day345 残り21日、使命について、そもそも論からやり直してみる。
昨日の翔太塾で、自分のビジネスと使命について考えたのだが、全然薄っぺらくて軽く絶望した。
かれこれ何年も、いや20年以上も、デザイナーという仕事をしてきている。やってきたからやれてる、という部分は大きい。
一度デザインの仕事から離れて、別の仕事もした。そのあと戻ってきたのもあって、なんだか天職のような気もしていて。
でも改めて、これがわたしの使命なのか?と問われると分からなくなるのだ。
これほどの年月をやってきていながら、未だに「わたしごときがデザイナーなんて名乗って申し訳ございません」と思っている節もある。
そして他のデザイナーさんたちに対して凄いなぁ素敵だなぁと思うたびに、別にわたしでなくても良きですかね、と思ったりもする。
それでも続けてこれているのは、やはり天職なのかどうか。
好きと得意は違うという。デザイン制作は得意になるのだろうか。ノーデザインノーライフ、と胸を張って言えるほどに、わたしはデザインの仕事をしたいのだろうか。
さて、仮説がふたつある。
いまのわたしは、得意なこととしてデザインを選んでいて、好き(使命)は違うものかもしれない説。
または、デザインが好き(使命)なのにも関わらず、何処かでそれを認められない自分がいる説。
で、そこまで書いて気づいたのだが、デザインって、そもそも『ツール(手段)』だ。
ということは。
躓きポイントは、デザイナーという肩書きにありそうだ。この肩書きに惑わされて、肩書きありきですべてを考えてしまう。
デザイナーだから、デザイナーならば、という、この枕詞めが。
問題は、その先だ。
ツールがデザインだろうが占いだろうがブランディングだろうが、そもそも[わたしが届けたいもの]ってなんなのだ?ということ。
そんなわけで、自分のウェブサイトを見て確認してみた。
すべての人が「ジブンスタンダード」で生きる世界
みんなが自分基準で、緩やかに優しく生きられること。他人の物差しで自分をはからない生き方をすること。
わたしを含めたみんなが、楽しく、笑顔で、しあわせであること。
みたいな、ことかな、と。
これもまた仮説に過ぎなくて、また改めて考えてみることにするのだけれど。
なんにせよ、いっぺんデザインから離れてみる必要がある気がしている。