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恐怖な、顔出し

数年前から始めた、FacebookもLINEのアイコンも花のアイコン。

花にしたいとういうよりむしろ
『顔を出したくない』であった。


何故か私は顔を出すことに抵抗感があった。

Facebookでたまに投稿する記事の写真は、風景のみ。私は自分を『特定されたくなかった』のだ。

Facebookでどこかキメ顔で撮っている様な写真、私生活をさらけ出して書いている投稿を観てどこが嫌悪感を感じていた。
『こんな顔の人がこんな事言ってるんだ!
こんな事考えてるんだ!』そんな風に思われたくない。そう感じていた。

なので、記事の内容も、これなら書けるな。と感じる私自身がOKを出した物しかかかない。
自分の写真、無いな。OK。


そこには、究極の自己否定があった。
そこには、究極の嫉妬があった。
そこには、究極の枠があった。


こうやっていたら、別に特化したすごい人だと思われなくても、平均的に思われて、誰に対してもイヤな人だと思われない。

以前は、嫌われたくない。が強かった。
それが生活にも繁栄していたような気がする。

特に、嫌われたくない人に、
どこか意見を合わせる。

そうじゃなく、そうじゃなく、
私は自分を表現したかったのだ。



本当は、自分を出して表現出来る人が羨ましくて仕方なかった。

自分に無いモノを持っている。そんな風になりたいけど、私は絶対なれない。そう、どこかで決めつけて、それが嫌悪感となって現れていた。


アイコンで顔を出すという事は昔にとっては、嫌悪感を抱くほど高い、高いハードル。
色んな私生活からの経験と、noteで自分をさらけ出して表現するという経験。そんな経験を徐々に経て、そのハードルが低くなった。自然の流れでアイコンを自分の顔に変えてみようかなという気になったのだ。


それは、自分を受け入れ始めたから。
それは、個性を受け入れ始めたから。
それは、枠が外れ始めたから。 


アイコンを自分に変える。
他の方から見れば、ただそれだけの事。 

たかがアイコン。されどアイコン。笑


私にとっては成長を感じる、一つの成果。


人によって、成長を感じる過程は違うと想う。

人からみたらそんなことかも知れないけど、自分にとっては大きな進歩。そんな時は、最大限に褒めてあげて。



これからも、自分を自分のペース、タイミングで自分を表現し、本来自身が望む生き方をしていきたい。

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