ここ数日、自分の過去を開示しながら振り返っている。
2歳児からトラウマを抱え、自己否定感や無価値感を『確認』するように生きてきたように思う。
引き寄せの観点で見ても、わたしは愛されてないと思い込んでいるからこそ、イジメにも遭ったのだろう(少なくともわたしは)と思うし、家族からも冷遇されていたようにも感じられたのだろうと思う。
これは先日Facebookで書いたものなのだけれど、2歳児のわたしの呪いを解いてあげたら、過去の経験の見え方がだいぶ変わったように思えるのだ。
呪いを解く、というより、やっと『呪いにかかっていた』という事実に気づいたレベルなのだけれど。
オセロは、黒一色のところを白で挟み討ちすれば、白に変えられる。それと同じように、記憶も最初の一枚を黒から白にひっくり返すことができたら、残りの記憶や経験も全部、白にひっくり返るのだ。
『愛されてない』が『愛されている』に
『望まれていない』が『望まれている』に
『居場所がない』が『居場所はあった』に
勿論、まだ[かもしれない]レベルだ。にわかに信じられないでいる部分はある。
でも、わたしは昔から愛されていたのかもしれないと前提が変わるだけで、歩んできた道が全然違うものに変わるということだけは確かだ。これを確信に変えていきたい。
今なら、もうひとつ高い視点で見て、親とか家族とかクラスメイトとかの人間レベルで判断しないで、どんなときでも神さまはわたしのことを愛してくれていたし、わたし自身もわたしのことを愛していたのだと言える。
つらい経験や困難さえも、広い意味で[愛]なのだと。生きているってことは、少なくともわたしにとっては[愛]ゆえの選択だと思っているから。