やまぐちなおとのこれまでのこととこれからのこと |自己紹介 一体あなたは何者?
<これまでのやまぐちなおと|1秒も無駄にしないことと、50歳にゴールテープを張る人生>
山や海やなどの大自然の中、日々を編むように暮らして旅をして生きてきた。
気がつくといつの間にか自然の中に身を置く自分がいて、カフェに行くよりも木の上にいる方が落ち着いたり、海の中にいる方が落ち着いたりとなんだか不思議な20代を送っていた。
50歳という区切りのいいところに自分のゴールテープをひいて、そこを目標として全力で走る人生が始まったんだ。
季節に追いかけるように春になったら、秋になったらを口癖に日本中をあっちにこっちに走り抜けていた時、佐久の山奥でその場に横たわる動物の肉を持ち帰って食べたり。
夜の海、船着場の明かりに照らされる魚群、釣ったばかりのサバを〆さばにしてくれて次の日の晩御飯に食べたり。
山にキノコを取りに出かけたり、山菜なんかもスーパーに行くよりもずっと近くて、美味しいからよく仕事終わりに山に出かけていた。
お金が全然かかってなくても幸せじゃんかと叫んでは真っ暗になった外でいつもお酒を体に流し込んんでいた。
春夏秋冬、季節は巡り、ぼくも拠点を様々な場所に見つけながら生きてきました。
それがいつの間にか長野県が中心になり、ぼんやりと『移住』というワードがぼくのあたまを支配し始めました。
移住したらこんなことをしよう
移住したらこんな人に出会おう
移住するためにはこんなことをしよう
移住するための覚悟を決めよう
漠然と思い描いた構想をもとに、移住先をこの一年で決めると言った2019年の夏は式根島に行くことをやめて、一年間長野県佐久市の農家さんに住み込みをしながら長野県のどこに移住するのかを決める一年が始まりました。
農家さんに滞在しながらも模索して、きっと難しいと思われた移住先は実は結構早い段階で見つかって夏前にはガンガン計画を進めていた。
30歳には何者かになるために逆算したことから見える今やるべきこと
移住するからといって決めたわけではないけれど、昔から30歳までには何者かになることを曖昧ながらも目標として生きてきた。
あと3年で何かを見つけて、あと3年で何かを成して、あと3年で何者かになろうとしたぼくは、周りからしたら生き急いでいるように思えたかもしれない。
20歳のぼくが無責任に決めた30歳のぼくに託した勝手な目標は、こうして無理矢理にでもぼくに覆い被さってくるから仕方ないと言ってしまえば仕方ないが、この現状を20歳のぼくが望んでいたかというとそうでもないし、25歳が望んだのかと言われても違うけど、移住前のこの一年のぼくはきっと望んだんだ。
自分のことを棚卸するように、あれがなくてこれはある、在庫はいくつ?入荷はいつ頃?というように先の予定と今の現状の在庫判断、その時のぼくの中にあったのは時間と行動力とコミュ力だけだった。
<移住後のやまぐちなおと |>
元々住み込みで山の麓の農家さんや、島の民宿、スキー場やカフェといった様々な土地で住んでいたこともありました。
移住のタイミングはまさに長野県のスキー場にいた時、実家に帰って来春から長野に移住を決めていた時だったのですがコロナによって県外の移動制限があったりと、そのまま愛知の実家に帰ることはできずに移住という破天荒な長野ライフが始まったのである。
2020年6月に『モノノメ』という屋号で開業届を提出して個人事業主としていろいろな活動が始まりました。
最初は移住先のシェアハウスが田舎すぎて近所の方のコロナに対する恐怖感をあまり煽らないようにシェアハウスの管理人とコーヒーの焙煎豆のネット販売から始まり、なるべく家から出ないでも食べていけるようにやってきました。
次第に関係人口の幅を広げていき、行動範囲を広げてコーヒー屋としての間借り出店がスタートしたのがその秋ぐらいから。
インスタグラムもこの頃にスタートしている
初めはコーヒー屋さんとして立ち上げたこのインスタも今では形を変えてカメラマンとしてのインスタグラムへとすっかり変わってしまった。
2021年には移動販売車にて様々なイベントに顔を出し、今一緒にお仕事をしたり、今でも関係性の続いているほとんどの人がここの時代に会ってきた人。
