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不登校になるまでの話〜小学校編

こんにちは。
今日は、不登校になってからの話ではなく、不登校になるまでのお話をしたいと思います。

何度か書きましたが、高知県の田舎に生まれ、保育園〜小学2年までは普通に楽しい生活を送っていた。

小学2年の時、他のクラスでは学級崩壊が起きていた。
授業放棄しグランドで遊んだり、担任の先生に向かって暴言を吐いたり。
少し離れたクラスだった事もありあまり詳しくはわからなかったが、自分たちのクラスとは違うことはすぐに気づいた。(担任の先生は、体調を崩され休職されたと聞いている。)

小学3年の時。クラス替えがありこの時から少しずつ狂い始める。
先の問題のクラスだった生徒達が、満遍なく散らされ、自分のクラスにも入ってきた。
いじめが起きるのに、そう時間は掛からなかった。

6月くらいからだろうか、まだ同じ教室内で体操服に着替えるような年齢。
女子生徒に服を剥がされ、下着の色を大声でクラスに広められるたり、当時からかけていたメガネを水道でびしょびしょにされたり、朝登校すると自分の机が教室から出されていたり。
いつも同じ場所ではなく、教室の前だったり、上の階の教室だったり、中庭だったり、トイレだったり。
まあ毎日自分より早く登校して、よくこんな事を思いついたもんだ。
他にもバイキン扱いされたり、机の中のものが無くなったり、まあ書ききれないくらいだ。

こんな日々も夏休みに入り、一旦は何とか山場を越えることができた。
時間というものは本当に自分の味方だ。

それも束の間。
夏休みも終わりかけの頃。僕はどうしても学校に行きたくなくなった。
母親に相談した所、担任に話をしてくれ、事実確認が行われた。
クラスで、僕も含めて全員で僕がされた事を担任が伝え、机に顔を伏せて、自分がやった人は手をあげる方式だ。
その後、その生徒達が一斉に立ち上がり、僕への謝罪の言葉を述べる時間になった。

驚いた。『それ』を行っていたのは7、8人だと思っていたら30人クラスで25人ほどが起立していた。
その中には、僕のずっと味方をしてくれていたA君も。ゾッとした。

小学校ではこれを最後にいじめと自分が感じる事はなくなった。
自分以外には。

小学5年の時に、別のクラスになっていた主犯格の子がまたいじめ問題を起こしていた。
いじめられていた子は、僕を一緒にいじめていた連れの子だった。
人の心が、本当に怖くなったのは言うまでもない。

長くなったので小学校編はこれにて。
次回は中学校編である。

とにかく生きろ。僕はとにかく息をし、今日も生きる。

20200921

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猪野直也 / InoNaoya
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