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学校は人間を育てるところか? (その四)~ 競争意識と結果思考
さて、「知識を身につけて人としての成長を測る」のがリベラル・アーツ・カレッジの本質ですが、その本質を脅かすものが二つあります。
一つは、「競争意識」大概の学校には、成績というものがあり、ABC評価で、Fは落第です。つけた成績は、上の教育委員会に提出しなければならず、あまりAが多いと、成績をつける基準がしっかりしていないのではないかと思われ、基準を細かく正確にするように言われます。私の知っている先生は、一つのクイズは5ポイント、その基準はこれ、プレゼンは10ポイント、その基準はこれ、出席についてはこれ、クラスに参加する意欲はこれ、と逐一項目があり、毎回クラスが終わる度に成績表をつけていました。評価は大事ですから、特に悪くはないのですが、ここで問題なのは、縦につけるか、横につけるかです。本当に一人の人間の成長を見ているなら、最初から最後まで、縦につける、つまりその人の成長度を評価するのが筋ですよね?ところが、ほとんどの人は、横につける。または、横につけて最後にボーナスで、縦でみた結果を加える。この人の出来とあの人の出来を比べるわけですね。もし、生徒が成績にクレームをつけにきたとすると、「他の人と比べてあなたの作品は。。。」と言うことになるわけです。これ、芸術分野での話です。生徒は優れようと思ったら、競争します。人よりもうまく、人よりも高く。そしてゴールを達成する。「どうしたら、Aがとれるんですか?」と聞きに来る学生も出て来る。そこが、次のポイント、「結果思考」と関連してきます。
Aをとることが目的になってくると、生徒は、先生が自分の仕事をどう思っているかが常に気になる。先生に気に入られるようなことをジャーナルに書いたりする。先生と仲良くなろうとする。先生と生徒の間にパワー関係ができ、「優等生」なるものが作られていく。。。こういう構図を学んだ生徒は、社会に出てからも上手く世間を渡っていく方法で生きていくことでしょう。しかし、「人間としての成長」はどうなったのでしょう?他人の評価で自分を測る生き方を続けていくと、社会のエリートには慣れても、自分の人生のエリートにはなれません?自分の人生を人間として豊かに生き抜くことはできません。ゴールを持つのはある面では良いことかもしれませんが、「競争意識」と「結果志向」についてあ、とても疑問に思えるのです。
「競争」や「結果」も、他人と比べたり社会に認められるのとは別のところで、自分が成長するために使えば良いのですが、評価されていることで雇われていたり、それが何らかの賞や報酬につながっていると、そういうわけにもいきません。人間は、そうは言っても承認欲求を完全に捨て去ることは不可能に近いので、認められない体験を繰り返すと、自己肯定感や生きる気力にも影響が及んでくることでしょう。それなら、自分を信じ切って、道を切り開いていけば良いのですが、教育機関という環境の中に留まっていると、そういうわけにもいきません。本来のリベラル・アーツの理念では可能だったかもしれませんが、今の学校の現実では難しく、それは、人間を育てるのではなく、生産性を伸ばすことに力を入れてきてしまった所以ではないでしょうか。