「Easy,お前いまどこら辺にいるんだ? どこもかしこも燃えててトレイル閉鎖ばっかりだ。火事が全部台無しにしやがったな。やってらんねぇよ。 俺とslyは一旦トレイルを離れようと思ってる。 海岸沿いにオレゴンコーストトレイルって言うトレイルがあるらしいんだ。まぁ、どうなるか分からないけどな。」 普段から何かと気にかけてくれるMauiがいつになく投げやりなメッセージを送ってきたのは、僕の目の前で山が黒煙を吹きながら辺りの空を黒く覆い尽くしてしまった時だった。 黒煙はカリフォル
最初にこの詩を読んだときはどきっとした。 そのときは仕事に忙殺されていて、"本当に生きた日"なるものを感じることなどなかったからだ。 誰にでもできる仕事じゃなかったと思うし、それなりに情熱は注いでいたと思うけど、日々に色彩を感じなかったのは、歩きやすい轍の上を歩いているだけに過ぎなかったからだと思う。 それから4年ほど歳月が過ぎた。 1ヶ月間歩き続けた乾燥地帯を抜けて、シエラネバダ山脈を歩いていた時のこと。 乾燥地帯の残り香を感じさせる赤褐色の峠を越えると、そこには色鮮や
ぽたり。ぽたり。 汗はとめどなく流れ続けては、土埃が舞う乾燥した大地に滴り落ちていった。 まるで身体中の水分を吸収されているかのようだ。 熱波の到来によって40℃近くまで気温が上がっている砂漠を歩き進めて4日が経過した日のこと。 柔らかい起伏を描きながら無数に折り重なる茶褐色の雄大な山脈に、その日も際限なく広がる一点の澱みもない群青の空が覆い被さっている。 立っているのも辛いような灼熱の中で、生命を象徴するかのようにヨシュアツリーが凛然と立ち並び、サボテンの頭から顔を出
"砂漠が綺麗なのは、どこかに井戸を隠し持っているからだよ" (星の王子さま/サン=テグジュペリ) という一説がしばらくの間、僕の関心ごとの一つだった。 PCTを歩き始めて12日目のこと。 僕は砂漠の真ん中で井戸を見つけた。 今までの人生で経験したことのない、すべての生命を拒絶するかのような乾燥しきった荒漠な褐色の世界は、毎日僕を感動させると共に確実に僕をすり減らし続けていた。 水や食料は一体どれくらい持つのが適正か、自分が1日に歩ける距離はどれほどなのか、この頃は何
pacific crest trailのスタートまで遂に1ヶ月を切った。 最初にこのトレイルを歩くと心に決めたのが2年前。 長かったような、短かったような。 色んなことが起こったし、かけがえのない出会いも数多く経験した。 自分で選んだ生き方なのに、目まぐるしく変わりゆく環境に心が置いてけぼりにされそうになったこともあったが、今の仕事も数日のうちに終わる今になって徐々に旅が始まる実感が湧いて来つつある。 自分の人生を日々送る中で、ようやく自分の歩幅が分かってきた。 pac
歩き終わったのは確か午前10時ごろだったと思う。 1200kmぐらい歩いて最終目的地の勿来(なこそ)海岸にたどり着いた。 この旅最後の宿として予約した民泊のチェックインまでにはまだまだ時間があったので、近くの文学資料館に行ったり無限に寄せては引いていく波を眺めて時間を潰していた。 こんな旅の方法をとっていると暇を潰すことを特別に苦を感じることもない。 時間が来るとチェックインと風呂を済ませて事前に紹介してもらっていた居酒屋に駆け込んだ。 とにかく最後の夜に特殊イベントが起
僕の知っている限り、歩き旅という旅の仕方はあらゆる旅の中で一番ゆっくりと時間が進む。 車や電車に乗ってしまえば一瞬で過ぎ去っていく当たり障りのない景色たちや声を聞くこともない地元の人たちも、徒歩旅行者にしてみればじっくりと時間をかけて付き合っていく愛おしい景色で、いつまでも心に楔を打ち続ける時のかけらたちの一つだ。 そんな歩き旅の緩やかな時間のながれに魅了されて歩いているわけだが、歩き旅というものは不思議なもので、ただ歩いて旅して他の旅の仕方よりも少しゆっくりとその土地を味
2023年5月9日、僕はみちのく潮風トレイルと言う青森県八戸市から福島県相馬市までのみちのく地方沿岸をつなぐ1000km超の道を歩くためにわざわざ仕事を辞めてまで青森県に降り立った。 なんでそんな事をしようとしたのかというと、それは僕にもわからないとしか言いようがない。 ただ仕事をしている時は、好むと好まざるに関わらず狭い柵の中に入れられて 「あなたはこの中で人生を終えてください。」 と言われているようで窮屈極まりなかったし、これは自分の人生ではないと言う確信があった。