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過去の振り返り方(1)

自分軸を取り戻す作業をしていく時に、要(かなめ)となるのは、自分という人間をよく見ることなのですが、これは大変辛いです。 人生がうまく行っていない時、落ち込んでいる時には、過去の様々な出来事が思い出されますが、 「あの時こうしていたら、うまく行っていたかもしれないのに」という気持ちは、多くの人が経験することと思います。自分はなんて嫌なやつなんだろうとか、恥ずかしくて穴があったら入りたい、よくあんなことができたな、申し訳ないことをした、私はどうしようもないダメ人間だと、自責の念でいっぱいになることもあるでしょう。こんな気持ちになるときは、辛いです。悲しいです。苦しくて寂しいです。孤独でどうしようもなく、自分が一人ぼっちだと痛感します。苦しんでいる自分は、なんて不幸なんだろうと思うかもしれない。

でも、苦しんでいるんだけれども、辛いんだけれども、実をいうと、これは、自分を見ているようで見ていないです。どこかで、誰かに、「そんなことないよ」と言って欲しい気持ちがあるんです。「私、これだけ苦しんでます」というのをわかって欲しい。 それは、やはり他人本位の承認欲求で、自分主体ではないです。「反省」は、自分で自分をどれだけ責めることができたかではなく、どこまでじっと、ダメな自分と一緒に居られたかです。これができていないと、解決したようでも全く解決していません。 そして、終わっていない問題は、何度でも巡ってきます。十年前に処理したと思っていた出来事と同じようなことが、又巡ってきて、自分はその時と全く同じ反応をしてしまうのです。

過去の出来事を振り返るのは、具体的で、建設的な行為ですが、ここで一番大事なのは、体を通して反省することです。

私達地球人は、重力という制約の中で生きています。心、体、感情、気持ち、行動の全てに、重力は関わってきます。「頭で」反省してしまうと、脳の中に随分前から刷り込まれている、自分が悲劇のヒロインであるイメージや、「反省のイメージ」をなぞってしまい、いくら、「次からはこうしよう」と思っていても、なぜかわからないけど、同じ間違いを繰り返してしまったりします。反省したつもりだったのに、またキレてしまった。まるでオートマチックに、スイッチが入ったみたいになぜか、そうなってしまう。体の奥深くにある何かが着火して、繊維や骨に染み付いている感情で筋肉が動き、爬虫類脳にスイッチオンで自己防衛してしまう。理性で抑えるなんて全く無理です。体が勝手に動いてしまうんですから。

人が「反省」に向かう時の第一歩は、自分の体の中にある感情にぐーっと入り込むこと、そしてひたすら体で感じることです。自分という人間を、隅の隅まで感じる。知り尽くす。体の中のどこにどんな過去の体験や思いが染み付いているのか。この体感を通して自分を知り尽くすことで、初めて過去の出来事を資料として使うことが出来、未知の未来に向かって進むことが出来ます。

 

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