自律型の学生を求めていて、
この面談では、依存しあうようなやり取りで終始してしまったので、その結果かなっと感じた。不合格という結果に、驚きはなかった。
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一方で、この依存型の若者である学生さんが、特別に病的だったり、変わっているかというとそうでもなく、どこにでもいる、一般的な若者に思えた。
「え!っていうか、こういう若者ってたくさんいるよね!」
「ていうか、そもそも、こういう若者の方が多そうだよね!」
「こういう若者を生み出す、そういう産業構造やカルチャーが、日本を取り巻いているよね!」
「新入社員研修で、各社優秀な若手を採用しようとめちゃくちゃ努力しているわけだけど、母数の少ない「自律型」の人材を、各社が求めていたら、そら、大変だよね!」
なんだか矛盾している、日本。
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きっと、学生さんは、面接を繰り返し、面接官に対して陽性転移や陰性転移をしながら、自分の軸がどこにあるのかを発見し、それを端的に、自律的に語れるようになった時に会社に合格するんだろうと思ったけど、もっと効率的な方法があるのではないかしら。
依存は悪いことではない。(どちらかというと、私は依存したり依存されたりが苦手な傾向があって、こんな自分にやっかいさを感じたりもしているくらいであって)
ただ、やっぱり依存しているとしても、「依存しているなぁ」というメタ認知を持ち、かつ自立・自律的な時間を増やしていくことは、Well-beingな生き方につながると思うので、私はこっちの考え方が好きである。
採用担当者と学生さんは、言うなれば、共依存の関係だったと思うので、
学生さんだけでなくて、採用担当者の方も、自立・自律的な姿勢が必要かも??
とかも感じてしまった。
長々と書いたけど、つまり、写真心理学を使えば、そんなことができるのではないかと思った。
・写真の一人称は、絶対的に「私」になる。なぜなら、私が社会をどう切り取ったかというアウトプットだからである。
→自己認知や自己プレゼンテーションにとても有用なツール
・写真は、自分のクリエイティビティを作品として昇華する行為なので、芸術療法のような効果がある
→これまでの環境の中で身につけてしまった不適切な認知や、他律的なあり方を癒して、自己変革していくときに有用なツール
それを手助けするのが、写真心理学の目指す姿だ。
そう思ったときに、写真心理学を使った、就職・転職サービスって「アリよりのアリだなー」などと、いつもの妄想が止まらなくなっている、今日この頃である。
ちなみに、今日は2023年の3月31日である。
おしまい。
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