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インドネシアの人の人生最大の困難の立ち向かい方

ティナの突然の訃報

今日、いきなりミーティングをしている最中に、夫から友人のティナが亡くなったと聞いた。
ティナはベルギーとインドネシア人のハーフでおじいさんがジョグジャカルタの、インドネシアでも有名な画家で、本人はいつも太陽のように明るく、旦那さんとダイブショップを経営してたので、海で子供たちといつも遊んでいる文字通りきらきらしている人だった。

ミーティングを一緒にしていたバリのおじさんは口をそろえて「彼女の寿命だったんだね」という。
確かにそうだけど、まだ36歳。
やるせない気持ちで私はいっぱいになった。

そんなティナが1か月前から輸血をしているという話を聞いていたが、なぜしているのかもわからなく、インスタのストーリーも明るい前向きな投稿ばかりで良くなってるんだと思い、まさかこんなに急に亡くなるとは思っていなかった。

ショックとびっくりだが、ミーティングを切り上げた後、とりあえず亡くなった先の病院に向かった。
残された旦那さんと二人のまだ3歳と6歳の子供のことを思うと切なすぎる。

旦那さんの顔を見ると、散々泣いたのだろう。目も顔もむくんでいる。
ティナは急性白血病で数か月で亡くなったが、前夜からの様子を私たちに話してくれた。後に、急性白血病の事を調べたら終末はいきなりくるらしい。
昨日まで会話はできていたと。

次々と友人が現れる。
旦那さんは一人ひとり挨拶を交わしている。

私はいたたまれなくなって、いろいろ思いがめぐり、ティナの夫を長い間抱きしめた。彼もずっと私を抱きしめた。
彼の苦悩は想像するのにも、悲しくなり、言葉が見つからず、ただただ、抱きしめた。

で、私にこう言ったのだ

「This is life」(これが人生という物だ)と。

その言葉で十分だった。
人生にはこういうことも起こりえるのだ。
そして、それでも、前を向いて生きていかなければならない。
多分、私だったらパートナーが亡くなったらそんな言葉はでてこないかもしれない。私はまだまだ未熟者。

その後も次々と友人が現れるが、泣いている人もいたが、誰もが悲壮感がない。
なんなんだ、これは。
たまに、顔こそ泣きつかれているが、旦那さんも冗談を来た人と言って笑いあってたりする。
いたって普通の時間が流れている。

で、気が付いた。
インドネシア人は悲しみにひたすら座り続けるということをしないと。
人生最悪の出来事が起きても、そりゃ、悲しみのどん底だがそこにずっといない。
私に人生最悪の出来事が起きたときに、私は彼の言葉を思い出すだろう。
そして、ちょっと強くなれたような気がした。

ティナと残された家族のこれからの幸せを祈っている。
彼らなら、絶対、また幸せが訪れると確信している。

バリ人のお金より大事なもの

もうひとつ、思い出したことがあったからここに書いておこうと思う。

私の夫は、バリ島で多分ダントツ一番の財閥一家の元で以前働いていた。
島も何個も所有し、有名どころのビーチクラブも何軒ももっているし、ホテルももっている超有名な一家。

で、その時、お母さんが突然死した。
シンガポールからバリ島に帰国した際に、調子がちょっと悪くなり、こっちでも大きい外人向けの病院でビタミン点滴をうけた。
で、なぜかその後体調が悪化してその場で亡くなってしまったのだ。
なにが、原因でそうなったのかわからないが、どうも病院側に原因があったらしい。

そこからがすごい。
「もう、亡くなったんだから、仕方がない、いくら病院を責めても仕方がない。亡くなった者は帰ってこない、母さんの寿命を受け止める」と病院側を訴えることない。
そんなことしても、まさにお母さんは帰ってこないし、苦しみを長引かせ、増長するのがわかっているのだ。

その後、バリヒンドゥーの決まりで、親が亡くなった場合、ある一定期間お金の取引とお金の話を一切できないという教えがある。
亡くなった時に、数億円のビジネスの話が進んでいた。
で、お金の話ができないもんだから、それが全部すっ飛んだ。
でも、絶対、教えを守りとおした一家。あっぱれ。
それは、亡くなったお母さんへの敬意が一番だからだと思う。

私はその時バリ人ってまたまたすごいなと思った。
一年に一回ある、ニュピ(静寂の日。空港も閉鎖され、観光客も外に出れない日)も、一日だけでも島が経済活動を止めるダメージがあるにもかかわらず、今もずっと継承されている。

バリ人のお金より大事なものを守るという生き方に敬服する。
本当に私は、バリに住ませてもらうことによっていろいろなことを学んでいる。



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