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Nao-note 整えると、恐れと

【文章としては短いのですが感じたことをそのままNaoyuki的に】

整えるという感覚と認識を持っている人って少ない。

整えるという感覚を持ち認識しているなら自分自身の體をまず整えようとするから。

どれだけ言葉の意味を実感し理解しているか。

理解しているということはそれを行なっているという事。

意図して行おうとしているし、意図して行わないこともできる。

怒ることや怒りってなぜ起きるのか。

それは言葉をその物事を理解していないのと、その物事を正しく知っていないという事。

言葉を體で実感し理解してゆくほど怒りも感情も無くなってゆき落ち着いてゆく。

落ち着いていないのは落ち着けないのは體での言葉の理解と実感が無いから。

逆の場合でも同じ。

何もせず変化しようとしていないと理解が生まれず枠に収まってしまい

より何もできなくなり、より恐れに囚われてしまう。

整えるって大事。

整える事で感じる事ができ、感じる事ができる事で物事を楽しんでゆく事ができ

より長く使うことができる。

良い物も大事。

良い物だから良い感覚を味あわせてくれて、その感覚を氣持ち良く楽しんでゆく事ができる。

良い物を良い状態へと維持して楽しむには整えてメンテナンスをする事。

物も體もメンテナンスする事って、メンテナスの仕方を知らないと

面倒臭くいし億劫になるけど、メンテナンスの仕方と

整った時の感覚を実感するほどメンテナンスする事が楽しくなってゆく。

自分はクロスバイクから折りたたみ自転車に乗り換え、

自転車を自分でメンテナンスするようになり、メンテナンスする事の楽しさに氣づいた。

こうだからこうね!って仕組みを理解する事でメンテナンスすることもメンテナンスしたあと乗ることも楽しくなってゆく。

整える事でどんな物事も體も自分自身も楽しくなってゆく。

仕組みを知る事、そしてその物事のコツとポイントを知る事。

自転車もプロの方の修理の仕方を実際に観させてもらいながら質問して観ていた。

実際に観て、話して仕組みを教えてもらう事でそうか!と自分の中での理解が深まる。

その時のその経験がありつつ自分でメンテナンスしてゆくとなるほどね!って

より理解が増え自転車が整ってゆき心地良く乗る事が出来る事が楽しくなってゆく。

なんでもいい!どんなものでもいい!だと整えようともメンテナンスすることもしない。

やっぱり自分が好きで心地良く使える大切な物だからこそ

整えて長く心地良く使いたい!という氣持ちに自然と成ってゆく。

整えるという感覚、整うという感覚をどれだけ実感しているか。

自分はヨガを行うまで整えるという言葉は知っていてもその実感と感覚が無かった。

それは親が整えるという感覚を持っていなかったから。

整えると言う感覚、整理する感覚は、

ヨガを行い體と思考が本来へと整う事で知る事でできいかに無知だった事に氣づけた。

なので自分がよくおぼっちゃんだね!と言われていた意味が分かった。

いかに何も知らず何も出来なかったのかって。

ほんと體を整えてゆく事で氣づく事が沢山あるし未知なる感覚にも新たに氣づいてゆく。

整える感覚がないと心地良くバージョンアップさせようとしない。

感じていないと心地良く快適に過ごす感覚を持ち合わせていない。

頭で思考で生きていると感じる感覚が鈍感になり感覚も認識も意識も

どんどん衰えてゆき、知ろうとしなくなり現状維持に留まり続ける。

大切なのは感じる力。

色んな感覚を実感し感じることを楽しもとする意識。

人って本来感じる事が本質だから。

體を使い感じることが本来の人だから。

頭で知っていることと実際の感覚ってとても違うしその実感って大抵持っていない。

形と実際のその感覚はとても違うから。

本質を突いているYouTubeの「ゴルフTV山本道場」。

その山本さんの伝えているゴルフスイングがとても本質過ぎて面白い。

ゴルフも形そのままのイメージで打とうとすると真っ直ぐ飛ばない。

人の體があり、ゴルフクラブという道具があり、ゴルフボールがあり

それらの関係性と仕組みを理解しているか、感じて実感しているか。

打とうとするから真っ直ぐ打てない。

山本さんが言っている言葉ってほんと本質過ぎて観ていて面白い。

だって體をどう使うのかが大事!なことを言っているから。

で、その體の使い方が本質過ぎるから。

體の使い方ってどんな感覚なのかだから。

なので地面反力を使って!と言っていても大抵の人がその感覚を持っていないので

山本さんが言っている事をなかなか理解する事ができない。

逆に感覚的な人ほど理解する事も実感することも直ぐにできる。

そして見た目と実際の感覚に相当のズレがあってなかなか體に落とし込む事ができないのでより分からなくなる。

無理なく自然にある力を使いボールを打つには無理な力が必要なくなるので

逆に力を使わず打とうしないことなので、

今までにはないありえない意識と感覚と認識が必要になってくる。

