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【映画感想文】 本当に哀れなのは誰か?自由で過激で爽快で意味わからん映画 『哀れなるものたち』

衝撃的な作品を観てしまった。。

美術、カメラワーク、衣装、音楽、、とにかく映像が独特で、まるで美術館にいるような不思議な映画なんだけど、内容も意味わからんくて最高だったからちょっとまとめてみる。

(※個人的な解釈です。)

あらすじ(ネタバレがっつり)

自ら命を絶った美しき女性ベラ。天才外科医ゴッドは実験として彼女のお腹に宿る胎児の脳を移植し、彼女を蘇生させてしまう。

こうして、
見た目は成人女性、頭脳は赤ちゃん、その名もベラ・バクスター爆誕!

これまでの人格、経験、記憶、知識、言語能力、、全てを無くし生まれ変わった彼女は、純粋で自由に欲望のままに成長していく。しばらくして彼女の成長記録をつけていたゴッドの弟子と婚約。(ここまでは平和)

しかし、自由に外出を許されていなかったベラは、ある日ダンカン(下心ありありの弁護士)の誘いに乗り、世界へ旅に出る。

ベラ:「外に行きたい!世界を知りたい!」


リスボン

最初に訪れたのはリスボン(ポルトガル)。

外の世界を何も知らない純粋無垢なベラは、ダンカンに言われるままに全てを吸収していく。

最初にダンカンが彼女に教えたのはSEX。無知な彼女はダンカンの悪意ある下心を疑うことなく受け入れ、性の快楽を知る。もともと彼女自身、自分の脚の間を触ることで快感を覚えることに興味を持ち始めていたが、その性欲がここで爆発。(R18)

ダンカンは「俺に惚れるな、俺に依存するな」などと言い、完全にセフレのそれ。

ベラ:「なぜ人々は毎日SEXしないの???めっちゃ気持ちいいよ!??!」


船旅

ダンカンに箱に入れられ、気がつくと船の上に。自分をモノのように独占してコントロールしようとしてくるダンカンに若干の嫌悪を示すように。

そんな船の上では人の良さそうな老婆と若い男性に出会う。彼らの影響でベラは本を読み、知識をつけ、物事に疑問を持ち、自分の力で考えるようになっていく。(性欲<勉強欲)

逆にダンカンは自分の思い通りにならないベラにモヤモヤ。彼女に対して単なる性欲だけではなく、完全に恋心が芽生えてしまう。(去った女が気になる男のそれ)

ベラ:「なるほど世界は性の快楽以外にも楽しいものがあるのか。知識をつけることは楽しいな。哲学哲学〜〜!」


アレクサンドリア

次に船が停泊したのはアレクサンドリア(エジプト)。

見下げるとそこには子供達が飢えに苦しみ、生まれたばかりの赤ん坊が死に、犯罪が蔓延る地獄のような世界が広がっていた。

初めて見る残酷な現実にひどく悲しむベラ。すぐに助けに行こうとするも、「お前が行ってもレイプされて酷い扱いを受けて終わるだけだ」と止められてしまう。

せめて少しでも力になれればと、ダンカンが酔っ払ってカジノで大勝した際に部屋に撒き散らかした札束をベラは全て回収し、船の乗組員に「下の人々に配ってください」と渡してしまう。(彼らは当然自分の懐に入れるのだが、純粋なベラはそれにも気づかない。)

「俺の金をなにしてくれてんだよ!?!?!?!」と激怒するダンカンと、「善い行いをした私を褒めて慰めてほしいわ」と号泣するベラ。

ベラ:「なんだこの不平等な世界は?なぜ世界は上下に分断されているの??なぜ助けようとしないの??なぜ私は上の世界にいるの???なぜなぜなぜ??!?!???」


パリ

ベラが全ての札束を乗組員に渡したことで一文なしになり、パリで船を下されたダンカンとベラ。寒いパリの路上で何もせず「お前のせいだ」と嘆くばかりのダンカン。

手っ取り早くお金を稼ぐためベラは娼婦になるも、ダンカンは彼女が身体を売って稼いだと知った瞬間、「Whore!!!(ヤリマン)」と罵倒し、急に態度を変えて去ってしまう。

ベラはSEXでお金を稼ぐこと自体は素晴らしいと思うが、ダンカン以外の男性を初めて経験し、SEXは快感ばかりではないことを知る。また、男性側が女性を選び、女性側が不快に感じても我慢して「最高だったわ」と笑顔を向けなければならないことにも違和感を覚える。

商売として売る側も買う側もWin-winになるよう、「女性側が男性を選べばよいのでは?せっかくお金を払ってもらうならお互い最高のSEXにした方がよくない??」と素朴な提案をするも、「ただ言われた通りにやればいいんだよ」と全く聞き入ってもらえず。悶々とした日々が続く。

ベラ:「どうして女性が娼婦として立派に働いていることに対して男性が嫌悪を示すの??どうして娼婦の意見は尊重されないの??」


ロンドン

そんなある日、父親のように自分を育ててくれたゴッドが危篤との知らせを受け、ロンドンへ帰宅したベラ。

自分がどうやって造られたかを知り困惑するも、色々考えた結果ゴッドのように自分も医者になることを決意。旅に出る前に婚約していた彼に改めてプロポーズ。彼は快諾し、平和な日常に戻るように見えた。

が、突然ベラの夫を名乗る男が現れる。ベラが命を絶つ前の人生の夫で、彼女は何も覚えてはいないものの一度彼の屋敷に行ってみることに。

彼は豪邸に住んでいる大金持ちのようだが、日常的に屋敷のお手伝いさんたちに銃口を向けて脅し、彼女たちが恐れる様子を楽しんでいた。そして「お前が娼婦だったこと、胎児を殺したことを許すからまた一緒に暮らそう」と提案される。

