はじめてのおつかい[2024/8/28(水)〜9/3(火)]
2024/8/28(水) 夜になっても、仲良くいられる
昨日のそぼろご飯の余りを、朝ご飯にする。
「どうして朝はこんなに仲良くできるのに、夜はできないんだろう」「夜はふたりとも疲れてるからじゃない?順番のせいとかじゃないよ」お風呂を先にしたらよかったか、と昨日私が言っていたことを指しているのだと思う。
夜うまくいかないのは、順番のせいでも、私のせいでも、娘のせいでもない。「朝だったらふたりとも、おはよう!元気!ってなってて、仲良くできるんだよ」。二人でぎゅっとして「ネリネリネリ」と言いながら、互いの体に頭をぐりぐりした。
朝ご飯を食べ終わると、「〇〇ちゃんは車づくり工場の人ってことね」と娘は昨日の続きの、段ボールの車を作り始めた。段ボールをガムテープでつなげてハンドルをつくる。「茶色い糸ちょうだい」と言われて、物置から麻紐を取り出して渡すと、段ボールに穴を開けて紐を通してハンドルをつけていた。ただガムテープで貼り付けるだけじゃないんだ!とその工夫に感心する。
「あとはタイヤをつけたいんだよね。〇〇ちゃんは頭いいから、いい頭と脳みそで考えなきゃ」。アイスクリームのカップの蓋をタイヤにして、転がるようにしたいらしい。果たしていいアイデアは浮かぶのだろうか。
私は昨日クリアできずにモヤモヤしていた仕事のタスクを、無事にクリアする。
お昼ご飯を食べて午後も仕事。ついでにできればやりたい、と思っていたことも片付ける。娘がひとりで遊んでくれてありがたい。
白いカーテンの向こうの空は、明るくなったり暗くなったりしている。「〇〇ちゃんは今日は全然外行きたくない」と娘が言う。昨日はあんなに外出したがったのに、今日は行きたくないらしい。
タスクを片付けた私は、せめて近所の散歩にでも、と出かけたくなったが、気がついたら17時を過ぎていた。一日体を動かしていない娘は眠れるだろうか。二人で体を動かそう、と、YouTubeのダンス動画を見ながら、一緒に踊る。
1曲終えて、私は餃子をつくり始める。お昼に炒めた空芯菜を刻んで、餃子の具にする。
娘が「ヨガしたい」と言うから、ヨガの動画を流してやる。ヨガを終えるとパソコンを閉じ、「じゃあ私と一緒に踊ってくださいね」と見えない誰かに向かってダンスの先生をやり始めた。この子はなんでもすぐ吸収する。
餃子を娘と包もうと思っていたが、ダンスの先生として忙しい娘に「やらなーい」と断られ、ひとりでモクモクと包む。昨日行ったカフェの近くの製麺所で買った餃子の皮は、いつも使っている皮より大判で厚手だ。
「今、ミラキちゃんがお客さんでやってるんだけど、お母さんもやりに来てね!」と娘に声をかけられる。ミラキちゃんというのは、架空のお友達である。今日一日娘の口から何度か名前が出てきていた。
餃子を焼いて、冷汁をつくって、娘のお客さんになりに行く。「元気いっぱいで、とか、最初はゆっくりでだんだん元気に、とか選べるから」と娘が教えてくれる。最初はゆっくりでコースを選んで、娘の動きに合わせて体を動かした。ゆっくり腕や足を動かしていたのはほんの数秒で、すぐに飛び跳ね始める。ずっと飛び跳ねているから、私は全然付いていけなくなった。
休憩にしてもらって、夕飯を食べる。餃子はひとつひとつ大きく、食べごたえがあっておいしかった。
お風呂を沸かして入る。娘が入らない、と言うからひとりで入る。出かけなかったし、良いだろうと思う。湯船でゆっくりしていると、パジャマに着替えた娘の顔がドアから覗いて「まだあがりませんかー?」と言われた。
ストレッチをする。今日は夜になっても、仲良くいられる。お互い疲れていないからだろう。
夫から、トラブルがあってまだ帰れないでいる、とメッセージが届く。返信しようとすると「〇〇ちゃんがする!」と娘が言う。最近スマホで文字を打つことを覚えてきた。「ぎ、だから、“か”のところ押して“き”をみつけて、その後点々打って」などと伝える。「ぎょうざフライパンにあります」と打てて、娘は満足そうだった。
歯を磨いてやって、爪を切ってやって、寝室へ。眠れなかったらどうしようと思ったけれど、向かい合っていた娘は目を閉じて、寝息が聞こえ始めたから、安心した。
2024/8/29(木) はじめてのおつかい
今日も朝から雨が降っている。予報では午後から降るとあった気がするが、午前中から勢いがある。朝9時近くに娘は起きてきた。両手をぐんと伸ばして「おはよー!」とこっちにやってくる。私も「おはよー!」と両手を伸ばす。
朝ご飯を食べて、仕事。「昨日のヨガしたい」と娘が言う。「この仕事終わったらね」と言う。調子が出て、ひとつ目の仕事を終えて、次の仕事を進めていると娘がやってきた。「ママこの仕事終わったらヨガするって言わなかった?」「あ、ごめん!」「約束したのに」約束したよねーと思い、仕事の画面を閉じて、昨日娘がYouTubeで見ていた「朝ヨガ」を一緒にする。体が伸びて気持ち良い。
