次世代にできることを、こどもはいないが、自分が考える、考えたいこと。(オードリー タン 母の手記 成長戦争、を読んで)
自分にはこどもはいない。
なんなら、配偶者も今はそばにいない。
でも、過去にこども関係の仕事をしたり、姪や甥が8人もいるので必然的に今後のこども達にとってのより良い環境とか、良い未来について考えてしまうのだ。
人って、今、自分が生きてる間だけなんとか都合良く世の中が回ってくれればそれで良い、と考えがちな傾向にあるとおもう。
それは年齢を経ると余計に体力、気力も下がってくるから行動力に結びつきにくくなるのでそうなりがちになるのかな、と思う。
でも、この年齢、人生を半世紀近く生きてると思うのだが、みんなと同じ、右へ倣え、年上だったり先輩の人の言うことは絶対の権威主義的なありかた、柔軟性とは相反する、ルール絶対主義、など、個性や様々な意見や価値観やバックグラウンドを認める風潮に世の中が変化しづらいのはなんでだろう、と。
この風潮自体が、この世で生きることに対する息苦しさ、に拍車をかけてる気がするんだけどなあ。
世の中の急速な変化に適応するのがやっとの高齢世代。それをみていると自分もこの先、対応できるのかな、、と不安になる。
また、ヒエラルキーなんて言葉が使われるようになって何年も経つが、これ、差別している状態を示す言葉であるのに、平然と世の中で使われていることにも違和感が否めない。
今、オードリー タン(台湾の、元デジタル担当大臣、ギフテッドと言われるIQの持ち主でもある)のお母さんの手記を読んでいるのだが、自分は知らなかったが今から30年前時点で台湾にはある意味で学校教育的なしめつけからくるイジメ、ヒエラルキーのようなものがあったのか、、と驚愕した。
また、不登校になると罰金があったことにも驚いた。
この本には家族、特にオードリーさんのお母さんがどんなふうに当時を過ごし、家族みんなと乗り越えたかが描かれている。
読み進めるうちに、この本に描かれていることは、今の日本のどの家庭にも、どこか通じるしんどさ、みたいなものが底辺に流れていれるような気がした。
著者の近藤弥生子さんのこの本やその他の本の中での言葉によると、今の台湾はもっとこの本に描かれている時代よりも人が人を尊重し、EQの高い、スルー能力の高い社会であると。
社会のあり方も随分と成長し、より良く変化しているようなのだ。
それを読んでいると、日本も変われるはずだなーと思った。
でも、そのためには今の問題は何で、そのために何に向かい、何をどう変える必要があるのか、そのことを人々が認識して行動に移す必要があるんだなと感じた。
台湾のパワーってすごいと思う。この変化、この数十年で人々が生きやすく変わって来た社会。
同じアジア人として見習う必要がある。
今の若者たちのために。
今からの日本では、『老害』といわれることで活躍するのではなく、『老善』と言われるようなこと、、具体的に何をして良いのかわからないんだけど、未来に繋がる、世の中の『生きやすさ』の下地づくりをしていくことーーー。
それが急務だと思っている。
生きやすい社会って、何かを変えられるパワーのある社会って、それだけで魅力的。
してはいけないのは、変えることを諦めたり、考えることをしなくなるような、その人の生きる力を奪うこと。
今の時代、読書をしない若者が増えているとのこと。
本を読むことは平和に近づく一番の道だと思う。本を読むことで得られることは、果てしなくある。人の心に直接腹落ちさせるような、そんな大きな効果。
紙をつかった文化が素晴らしい日本において、デジタル本も良しだが、紙の本を読んで自分のなかにたくさんの広がりを持たせ、自分づくりをしてほしいな、、と、スマホながめる時間の長い自分がそもそもそんなに人様に言えないのだけど、それでも、読書からこの年齢でも得られることが豊富にあるのだと実感できているのだから、とにかくなんでも良い、本を読むこと、絵本も良い、読んで感じるものーーを心の宝にしてもらいたいと切に願うのだった。
心を豊かにしてくれる、自分の頭に違う感覚をくれる、そんな本に、若者には出逢ってほしいなと切望します。