つらい時こそ一時停止して考えてほしい、「成長痛」と「違和感」の違い
こんにちは、こんばんは、ごきげんよう!(ごきげんよう?笑)
フリーランス人事の清水奈央(しみず なお)です。
先月、満を持して「独立しました!」宣言を発信したところ、ありがたいことに様々な相談、依頼をいただいています。(ご連絡いただいた皆様、本当にありがとうございます!)
そんな中で、実は個人的なキャリア相談を受ける回数も多くなりました。
(こんな私に相談してくださった皆さんも、ありがとう)
組織で働くからこその成功や面白さ、葛藤や息苦しさ、そもそも人が人として生きていく中でぶつからずにはいられない「生きづらさ」を誰しも持っているなぁと感じています。
そして、受け入れて進むべき痛みなのか、放置しておくと危険な痛みなのか、分けて考えることをおすすめすることがよくあります。
そこで今回、『つらい時こそ一時停止して考えてほしい、「違和感」と「成長痛」の違い』というテーマでnoteを書いてみることにしました。
成長痛に治療はいらないけれど、違和感は要検査ですよね。
何を隠そう私自身も、働く中で感じるもやもやが「成長痛」なのか「違和感」なのかわからなくなるときがありました。
でもある時、そのもやもやを「違和感」と「成長痛」に分類できるようになった瞬間、私は以前よりずっとクリアな思考と前向きな気持ちでコトに向き合えるようになりました。
もやもやを抱えながら日々を頑張る誰かに、ちょっとした視点を共有出来れば幸いです。
「違和感」と「成長痛」
さて、早速ですが私の結論は、
「成長痛なら進み続けたほうがいい。でも違和感なら一時停止してもいいんじゃない?」
です。
このままだと、自分が自分でなくなってしまいそうなのに「これは乗り越えるべき成長痛だ」と言い聞かせてしまって違和感を放置してしまったり。
成長痛のその先を想像できず、ただ目の前の痛みを乗り越えることに集中するうちすべてを見失ってしまったり。
自分を大切に出来なくなったり。
そんな経験、ありませんか?
もしくは今、そんな状態になっていませんか?
成長を自分で止めて一歩立ち止まるのってめちゃめちゃ怖いですよね。
誰かのために頑張れる人ほど、自分の成長に責任を感じて違和感から目をそらしてしまうことがあると思います。
でも、立ち止まったってあなたの素晴らしさは損なわれないし、成長は止まらない、と私は思うのです。
進み続けたほうがいい「成長痛」ってなんでしょう?
例えば、こんな経験を私は「成長痛」に分類しています。
・「今の自分には出来ない」ということに気が付いてしまって悔しい、苦しい。でも、もしできるようになったらなりたい自分に一歩近づける!と確信を持っている。
・大変でどうしたらいいかわからない苦しさの中でも、頑張ること自体に楽しさを見出せる
・この大変さを乗り越えれば、チームが良い方向に改善されていくビジョンが明確に見える
いづれも、自分や他者が好転していくことを明確に、確信を持って思い描ける時、またこの苦しみさえも楽しめるマインドを持てる時。
これは成長痛です。
そのままGOGO!!!痛いけど、進んで大丈夫なやつ、です。
前回の自己紹介noteでも触れましたが、私は一時期まで本当に定量分析が苦手でした。必要性もあまり強く認識していなかった中、突然営業マネージャーとして定量分析の必要が出てきたときは、やっぱり苦しかったです。しかもなんとなく避けていたものを、大事なチームメンバーに指摘されて実施することになり、申し訳ないやら自信もないやらで結構な挫折でした。
でも同時に、定量分析をできるようになった自分自身やチームが、とんでもなく成長する、成功するビジョンも思い浮かんだ。
この明確なビジョンや確信がある時は、今振り返っても成長痛だったのだと感じています。
また、私のルーツの一つでもある競技ダンス。
18歳から30歳まで続けた競技人生でしたが、学生の時は全然勝てなくて悔しい思いをいっぱいしました。
それでも踊ることが好きでしぶとく続けていたら、どんどん良い方向に経験が加速していったので、今思えばあの苦しさは「成長痛」だったんだろうと思います。
ついに大会で入賞したり、表彰台に乗れたり、頑張ってる人たちが輪に入れてくれてアドバイスをもらうことが増えたり、情報が増えてチャンスが増えたり。
直面している時は苦しいけど、進み続けてよかったと思える、進み続けてよかったと思えそうなものは、「成長痛」だと考えています。
では、一時停止してみたほうがいい「違和感」ってなんでしょう?