そして2022年にはカフェとして間借りに近い状態ではあるものの店舗を借りての営業が始まったがぼくの体調やもろもの事情もあって飲食の世界から身を引くこと決めました。
カメラマンとしての名が上がったのはフォトコンから
これまで今回のnoteに使っている写真はぼくや友人が撮った写真たちだ、実は仕事柄人を撮ることが多いけれど最初は人を撮ることがぼくは苦手だった。
20歳の現代アートに触れたあの時からぼくはカメラを使っていて、年数だけでいえばもう10年もカメラに触れ続けているというのに、いまだに「あれ、なんか違う」って思う瞬間もたまにあったり。
移住して、カメラをまたたくさん撮るようになって、気がついたら人のふとした瞬間ばかり追いかけるように撮影をするようになっていって
たまたま撮った写真がフォトコンテストで最優秀までいただけたり、小さなコンテストでもぼくは嬉しくて嬉しくて、ぼくのことを知らない誰かが審査して評価したんだということだけでぼくの自信につながったんです。
それからというもの、たくさんの方からお声がけいただいて今も仕事ができていると感じています。
『手と仕事』の始まりはぼくのわがままから
その自信をもっともっとと伸ばすようにカメラの仕事を引き受けては撮り続けてきて、2022年にはnoteでも何度も言い続けている『手と仕事』が始まっていきました。
手と仕事のことは散々言ってきてるし何よりここで書いてしまうととてつもない文章量になってしまうのでしたのマガジンに全て入ってるのでぜひ読んでいただきたい。
手と仕事のこともだし、それをやったことでぼくの中で変化したもの、きっかけはここだったのかというものも含めて様々な気づきを書き綴っている。
表現者たちの記録、ぼくの目標
『手と仕事』を撮るようになってからというもの『表現者』の方からお声がけいただけることが増えてきた。
いわゆる現代美術や演劇など様々な表現方法がある中でもかなりコアな部分であったり、コンテンポラリーダンスなんかも撮り始めたり
元々ぼくにカメラのことを教えたあの人もこんな世界を撮る人だったから「いつかはやってみたい」ってなんとなく思っていたものが、鮮明に意識し出したら「やっぱりあの人のいた場所に立ってみたい」って考えてしまって、同じ世界を記録していくことをぼく選択しました。
そしてその繋がりの中で始まったシェアハウス
寂れた街の一角に集うのはきっと何かを抱えた人たち。
誰かの「行きつけの家」であり
誰かにとっては「暮らす家」となって
お好み焼きをジュージュー焼きながら
小さなコミュニティが出来上がって
「今夜は涼しいね、」なんて
感ビール片手に庭に足を放りながら
誰かがそんなことを言うんです
日々の些細な瞬間さえも
だれかとシェアする暮らし
そこはだれかの暮らしと拠点の共存する
寂れた町の一角にある普通の家
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日々の暮らしも何もかも、些細な日常さえもシェアするように暮らしています。
ここで管理人として住む人や来るひとのために設備を整えたり、人を集める口実を作りながらぼく自身も楽しくハッピーに暮らして人のつながりを実感しているのです。
結局「やまぐちなおと」ってナニモノなの?
カメラマンでもあって、シェアハウスの管理人でもあって、人たらし。
人たらしをやっているつもりはないけれど、客観的にみたらきっとぼくは人たらしなんだろうって。
楽しいことをしたくて、面白いことをしたくて、面白い大人になりたくてそんな大人になろうって決めたあの日からぼくはずっと人たらしなんだと思う。
とはいえ、これからのぼくがどうなるかは本当にまだわからない。
何者かになることにこだわっていた時期を終えて、何でもないただの「やまぐちなおと」でいいじゃないかと妥協した時から答えはまだ変わらない
きっとぼくはこれからも「やまぐちなおと」を演じ続けて、カメラマンとして管理人として何か面白いことに目を向けながら人に関わることはきっとやめないんだろうって
あいつに会っときゃなんとかなるって言われるようないいイケおじ目指すんだ。