完璧な親はいないから・・
自分をまるごと受け入れてもらうことの必要性
人間は、生まれてから6歳ぐらいまでの間に、親や周りの環境からすべてのものをダウンロードするようになっている。
赤ちゃんの頃は自分では何もできないから、親がリモコン替わりだ。お腹がすいて泣けばお母さんがお乳を飲ませてくれる。眠くて泣けば抱っこしてくれる。ウンチをして泣けばおむつを替えてくれる。少し大きくなって、おもちゃがほしいといえば買い与えてくれる。
そうやって、願ったことを全部親が喜んでやってくれることで、子どもは「この世は安全で、自分がいつも愛され守られており、自分の望む人生を生きることができる」という確信をもつようになる。
また、泣きたいときには泣き、怒りたいときは怒り、笑うときには声を上げて笑い、すべての喜怒哀楽を自由に表現してもすべて受け入れてもらうことで、「どんな自分も受け入れられている」という安心感を持つ。
そんな風に育った子どもは成長すると、感情が安定して自己肯定感が高く、人との関係もうまくいくようになる。失敗や挫折の経験をしても心が折れることなく乗り越えられるし、自分の短所や欠点を見つけたら、きちんと向き合っていける。
ところが、残念ながら、私たちは誰一人そういう完璧な親に育てられていない。
丸ごと受け入れてもらえないと・・
親にこっぴどく叱られたり、甘えたいときに甘えられなかったり、拒絶されたり拒否されたり、イライラをぶつけられたり、兄弟と比較されたり、ないがしろにされたり、いろんな心の傷を受けてきた私たち。
だから私たちは、無意識のうちに罪悪感や無価値観を持っている。そして自分の欠点を見ると、自分という存在そのものが何か欠けているような錯覚に陥る。
根本的に自分は何か罪深く、それを許されるためには罰を受けなければならないという錯覚に陥る。その罪悪感で自分を幸せから遠ざける。
失敗や挫折をすると自分を裁き、自分は価値がないと感じてしまう。
そして、人生の大半を、他人に認めてもらうために、他人に受け入れてもらうために、他人に好かれるために、エネルギーを消費することになり、自分らしい人生を生きることができなくなる。
これは、私たちが親に「そんな自分でも愛され、まるごと受け入れられている」という確信を持てなかったことが原因だ。
実際は親自身も、完璧な親に育てられなかったため、自分自身をありのまま受けいれられず、罪悪感や無価値感、自分は何か欠けているという感覚を持っている、心の傷を背負った人間なのだ。
完璧な親は絶対いない
人は、自分の光の部分も影の部分もまるごとひっくるめて無条件愛してくれる存在がいて初めて、安心して自分の影の部分と向き合うことができる。
ところが、そうでない場合、影の部分を見せたら愛されないという恐怖感で、人は、自分の影の部分が出てくると、それをいけないものと感じてフタをしてしまう。
例えば、ささいなことで腹を立てるという欠点がある場合、相手に怒りをぶつけてから心の中で「またやっちゃった。私はどうしてすぐに怒ってしまうんだろう」という風に自分をジャッジする。するとその欠点は治らないばかりか、どんどん強化され、怒りっぽくなっていく。
だから、私たちには、良い悪いをジャッジされず、どんな自分もまるごと受け入れてくれる存在が絶対的に必要だ。
残念ながら親がそういう存在でなかった場合、私たちは大人になって無意識に恋人やパートナーに完璧な親の役割を求めてしまう。
自分がどんなことをしても理解し、無条件受け入れてくれること、そして自分を一番に愛してくれることを相手に期待するのだ。
ところが、その人たちもまた心に傷を負っている人間だから、こちらの欲求を満たすには役不足である。傷ついた人間同士が相手にどんな自分も愛してくれることを期待しては裏切られ、また傷つく。
結局、生身の人間にどんな自分も包んでくれる完璧で無条件的な愛情を求めることが、無理なのだ。
じゃあ、どうすればいいのか?
