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壁の向こうの、あちら側の世界

私はおそらく、様々な“壁”を持っています。

大きいものから小さいもの
意識しているものから意識していないもの。


きっとそれは、

大きければ大きい程
意識しないようにすればする程

それはきっと
『その先には何があるんだろう?』という興味の現れ。

と同時にそれはきっと

『壁の向こう側に行ってみたい!』

という気持ちの現れ。


でもあちら側は、
観たことないし、
経験したことないし、
周りの人は危険だって言う。

壁の向こう側の世界は
とてつもなく恐ろしい。

きっと、観ないようにしていた方が都合よく生きれる。

『その先に行くのは危険だ!』
と思い込んでいる壁。



でも、そんな壁を

様々な壁を無視して生きること

その壁を感じないように
避けて生きることは

どこか息苦しく
『どこか何かが違う』
『私はいったい誰なんだろう?』

きっと、そう感じてしまう。


それは、
壁の向こうの世界を無視して生きる代償。



でも、そんな想いが強ければ強いほど
避ければ避けるほど、ホントは

そちらの世界を知りたい!
いったい何が待っているんだろう??


そんな、気持ちを揺さぶるような
ワクワクが詰まっている世界なのかもしれない。


ただ、壁の向こう側の世界は怖いよ!

そういう人が周りに多かっただけなのかも知らないし、賛成してくれる人がいなかっただけかもしれない。

ただ、自分の気持ちに正直に向き合うのが怖かったのかもしれない。



でも、
その壁の先が楽しいと知っている人に出会い
そちらの世界が自分自身でも、少しでも


『あれ?怖いところじゃないかも??』

って少しづつ、
壁の向こう側の世界を意識することが増えていくと

きっとその壁は少しづつ崩れていき



『あれ?もしかして楽しいところなのかも?』

って想えたらきっと、ほぼ壁は無くなっていて


あちらの世界を創造して、


『なんかワクワクする!
もうむしろ楽しい世界でしか考えられない!』



までになってたら

以前は、あんなに大きな大きな高かったあの壁は


きっと、完全に崩れ去り




もうすでに、
昔は壁の向こうだったあちら側の世界は
もはや『今』この場所に立っているこちら側に


いつのまにか片足は突っ込んでて



昔は
“満足させようと頑張っていた”


という、自分自身に気付けるのかもしれない。


こちらの世界は安心で安全だよ!
向こうの世界は怖いから近づかない方がいいよ!

そんな周りの声に揺さぶられていて
本音の自分がわからなくなっていただけなのかもしれない。



自分の本音の気持ちに気付き

あちらの世界を楽しく創造し
壁の向こうの世界に行きたい!絶対行く!


と決めたところから
今まで経験したことのない
楽しさや感動する世界が、繰り出され始めるのかもしれない。



そうすれば、あとはその辿り着いた世界を
色とりどりに自分なりに楽しく描き、

創造を膨らませ

ワクワクと日々を送る


そうすれば
いつのまにか、


壁の向こうの世界はとてつもなく怖い!
と思い込んでいた自分自身がウソのように、

きっと、自然に楽しくイキイキと過ごしている自分に気付くはず。



そしてきっと
まだ未知なる私の『壁』はたくさんある。


と同時に、今まで経験してないような
『楽しい世界が待っている』という証


それをワクワク創造しながら
壁をどんどんぶち壊して生きていきたいな。

未知なる自分を
未知なる壁の向こう側の世界を


ワクワクと創造する
それだけでいいのかもしれない。




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