忙しそうだったから…@3歳児のことば
一歳児の夏の終わりくらいに入園した子に言われた言葉を、
ふと思い出した。
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この子の登園初日のことは今でも忘れない。
お母さんも、初めての保育園への登園ということで
ちょっとそわそわしていた。
もちろん保育者も。
さて、いよいよお別れのタイミング。
やはり離れようとしない。
やむなくお母さんから引き離す形になってしまい、
当然大泣きの状態となった。
その日以来、一ヶ月。いや二ヶ月くらいだろうか。
全く心を開いてもらえないように感じた。
それは、無理矢理引き離したのだから仕方ない。
それから、朝お母さんと離れるときに泣いて嫌がることが続いた。
僕はこの子の担任だったが、
僕が抱っこしようとすると拒否されるのだ。
担任ではないのだが、
朝の「行ってきます」の時、専属かのように
ほとんど必ず、ひとりの保育者(Sちゃん:仮称)の名を呼ぶ。
「・・・Sちゃんがいい・・・」
それで、朝のお別れにはSちゃんについてもらうことにした。
Sちゃんは、誰が見ても子どもたちの味方。おだやかで暖かい人だった。
そんな状態が一年以上続いていた。
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その子が三歳の冬。
僕はその歳の三月で退職することになったので、
退職する直前くらいのことだったと思う。
この頃には、朝の「行ってきます」の悲しさもずいぶん和らぎ、
気がつけば僕の膝に座ってお母さんと別れることも増えてきた。
そんなある日のこと。
ふと、この子が僕に伝えてくれた言葉が忘れられない。
ほんとに、ふと教えてくれたのだ。
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「さんたさん。わたし、ほんとはさんたさんがよかったんだ。
でも仕方なく、いつもSちゃんに抱っこしてもらってたんだ」
「えっーーー!?そうだったの!?」
「うん」
「どうして??」
「だって、さんたさんいつも忙しそうにしてたでしょ?
だから、Sちゃんに抱っこしてもらってたの」
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・・・
衝撃だった・・・
あまりに衝撃だったので、
このあとこの子に何を伝えたかを忘れてしまった。
何が衝撃かというと、
あんなにいつも「Sちゃんがいいー」って言ってたのに、
ほんとはそうではなかった!?ということ。
僕は、この子に対してこんな気持ちを抱いていた。
『この子は、僕に心を開いてくれていない・・・
この子は、朝は僕ではダメだ・・・
僕との信頼関係は、あの日があったから・・・』
そう。抱いていたのだと思う。
心の奥では。
僕は、諦めていたのだ。
自らこの子と繋がることを恐れていたのかもしれない。
しかしこの子は、ずっと僕を信じてくれていた。
僕に、受け入れてくれる余裕ができるのを待ってくれていた。
いつも、みてくれていたのだ。僕の心を。
「忙しそうだったから」
この言葉を振り返ると、たしかに朝は忙しかった。
それは、物理的にもそうだし、
精神的にもそわそわしていることが多かった。
この子の「忙しい」がどこを指しているのかはわからないが、
少なくとも僕の心に余裕がないこと。
僕が心を開いてはいないことには気がついていただろう。
それにしても。
2年間・・・
2年間も、そんなこと思ってたの!?
僕は、なんという情けない大人だったのだろう。
自らカラに閉じこもり、
子どもに開けてもらうのを待っていただなんて。。。
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子どもたちは、思っていてもなかなか言葉にしてくれない。
もしかしたら、聞いたら教えてくれていたのかもしれない。
でも、僕に受け取れるだけの器がないことをこの子はわかっていた。
そう。
子どもたちは、”いまなら、受けとってもらえる”というタイミングがくるまであえて言わなかったりする。
または、
子どもたちは大人に変わるよう求めたり、大人を傷つけることをしない。
傷つけるくらいなら我慢さえしてしまうのだ。
それだけ大きな愛を、子どもたちはいつも持っている。
子どもを決めつけてはいけない。
いつでも寄り添える心のゆとりを持って。
子どもたちはみんな、大人を信じて待ってくれている。
短い言葉だけど、
多くの学びを与えてくれたエピソード。
#子どもに教えられたこと