親の代わりに自分を受け入れてくれる存在
神さまとか、サムシンググレート、無限の大いなる叡智とか、名前は何でもいいけれど、この世界を創った、人間ではない無形の存在に、親になってもらうことだ。(ここでは神様と呼ぶことにする。)
実際、人間の本当の親は神様と言われる存在である。なぜなら、私を生んでくれたのは両親だけど、両親が私の体を一から設計したわけではない。妊娠して出産すると、このような体を持った私と言う子どもが出てきたのだ。もちろん、私自身も心臓や胃腸などを自分の意志で動かしている訳ではない。この世に出てくるのもあの世に行くのも、自分で決められない。だから人間は結果的存在である。人間を創られたのは神様という存在だ。
でも神さまという存在はあまりにも壮大すぎて、少し抽象的すぎる気がする。神さま一人を何十億の人類と一緒にシェアしているようで、「自分の親」という実感がわかない。
だから、もう少し身近に感じられて私が独り占め?できるような存在が必要になってくる。つまり、私の守護神という存在だ。
どんな人にでも必ず守護神がいる。守護神は大部分、私と血のつながりのある先祖であることが多い。誰にも、私と同じような性格のご先祖様もいれば、恨みを抱いているご先祖様も、ちょっと悪いことをしたご先祖様もいる。反対に、気の遠くなるような年月をかけて神様ともいえるレベルに達した高潔で慈愛に満ちたご先祖様もいる。
そんな神様のようなご先祖様の中でも私のことを生まれた時から担当していて、一生涯見守ってくれているのが守護神だ。こうなるとその方と私は1対1の関係だ。
その方は、私のことは何でも知っていて、常に守ってくれて私の幸せを願ってくれている。どんなときも絶対的に私の味方で、私がどんなことをしようが考えようが、裁くことなくまるごと受け入れてくれ無条件愛してくれる存在だ。まさに完璧な、理想の、親なのである。
そういう存在は、どんな人にも必ずいる。そして私が呼びかけると必ず応えてくれる。質問すれば必ず答えをくれる。
でも、私が気づいていなかったり、何も求めていないのに、その方のほうからその存在を知らせてきたり干渉してきたりはしない。それは宇宙の法則に反するからだ。あくまでもこちらからコンタクトを取らないといけない。
その方に対して、小さい子どもがママに対してするように、接してみよう。
ノートに秘密の手紙を書くとか、瞑想して語りかけてみよう。悩みを相談してどうしたらいいかを尋ねたり、夢が叶うように頼んだり、手に入れたいことは得られるようにお願いしたり、どんな思いも包み隠さず率直に伝えるといい。
幼い頃から今まで生きてくる中で、寂しかったこと、悲しかったこと、傷ついたこと、怖かったこと、失望したこと・・誰にも言えなかった心の傷を、守護神に打ち明けてみよう。
最初はぎこちなく、本当に聞かれているのか実感もわかなかったり、白けた気分になるかも知れないけれど、続けてみると、だんだん感じられるようになってくる。
そして、いつの間にか質問したことへの答えが見つかったり、お願いしたことが叶えられていたり、心の傷が癒されてくるのを経験するだろう。
目に見えない存在との関わりで幸せな人生を
そういう存在と1対1の心の触れあいを通して、私たちは「愛されている、守られている、許されている」という安心感を得る。
この安心感があってこそ、私たちは自分の持つ能力を最大限に発揮して自己実現することができる。
私たちは、生まれてくるとき、親を選べないし、育つ環境も選べない。けれども幸いなことに、私たちを絶対的に愛して守ってくれている完璧な親のような存在は必ずいる。
生んでくれた親から「絶対的に愛されている、守られている、許されている」という感覚を持たせてもらえなかった人は、守護神にとしても、守護神という存在からそういう感覚を得て、心に安心感を育てることは十分可能なのだ。
実際、世の中でいろんな分野で成功している人々は、神さまとか守護神という目に見えない存在をいつも意識している人が多い。
サッカー選手が試合前に胸の前で十字架を切り、ゴールを決めた瞬間に感謝の祈りをささげているシーンを目にしたことがあるだろう。
目に見えない存在との関係を築いている人は自分がいつも守られ、導かれているという確信があるから、自分にあるすべての物事に感謝の思いがわいてくる。予想外の出来事が起こったとしても「何かプラスの意味があるに違いない」と考えるので、怒りや恨みに振り回されることなく、そこから何かを学び取って成長の糧にすることができる。
自己啓発の大家、ナポレオン・ヒルも著書の中でこう言っている。「人間の脳には、ありとあらゆる知識がつまった『無限の知性』と直接コミュニケーションを図ることのできる機能が備わっている。能は無限の知性から情報を得るための受信器であり、それと周波数を合わせることで、自分の願望を具体的なものに転換できる。」
目に見えない存在をどれほど近くに感じているか、その存在と一対一の心の触れ合いを持って交流しているかどうかが、人生で最大限の幸せを感じるたの鍵を握っている。
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