ただ好きなだけで続けてきた、|手と仕事#20
ただ好きなだけでやってこれた。じゃなきゃ続いてなんかないだろう。
人生30年、社会に出て15年、移住して4年
移住してからの奇想天外ないつもの暮らしの中に、ぼくの中の価値観をいつもぶち壊そうとしてくるのが「手と仕事」だ。
約一年と半年をかけてまだ42人しか撮影できていないのだけれど、こればかりは仕事との兼ね合いだったり時間との調整だったり、色々な制約がつきまとう中続けてきた。
いろんな人の思いが乗っかっている今、ぼくは中途半端なことはもうできないんだろうって。
最初もそう、今だってそう
手と仕事をつらいだなんてぼくは思ったことがない。
あの瞬間、あの時ってぼくと作り手さんの二人しかいなくて一対一のようなのだけど、作り手さんは作りだすことに夢中でぼくに見向きもしない。
それでも対話だけは行なってくれてそこにはたくさんの価値観が眠っている。
きっと何年経っても辿り着けない考えも、少し前に気づいたことも、作り手さんとの対話の中に生まれる”何か”は明らかにぼくの価値観を変えていくんだ。
そうやって何度も何度も価値観の殴り合いを続けた先には多くの気づきがある。
だからね、やめれないんだよ。
だからね、続けていたんだよ。
ただ、好きという気持ちだけで100人も撮るのか?って最初は想像もできなかった。
でも半分近く撮ってきた中で芽生える「手」の美しさと「仕事」に対する想い、そしてこの「手と仕事」に対する大きな想いにぼく自身が突き動かされている。
12年前のカメラで撮ることも、オールドレンスで撮ることも、50mmの単焦点レンズだけにしていることも、全部が全部ぼく自身がこれをきっかけに変わろうとしているんじゃないかって思った。
そうやって何度も何度も価値観をぶつけられて、あっという間にぼくは変わっていった。
100人の仕事を撮り続けているのだからそりゃもう、オールドレンズだとオートフォーフォーカスもきかないからピントで頼りにするのは自分の目と感覚で、今の機種みたいにピントが合ったことを知らせてくれる機能もなければ追従機能もない。
そんな中で人の手の動きを追いかけて、止まらないその手にピントを合わせていくのだから自分自身の技術は上がっていく時間が恐ろしいほどに早くなって価値観も変容していった。
こんなはずではなかった、というのが今のぼくが思うこと。
もう少し緩く上がっていくはずだった自分の名前が「手と仕事」と共に急激に上がるのを感じて「手と仕事」の作風が評価された途端に”あんなふうに撮って欲しい。”と依頼してくれる人が増えたのだ。
世間のニーズは明らかに「暖かく」「ふんわり」というものに対して、ぼくの作風は「冷たく」「パキッと」って逆のコンセプトで作り込んでいる。
そしてこれはぼくの最大の特徴でどちらかというと「素材写真」って呼ばれるものが得意だったりするのだけど、「手と仕事」でもその素材感が如実に現れている。
きっと元々持っていた「素材」としての切り取り方が「手と仕事」によってさらに活性化しているのだろうけど、これも全部『ただ、好きなだけでやってきた』結果なのだと思う。
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と、なんとなく『手と仕事』を言い訳に色々と文章を書き綴ってきたのだけどそろそろ今後の展望も書いていこうかと。
とは言ってみたもののそんなにない。
まだまだ半分もあるのだから頑張ろう。
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