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自分のコトバで
コトバには
軽さも、重みも、エネルギーもあるように思います。
人それぞれの文章を読んでいたら文字だけじゃ無い、その人の内面からでるその人独自のものが出ています。
それは、その人だからでるモノ。
その人が人生を経て体験し、経験し、実感しているからこそ、そのコトバには魂が宿り、結果人を感動させることができる。
たとえ、本を読んで、人に聞いて、わかった気がしていても、どうしてもそれはその人の体験であって、自分の体験ではありません。
本や、人から得た情報を参考にして
自分自身が『腑に落ちる』という経験をしてから、それを自分なりに咀嚼してそれをコトバにする。
たとえ、あの人とあの本と〝同じような内容”だとしていても。
書く人が違えば
経験が違う
気持ちが違う
想いが違う
だから全く違うモノ
それはその人からしか、出てこないコトバ。
こうやってnoteを連日書かせていただいている中で、気をつけていることがあります。
それは、
『これは自分のコトバだろうか?』
『誰かのコトバになっていないだろうか?』
ってことです。
インプットばかりしていたら、そのコトバがあたかも自分のように感じ、経験したかのように感じます。なので、自分のモノじゃなくても自分から発せられているモノではないか?と錯覚してしまうこともあります。
インプットが悪いと言っているのではなく、人はそれぞれ補い合って生きているので、人の意見を取り入れていくのは自分を生きるヒントとしてとても大切なことです。
でも、それが自分のモノになってないものならば、そこには気持ちも、エネルギーも感動も生まれません。
きっと人は、そのコトバの裏にある気持ちやエネルギー、その眼に見えない何かを、そのコトバから感じ取っている。
その時に、その人の個性を感じ、感動が生まれ感情が揺さぶられる体験をするんだと思うんです。
人のコトバになっていないだろうか?
そこを注意しながら書いていますが、きっとどこか人のコトバになっていたりする時もあると思うんです。
『腑に落ちる経験』
悲しい、嬉しい、楽しい、面白い。
気持ちが揺さぶられた経験
情熱をもった経験
それらの全ての自分が体験した経験が
その人の魅力となり人を魅了させていく
そんな様々な経験が、自分を表現していく上で、とても大切なんだと思います。