不登校になってからの話〜フリースクールから高校受験
フリースクールに通い出してから、少し前向きな生活が送れるようになった。
中学3年の時、同級生がバンドをやろうとフリースクールにやってきた。
不登校になる前からギターをやっていた僕の事を知っていたらしく、中3の文化祭で演奏しようというのだ。
中1の9月から登校していない自分にはかなりハードルの高いお誘いだったと思うが、当時の教頭(吹奏楽部の顧問もしていた)が、PAやなんやかんやの段取りはするからやってみろとの事。
じゃあまあ文化祭だけは行くかと、練習に明け暮れた。
なぜか覚えていないけど、体育祭にも出れた。(少しだけだけど。)1時間だけ英語の授業にも参加したっけ。
ここら辺は、本当にあまり覚えていない。うっすら記憶がある程度だ。
結局、文化祭はバンドで2曲披露した。
今考えてみると、学校に行ってない奴が急に出てきてしかもギターボーカルというフロントマンで歌うってすごいおかしな事だ(笑)
それを許して、暖かく迎えてくれた学校の先生・同級生達には感謝だ。
まあこれが最高に気持ちが良く、人生のハイライトの1枚になるだろう。
しかしこの後も学校に通うことはなく、卒業式にも出ていない。(高校3年の時にも出ていないので、卒業式にはあまり縁がないのです。)
文化祭の前後に、地域の音楽イベントで歌うことにもなる。
これまた素晴らしい出会いがあった。
自分は地域に育てられたという思っているので、ここはまた追って書こうと思います。
そんなこんなで、中3といえば受験ですよね。
全く高校に行く気もなく、何か仕事に就こう考えていた。
家の近くには、父の出身の工業高校があり、普通科の高校や定時制夜間部の高校もあった。
だが、地元に高校にだけは行きたくもなく、仕事をするという選択肢だけだった自分に、フリースクールから2校を紹介され学校見学に行った。
どちらも定時制昼間部の学校だ。夜間部と通信制も存在している。
ひとつは母親の実家から通える範囲の学校。
もうひとつが、入学することになる高知市内の高校だ。
高知県はプライメイトシティで、都市圏というか栄えている所が高知市のみの県。
やはり田舎もんにすると高知市の学校に通いたかった。
そしてとりあえず受験だけはしようかと考えを改め、高校受験に挑み後期試験で合格を勝ち取った。
この選択が、これからの人生の別れ目になることは、まだ知るはずもなかった。
ここから少しずつ社会に、学校生活に戻って行くことになる。
次回は、地域に育てられた話。もしくは高校生活編を書く予定です。
20200929