人の教育 0102 第一章 総論 02 フローベル著
このような永遠の法則が存在することを認め、それを意識し、その法則がどこから生まれたのか、どのような本質を持ち、どんな働きをし、何と関係しているのか、そしてどのように動いているのかを深く考えること。そして、生命とは何であり、どのようなものであるかを理解することこそが「科学」であり、とりわけ「生命科学」である。そして、自覚力・思考力・理解力を持つ存在、すなわち人間がこの生命科学を実践し、人間自身に適用していくとき、そこで「教育科学」と呼ばれるものが存在することになる。
この永遠の法則を認知し、それを深く洞察することで、人間という思考力・理解力ある存在の天職の自覚や本分の達成のために一定のルールや指針を作り出すことができる。それが教育理論となるのである。こうした認知や洞察、つまり永遠の法則に関する知識を、人間という理性的存在の直接的な発展や完成のために自由に応用し、人間がその本分を果たせるようにすることが「教育の技術」である。
教育の目的は、人間が自分の天職に忠実で、純粋で、そして神聖な生活を実現することにある。知識と応用、意識と実現が相まって、天職に忠実で純粋かつ神聖な生活を実際の生活の中で統一させることができるならば、それは「生活の知恵」であり、さらには「純粋な知恵」そのものである。
賢者であろうとすることは、人間の最高の努力であり、人間の最高の自律行為である。この意識、自由、自立をもって、自己を教育し、また他者を教育することでこそ、知恵を二重の働かせることになる。この働きは、人類の歴史が始まり、個人の十分な自覚が生まれたときに完全に実現され、さらに今や一般の人々にとって欠くことのできない要求となり、注目され、応用されるようになった。この知恵の働きこそが、命の本質にたどり着くための唯一の道である。この道は人間の内面的な要求を満たし、それによって外面的な要求も安全に満たす道であり、また天職に忠実で純粋かつ神聖な生活を通して、祝福された生活へと至る道である。
したがって、人間の中にある神性、すなわち人間の本質は、教育の力によって開発され、明らかにされ、意識されるようになるだろう。また人間は、自分の内に働いているこの神性を意識的に受け入れ、それを自由に自らの中で実現するようになるだろう。
さらに、人間を取り巻く自然界において、その本質として常に存在し続ける神的・精神的な永遠の原理を、教育、特に指導を通じて明らかにし、人々に認識させなければならない。そして、自然と人間の間には共通する法則があることを、実際の具体例を通じて説明し、その考えを教育の理論と結びつけるべきである。
人間と自然は共に神から生じ、神によって規定され、神の中に生存している。このことを教育、指導、教訓を通じて人々に明確に意識させ、実生活の中で役立てることこそ、教育全体の使命である。