ゴルフの場合は、クラブとボールがある。

そのクラブと體の関係性を知り理解する事で物事になってゆく。

その時必要なのが今までにはない感覚と感じる力が必要になってくる。

體が整っている事で動く事ができ、色んな感覚を実感している事で

體と動きとクラブの関係性をより體に落とし込む事ができ

どんなクラブを使うのか自分に合ったクラブを使う事でよりゴルフと成る。

今までゴルフをしてなかった!という言葉もよく動画の中で耳にする。

それほど形と動きと感覚が物事を成すには違うということ。

整える事って感覚。

整える事で色んな感覚を実感する事ができ、整え続ける事で感覚が繊細になり

物事をより楽しんでゆくことができ、整えることも楽しくなってゆく。

そこで大切なのが恐れないこと。

恐れがあるとそれ以上進もうとはしなくなってゆくから。

痛みがあるから整えない、出来ない無理だから整えない。

それらの恐れというストッパーがあると今以上に楽しんでゆく事ができなくなる。

色んな感覚を実感する事はとても楽しい。

でも體が動かせないと感じる事を楽しむことも今ある枠からも解かれなくなってしまう。

恐れって本来の自分へと還るために起こる。

その恐れを意図し意識し俯瞰して乗り越えてゆく事で本当の自分へ還ってゆき

より楽しみが増えてゆき感じる喜びが増えてゆき心から満たされ豊かに拡がり続けてゆく。

その恐れの正体って「親」と「システム」。

親の価値観を持ち続けているとそれ以上の枠を越えようとはしない。

親の価値観で生きてしまっていることに自ら氣づき、自ら解き親を超えてゆく事が必要。

親を越えようとする時に色んな感情と恐れが生まれる。

そしてもう一つの恐れが世の中という社会というシステムと物事というシステム。

システムに囚われてしまっているよ!って、映画「マトリックス」が言ってくれている。

世の中や社会というシステムに囚われているとその枠から抜け出そうとしないし

その枠から抜け出そうとすると恐れが生まれるから、また安全な場所に戻ってしまう。

親を手放し解き超えてゆく恐れ、世の中という社会というシステムから抜けそうとする恐れ。

それらの恐れを超えてゆく事で本来の自分へと還ってゆく。

恐れの先に本当の自分が待っている。

逆に言うと恐れが顕れた時って本当の自分へ還れるよ!という合図。

今までの古いシステムに居続けると感じる人ほど苦しくなってゆく。

今って本来の自分へ還ろう!とより促す流れが来ているから。

いかに今までの自分を解いてゆき、自分の質を引き上げるか。

自分の質を引き上げるのに大切なのが感じる力。

そして本来の感覚を実感してゆく事。

良い物を得て使ってゆく事。

なんでもいいなら感覚は鈍ってゆく。

自分の好きと心地良さを大切にしつついつもより、質の高い物事を自ら選んで得てゆく事で感覚が繊細になってゆく。

感覚が繊細になるほど物事の本質が自然と顕れる。

そうなってゆくほど感じる事が、色んな感覚を実感する事がより楽しくなってゆく。

自分は今ヨガを行い體が整う事がより面白く心地良い。

そして色んな感覚を知ろうと運動をしたり物事を得てゆくのがとても面白い。

そうそう!どんな事でも大切なのが「脚」。

ゴルフでも脚の大切さを山本さんは仰っている。

ほんとその部分でもとても共感する。

脚が整う事で骨盤も整い、呼吸も整い、思考がクリアになり心が解かれる。

「上虚下実」の大切さ。

上は力みなくしなやかに、下はしっかりどっしりと。

ゴルフも上虚下実。

體もヨガも上虚下実。

物事の本質はどんな事でも根っ子が根本が起点が大事。

根っ子が根本が起点が整う事で自ずと全ては整う。

解くのも根っ子から、整えるのも根っ子から。

體が整い感じる力が高まってゆくほど感じる事が物事がより楽しくなってゆく。

いかに恐れを手放してゆき心から自由に成ってゆき心から體から感じることを楽しんでゆけるか。

整える事が、體でも感覚でも物でも場所でも何事に於いてもとても大事。

整える事で心地良く快適に使うことも動かすことも感じることもできるから。

自転車をメンテナンスしていてもとても感じる。

仕組みが分かり整えることができそして心地良く乗ることができると

ほんと全てが楽しく成ってゆきより整えたく成ってゆく。

空気圧の違いでも、サドルの高さの違いでも心地良さは全く違ってゆく。

整える整うという感覚、その心地良さと快適さをどれだけ実感してゆくか。

整えるから整ってゆく。

整えるから心地良くなってゆく。

恐れを超えた先に本当の自分が待っている。

やっぱり本質は映画「マトリックス」。笑

思考の全て、恐れの全て、感情の全てが必要ないからね。

感じる力が何よりも一番大事。

恐れを超えてゆくって大変だけどそこ超えてゆき

恐れも幻想だと思い込みだと氣づいてゆき全てから解放され自由になってゆこう。

整えると、恐れと。

読んでくださった方、ありがとうございます。

NAOYUKI




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