生まれ変わる、ということは。
佐藤正午『月の満ち欠け』
読み終わってしまいました。
淋しい…。
日本の小説で、久しぶりに読了後
「面白かった…」という溜息をつける作品でした。
直木賞とか芥川賞とかに本当に疎いので、受賞云々的な観点で語ることは全く出来ないのですが、純粋にものがたりを楽しみ、ドキドキし、ホロリとし、という深い深い満足感があったことは確か。
「テーマ」が、すごく今の私にドンピシャでした。
“生まれ変わり”
私はスピリチュアル的なものをどちらかというと忌み嫌う性格ですが、最愛の祖母を亡くして以来、心の何処かでずっと彼女の面影を追い、世界にその痕跡を求めてきたと思います。
あんなに愛した人が、一瞬で跡形も無く灰になんかなる筈がない、という気持ち。
その方が、非科学的で非論理的だと、どうしても感じてしまう心のざわめき、喪失感。
だから、祖母と同じ干支の姪が産まれ、その髪が祖母と同じ天然パーマだったとわかり、開いた目の大きさが祖母に似ているとわかったとき、意味もなく涙が止まらなかった。
なんだ、いるんだ。
死んでない。
新しいけど、古い。
ずっといて、これからもいるんだ。
勿論、隔世遺伝だとかメンデルだとか、そういう常識は知っているつもりです。
でも、神は関係ない、神なんか全然関係ないところで、やっぱり繋がってるんだ、新しく古いものが現れるんだ、繰り返し繰り返し。
そんなふうに思ったのです。
佐藤正午さんには、なぜ、それが“解る”んだろう。
素晴らしい小説家にしかない資質、それは物語に本物の不思議な魔法をかけてしまえるところ。
現実を凌駕する現実を、現出させられるということ。
私たちは、きっとみんな、誰かにとっての月のようなもの、満ちて欠けるかけがえのないもの。
真偽はどうでもいい。
そう思って生きた方が優しくはないでしょうか?
そう思って生きた方が強くはなれないでしょうか?