「違和感」についてはシンプルに一択です。
あらゆる自分の感情に蓋をしてしまっている状態に陥り、そうすることでしか物事を進めていけない時。
そんな時に感じる苦しさや悔しさ、不本意さは「違和感」に分類しています。
感情に蓋をせざるを得ないとき、「成長痛」の時のようにその経験すらも楽しむことは難しい。またその先にどんな成功が待っていたって、心からその成功を渇望できないですよね。例えば、
日常的に傷つけられたり、
成果を出すために一生懸命やったことが何度も無下にされてしまったり、
自分の意思ではないところで不本意な決定が下されたり。
誰しも経験があると思います。
そんな時、「自分が飲み込むしかない」と感情に蓋をする選択肢しか出てこないなら、それは立ち止まるべき「違和感」なのだと私は定義しています。
だって、多分「自分が飲み込む」しか選択肢が無いことってきっとないと思うんです。
何に自分が傷つき、怒って、無力感を感じているのかを明確にしないまま、曖昧に「自分が飲み込めば万事収まる」という解に逃げれば、建設的なネクストアクションにたどり着けないまま、蓋をするループが完成してしまいます。
「違和感」との向き合い方
ここで表題に戻ります。
「つらい時こそ一時停止してほしい」
違和感を自覚したら、私は勇気の一時停止に振り切ります。
この一時停止期間で、違和感をあいまいなまま放置せず、内省し、嚙み砕いて、自分だけの感情を丁寧に自覚することが重要だなと思います。
「嫌だけどしょうがない」というあいまいな認識から、
何がどう嫌で苦しいのか?
どういう事情でしょうがないと思ってしまうのか?
それは本当にしょうがないのか?
我慢することで得られることは本当にほしいものなのか?
といった風に、丁寧にひも解いて行くのです。
この段階で答えが出る必要はありません。
答えを出すためではなく、自分が無意識に抑え込もうとしていた自分自身の感情を、自覚してあげる作業です。
「あ〜私、こんなにつらかったんだ」でOK。
そのためにおすすめなのは、ほんの少しだけ普段と行動を変えてみることです。
日記を書いてみる。誰かに話してみる。
それが難しかったら、物理的に場所を変える、情報量が少ないところに身を置いてみる。
普段の自分がしないことをしてみる。
違和感に苦しんでいるとき、もうすれすれまで感情や情報がたまっているので、ここでなにか慌てて情報を入れても消化出来ません。
出したほうがいい。
出てくるのは涙かもしれないけど、出し切ったほうがいい。
こうして一時停止期間で違和感を明確にした先に、どう行動するのか。
それは究極に自由です。
勇気を持って違和感を伝えてみる、
目標は変えず行く方法を変えてみる、
まったく別の有効な相談先を見つける、
離れる決意をする、なんでもありです。
「やっぱり成長痛だったんだ」と気づくこともあると思います。
とにかく感情に蓋をしていた時よりも自由になれれば、一時停止は大成功です。
最後に
以前友人の言葉にハッとさせられたことがありました。
「なんで続けることがそこまで美徳とされているんだろう?私も世界もどんどん変化していて、その時々に応じてベストな選択をすることのなにがダメなんだろう?」
こと仕事においては、継続することは重要です。
信頼やスキルアップなど、継続の先にある得難いものは多い。
それでもやっぱり、自分の人生の舵を取る主人公として、成長痛に負けずに進むこと、違和感はきちんと検査することを大切にしていきたいと思うのです。
皆さんも苦しい時、出口が見えないとき、今直面しているのは成長痛なのか違和感なのか、ぜひ一時停止して向き合ってみてください。
立ち止まったってあなたの素晴らしさは損なわれないし、成長は止まらないのですから。
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