感覚の違い
以前の私は、いいよ!と勧められたものには結構飛びついていました。
今は自分のフィルターを通して選択している感覚があり、そうやっているからこそ『自分で人生を選択している』という感覚になれてます。
その感覚の違いってなんだったんだろう
ってふと思ったんです。
なので、いい機会なので感覚を言語化してみようと思います。
人が勧めてくるコトバの受け取り方が明らかに違ってました。
以前の私は
私という周りに私の膜がほぼない感じ。
コトバが、あらかしなんでもすぅーっと入ってきて心に届く。
結果、、飛びつく。
もうツウツウです。 笑
今の私は
私の周りに私という膜がちゃんと存在している感じ。
コトバは、まずは膜でどのくらい入るか精査されます。
時に少しだったり、時にダイレクトに入ってきたり。
昔もらったアドバイスのコトバが、実は心の奥底に眠ってて時を経て今響き出したり。
今はきちんと膜が存在しているので、そのコトバが私の中に入って占めていく割合がそれぞれで、その時々で違うのです。
そして入ってきたコトバは、私自身のフィルターを通し自分色にアレンジされます。
そして選択し、行動になる。
きっとそれが
『自分で選択して生きる』ということだったんです。
どこで生まれて、誰に育てられて、どのような価値観をもって、どのように生きてきたかは全く違います。
そして、どう生きていきたいかという意識も違います。
自分と同じ人なんて一人もいません。
だから
私の持ってる私自身の膜もフィルターも
読んでくださっているあなたの膜もフィルターも違って当たり前です。
だから、そのコトバを受け入れようとも、断ろうとも、
少し取り入れようとも、心の奥底に眠らせとこうとも、年月を経て温めて育てようとも、それぞれの自由。
ただその膜を強化してフィルターを自分色に染め上げていくその工程が必要だったのだと
今では想います。
以前は膜さえ、フィルターさえなかった私が膜やフィルターを創って育てている。
とても大きな進歩!
と自分を褒めてあげたい! 笑
と、話はそれましたが、、、
そういった感覚の精度を身につけよう。
そうすればするほどに、
自分の感覚を認めれれば認めれるほどに
みんなちがってみんないい
と金子みすゞさんが言っているコトバさえも
自分のコトバにすることが出来るかもしれません 笑
そうすれば、
人も自分も認めれる、受け入れられる世界がきっと待っていると想います。