結局色々あって元夫の足を撃ち自宅の手術室へ運んだベラは、ゴッドのメモを参考にヤギの脳を彼に移植。元夫はこうして、見た目は成人男性、頭脳はヤギのヤギ男になる。

最終的にベラはゴッドを看取り、旅で出会った心許せる友人と、婚約者と、お手伝いさんたちと、庭にヤギ男を飼いながら幸せに暮らすところで物語は終わる。

ベラ:「この理不尽な世界を創り上げている上の世界の人々はみんな頭おかしすぎ。それを良い方向に直して世界を進展させることはできるかもしれない。(脳移植などで?)」


経験によって人は成長する

映画の冒頭では言葉も話せない脳内赤ちゃんのベラが、物語が進むにつれ急速に成長していく姿が描かれる。

外の世界を何も知らないベラの最初の欲求は「外に出たい!世界を知りたい!」だったが、そこから性を知り、知識をつけ、商売を学び、自分の身で経験しながら世界を理解していく。

「かわいい子には旅をさせろ」と言うように、大切な人であればあるほど欲求のままに自由に解放してあげることが、全ての近道なんだろうなと改めて思う。

同時に、なんの常識も持ち合わせていないベラにとって、欲求に正直に生きず回りくどく生きている人々が理解できない。なぜこうも社会は複雑になってしまったのか、なぜこの歪みが直せないのか。

ベラのように真っ新な視点でこの社会を見たときに、この社会の良識や暗黙のルールとされているものがいかに滑稽で馬鹿馬鹿しいかを改めて考えさせられる。

女性を所有したい男性

映画の中では、ベラが自由に生きることを許さない男性が数人登場する。

当初ゴッドも婚約者も旅に出ることを反対するのだが(監視下に置いておかないと普通に心配)、最終的にはベラの意思を尊重する。

対照的に、ダンカンは旅の中でベラが知識をつけていくことを嫌った。無知で何も疑問を持たず、ただ言う通りに身体を差し出す彼女の方が都合が良かったのであって、物事に疑問を抱き、言う通りに身体を差し出さなくなった彼女は彼にとっては都合が悪かったからだ。

また、元夫はベラが以前自ら命を絶ったことはあくまで「彼女自身の問題」だと信じて疑わなかった。妊娠したことで頭がおかしくなったんだろうと。そして、悪びれることなくベラの自由を奪い、また出ていかないように屋敷に軟禁しようとした。

二人とも、彼女の自由を妨害した挙句、パリで娼婦になってたくさんの男性とSEXした事実が許せずヤリマンだと罵ったりもする。

ベラは始め無知だったため彼らに良いように使われてしまうのだが、勉強して知識をつけたことで彼らの言っていることに違和感を覚えることができた。だから女性たちは勉強して知識をつけ自分の頭で考える能力が必要なんだ、と反面教師的にも学ぶことができるだろう。

女性の脚の間にあるもの

それは、時に快楽を与え、時に男性を翻弄し、時に愛を育み、時に商売道具になり、時に不快感をもたらし、時に子孫を残す。

ベラの旅は世界を知るものであったのと同時に、女性の脚の間にあるものの正体を知るものにもなった。

ダンカンも元夫も、娼婦だったベラを「許す」という表現を使った。いろんな男性とSEXをしたことを許すよ、と。女性の過去に関して男性側が「許す、許さない」という次元で、女性(の性器)の使用権は俺だけ、決定権は俺だけにあることが前提で話が進む。(元夫に関してはベラの性器を切除しようとした。)

にもかかわらず時に男性側は、自分の過去のSEXの経験人数を武勇伝のように誇らしげに語る。逆に女性は純粋無垢な処女に価値を置かれ、経験人数が多ければ多いほどヤリマンとして価値を落とされる。

女性は男性に過去の性までも管理され、風俗店で立派に働いている女性はなぜか社会から見下され、純粋無垢が好まれる、そんな社会。

ベラは成長を通してそのような男性から離れる選択をしたが、彼女のように知識をつけて同じような世界を選べるかどうかで女性の人生は大きく変わるだろう。

哀れなのは誰か?

冒頭でベラは、自分に親がいないこと、外の世界に行けないことに対して、「Poor Bella…(可哀想なベラ)」と言っていた。また、よく知らない男性に性的目的で旅に連れ去られ、寄付したお金も取られ、無一文になり、娼婦になり、元夫に軟禁され、自分の脳は昔自分が宿した胎児の脳だと知らされ、、、、散々な人生に見える。

他にも、ゴッドは医者であった父親に散々人体実験され身体中ツギハギのフランケンシュタインみたいだし、婚約者はベラをダンカンに奪われた上、ベラが娼婦になって帰ってくるし、ダンカンはベラに手を出したが故に弁護士という上流階級から無一文になるし、元夫はヤギ男になるし、物語に登場する人々はみんな散々な人生だ。

だが、ベラは旅を通して色んな世界を見たり、本を読んで知識をつけたり、社会主義の会合に出席してみたり、色んな経験を通して自分の理想の世界を見つけることができ、それを実行する強さも得た。

ベラが嫌った社会は、不味いものは不味いと吐き出すことを善しとせず、言いたいことを正直に言うことを善しとせず、女性は欲求のままにいろんな人とSEXをして快楽を味わうことを善しとせず、仕事ですら女性はSEXをすることを善しとせず、全てを少しずつ制限されている。(誰のため?)

また、権力者が富を独占することで貧富の分断が広がり、ますます不平等な世界になっていくことにも「仕方がない」と目を瞑ることが暗黙のルールとなっている。

本当に哀れなのは、誰なのだろうか。

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