何を欲望するのか
新潟生まれ新潟育ち、ブランディングプロデューサーの亀山です。
Narashika(ナラシカ)という屋号でフリーランスとして活動しています。
今日のテーマは「私達が欲望しているもの」について。
「モノ消費からコト消費へ」なんて言われて久しいですが、私達はモノよりも心を満たす時代になっていると思っています。
実際に、自分が死ぬ時に「最高の人生だったなー」って思えるのって、いっぱいモノを持っていたからじゃなくて、どれだけ心が満たされる豊かな暮らしができたか、だと思うんです。
亀山自身も少しずつそういう方向に欲望がシフトしているのを実感しています。
自分が喜ぶよりも誰かを喜ばせたい、新潟にとって必要なことを残していきたい。
そんな風に思うようになってます。
偽善者っぽく思われちゃうかもしれませんが、今亀山が思ってることを書いてみまーす。
モノを手に入れた・・・で?
高級車に乗りたい、広い家に住みたい、おしゃれな服を着たい。
そんな欲望を持っている人は多いハズ。
亀山だってその1人です。
自分が興味あるモノは、こだわって選んで、お金をかけてでも手に入れたい。
だって、それで自分の気持が上がるから。
でも、一方で思うことがあります。
今まで欲しかったモノを手に入れたら、手に入れたことで満足してしまいそう。
レクサスを手に入れるために頑張ってお金を貯めてローンを組んだけど、いざ手に入れてみたら、「で?」ってなりそう。
あ、別にレクサスが欲しいっていうわけじゃありません。あくまでも例えで。
つまりは、モノを手に入れたい気持ちはあるけど、手に入れた瞬間にその欲望がなくなっちゃう。
きっと20世紀までは、モノが不足していたから、物欲が第一優先だった人も多かったはず。
でも、今の時代はモノで溢れていて、断捨離ブームさえ起きました。
モノを捨てると気持ちがスッキリするっていう。
つまり、私達は、モノを手に入れる欲望よりも心を満たすことを欲望している気がするんです。
マズローの欲求5段階説でいうところの、最もレベルの高い欲求である「自己実現欲求」や、さらにその上の「自己超越欲求」に位置まで私達の欲望レベルは進化しているはず。
要は、モノを手に入れたり、居場所が欲しかったり、認められたかったりっていうレベルを超えて、「自分の能力を最大限発揮したい」「見返りを求めずに誰かのためになりたい」といったことを欲望しているんだと思います。
ちょっと難しいかもしれないけど、ついてきて!
誰かのために命を使う
何が言いたいかと言うと、これからの時代は「誰かのために命を使う」っていう人がどんどん増えてくると思ってるぜってこと。
なぜなら、自分の欲望を満たすっていうレベルを超えて、自分以外の誰かを喜ばせるっていうレベルに達してきているから。
だから、ボランティアに参加する人が増えたり、積極的に寄付する人が増えると思ってます。
自分の欲しい物を手に入れるだけでは満足できずに、誰かを喜ばせることに時間もお金も使う。つまりは、命を使いたくなる。
亀山の欲望も少しずつそっちに向かってるのを実感しています。
もちろん、まだまだ物欲はありますし、暮らしを豊かにしたいっていう思いもあります。
ただ、突き詰めて考えていくと、子どもたちのためだったり、新潟のためだったり、自分以外の誰かのためになることに興味が向いていることも確か。
先日開催したイベント「新潟ひとつなぎ」も、目的は新潟の人の暮らしがもっと豊かになること。
身近に暮らす人同士でつながることで、小さな幸せを感じられたり、季節ごとの新潟の魅力に気づくことで、県外に行かなくても豊かにくらせたり。
「このイベントを続けることで、自分以外の誰かが喜んでくれるはず。」そう思うから、睡眠時間を削ってでも開催しました。
ただのおせっかいおじさんであることは間違いないのですが、おせっかいしたいっていう欲望があるし、おせっかいしている自分ってかっけーって思ってるんだと。
つまるところ、私達はどんどん贅沢な暮らしをするようになっていて、誰かのために命を使うっていう贅沢をし始めているんだと思います。
棺桶に入った時に後悔が無いか
「後悔のない人生を」
なんてよく耳にしますが、実は結構大事な考えだと思っています。
要は、自分が棺桶に入った時に、「最高の人生だったなー!」って思えるかどうか。
亀山も自分が死ぬ時までに、どんなことができたら後悔なく死ねるかを考えます。
そうすると、恐らく高級車に乗っていたからとか、広い家に住んでいたからとかで、最高の人生だったとは思えない気がするんです。きっと。
それよりも、自分がやってきた仕事で新潟で暮らす人が喜んでくれたり、自分の子供が自分らしく生きていけたら、満足して死ねる気がするんです。
だから、自分が存在したことで、自分以外の誰かにどれだけいい影響を残せるかが亀山個人の欲望。
もちろん、亀山の考えは全員に受け入れられることばかりではないはずで、嫌われたりアンチが出てきたりするかもしれません。
ただ、自分が正しくて、面白くて、必要だと思えることを表現して、残していって、そこに少しでも共感してくれる人がいてくれたら、最高の人生だったなって思える気がするんです。
世界にとっても、日本にとっても、新潟にとっても、亀山が生きていた時間なんてほんの一瞬でしかないけれど、せっかくこの時代に元気に生かさせてもらえているんだから、自分の命を使い切って死にたいなー。
だからこそ、自分でしかできないことを追求していきたい。
必死に考えて、行動に起こす。
まだまだ足りないことばかりだけど、あがいてみよう。
ブランディングプロデューサー
Narashika
亀山友貴
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