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私たちは理想の社会を想像することができるか

理想の社会。それは、一体どんな社会でしょう?

お恥ずかしながら、私は長年、「社会」というものに面と向かったことがありませんでした。二十代で自分の人生の先が見えてしまった窮屈な日本社会を飛び出してから、「どうにかアメリカで生き延びていく」ことに集中し、三十代からは、「どうにかアートで食べていく」ことに集中していたため、既存の「社会」をそのまま受け入れてきてしまったのです。

「この部分は苦手だな。暮らしにくいな。」と思ったことは時たまありましたが、日々の仕事をこなすのに夢中で、ここ十年ぐらい前までは「社会」がどうなったら良いのかなんて、考えもしませんでした。作品の中では、それなりに世の中の様々な問題に焦点を当てて追求し、観客の一人一人の意識を高め、感覚を呼び覚まして、もっと豊かに可能性と想像力が広がる人生を生きるのに、少しでも助けになればと思ってやってきました。それで、自分の思う良い社会に向けて貢献していると思っていたのです。

 でもいくらやっても、何も変わりません。社会はどんどん非人間化していき、手枷足枷が増え、「大人になるとはこういうことだ」と教え込まれ、「希望」や「可能性」が最小限になってしまい、既存の考えから外れることが難しく、適当に楽しく、適当に不幸せで、末は、「人生ってなんとなくこういうもんなんだ」と自分でも思い込んで終わってしまう。 

いやー。人間の可能性ってそんなものではないです。その無限さにアクセスするには、まず「社会なんて変わるわけがない」という諦めのモードを切り替える。その第一歩は、日常の、日々の意識を変えていくことでしょう。アートや本や、レクチャーは、それを補佐するものでしかありません。

でも、「社会をよくする」ってどうすればいいの?問題が大きすぎて、自分に何かできるようには思えない。。。そうですよね。どうしたら良いかわからないから、いわゆる「社会のためになる」ことをやっていれば、「理想の社会」が実現すると思いたいんですけど、現実はそうはなりません。実際自分も何年もそうしてきて、いくら一生懸命やっても、壊れていくばかりなのを見てきました。

今、私たちに必要なのは、人間に備わっているパワフルな能力をフル活用することではないかと思います。

そうです、想像力です。私たち一人一人があってこそ、社会があるのならば、個人個人が主体となって、まずは、「私が理想とする社会」を想像してみてはどうでしょう?

「理想の社会」には、どんな空間が広がり、着るもの、食べ物、住居など、人々はどんな暮らしをし、経済はどうやって循環していくのが一番自然な形なのか、人と人とのコミュニケーションはどう行われるのか、教育は?健康の保持は?精神生活は?

そんなこと想像したって、何にも変わらないよと言わずに、どうかやってみてください。変わるか変わらないかは問題じゃないんです。問題は、「理想の社会」を細部に至って想像することができるかどうかです。「理想の社会」を想像するのが、難しいようなら、何かもっと具体的なところから始めてみてはどうでしょう。例えば、「戦争がない」「皆が平等な」「人々が幸せで、他人を思いやり、何の心配もいらない」社会とは?「幸せ」とか「何の心配もない」ことが自分にとってどんな意味を持つのか、振り返る良い機会になるかもしれません。

私達に与えられた素晴らしい想像力をフルに働かせ、個人個人の主体意識が変わり始めると、社会は変わらざるを得ません。理想の社会が細部に至って想像できるようになると、自分の持つ内なるパワーは輝き始め、その波動は周りをも変革させていくことでしょう。


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