続けて、私は筋トレ。娘がダンスをしたいと言って、ダンス動画を見ながら一緒に踊った。
仕事の続き。
娘が「ココア飲みたい」と言う。「牛乳がないからできないな」と答える。「〇〇ちゃんが買ってこようかな」「え、ひとりで?」「うん!」。娘がポシェットから財布を取り出して「これ持っていったら買えるかな?」と言う。500円玉を指して、これ1枚あれば買えると思う、と伝える。
「じゃあ、行ってくるね!」「本当に?お母さん後ろからついていっていい?」「どうして?」娘はまだひとりで買い物に行ったことがない。
その間も私はパソコンに向かってて、急ぎの返事をしなければならないメッセージを打っていた。
「行ってくる!」そう言うと、娘は500円玉を握りしめて出ていった。追いかけなきゃと思いながら、メッセージを打つ。送り終えて、出掛けられる格好に着替えて家を出る。
家の裏の路地に通じるドアが開いたままになっていた。娘の姿はもう見えない。すぐに追いついて、「はじめてのおつかい」のスタッフがごとく、レジに行くところをこっそり見守っているつもりだったのに。
歩きながら、もしどうやって買ったらいいのかわからなくて、泣いていたらどうしよう、と思う。娘の泣いている姿が目に浮かぶ。
思わず小走りになる。
路地を曲がるところに差し掛かろうというところで、牛乳を抱えて、ビニール袋を握りしめてこちらに歩いてくる娘が見えた。私の姿を認めると走ってくる。にこにこしながら、「はいっ!」と牛乳を差し出した。「おつりはお財布ないって言ったらこれに入れてくれた」と小銭とレシートが入ったビニール袋を掲げた。
泣いちゃうどころか、堂々とはじめてのおつかいをやり遂げて帰ってきた。私が泣いちゃう。
牛乳はいつも私がコンビニで選ぶものを買ってきたこと、いつも私が買う小さいサイズはなかったから、大きいサイズにしたこと、お金の払い方はレジのおばちゃんが教えてくれたこと、などを教えてくれる。
「帰り道に知らない男の子とすれ違ったから“こんにちは”って言ったんだ」。急に大人になったようだ。
買ってきた牛乳は、早速梅シロップと割って飲んだ。
お昼ご飯を食べた後、「牛乳を使って何かつくりたい」と言う娘と、プリンを作る。
蒸したプリンを冷蔵庫に入れる頃に、雨が弱まってきた。
近所の貸しスペースでイベントがやっていたから、お散歩がてら立ち寄る。中央アジアのお菓子が用意されていて、お茶を入れてもらっていただく。お会計をしようと思ったら、なんと振る舞いらしい。ありがたくおやつを食べて帰る。
夕飯の後に、娘とつくったプリンを食べる。娘は夫にもはじめてのおつかいの武勇伝を聞かせていた。プリンは甘くてとてもおいしかった。
私が夕飯の片付けをしている間、夫が娘に絵本『はじめてのおつかい』を読んでやっている。あの絵本に登場した子も5歳。この絵本を買ったときは5歳はずいぶん先のことに感じたのに、あっという間に絵本の主人公に追いついて、堂々と買い物ができるようになった。
「また買ってきてほしいものあったら、〇〇ちゃんに頼んでね」得意気な娘が、ぐんと大きくなったように感じた。
2024/8/30(金) 当たり前じゃない日々
明け方、娘に「トイレに行きたい」と言われて一緒にトイレに行く。「お母さんはもう起きるね」と言うと、娘はにっこりして階段を登っていった。天使のようだった。
朝から町内放送が流れている。放送は良く聞こえなくて、いつも「何か言ってるな」と思ったら、TwitterならぬXで情報を確認している。町内の川から水が溢れたらしい。
父と母と弟からそれぞれ「大丈夫?」とメッセージが届く。ニュースになっているようだ。
窓の外を見てみると、我が家のあたりは大丈夫そう。でもインスタを見てみると、冠水したり、下水が溢れている地域もあって、思いの外被害は大きそう。
ソワソワと落ち着かない気持ちで過ごす。昨晩なかなか寝付けなかったという娘は10時過ぎまでよく寝ていた。
起きてきた娘に朝ご飯を出す。
私はパソコンを開く。今日は家から出ないで過ごすのが良さそうだ。町の被害状況が気になる。
お昼ご飯には、実家からもらってきたバジルを使って、ナスとツナのトマトパスタを作った。どこにも出掛けられない、気持ちが落ち込むこんな日こそ、ちゃんと食べなければ。トマト缶ひとつ使った、ワタシ的に贅沢なパスタだ。
夫が家で仕事しているから、娘は夫のミーティングが終わったのを確認しては、連れてきて遊びたがる。
15時に夫のミーティングが終わると、昨日つくったプリンを食べた。
娘は夫の部屋からタブレットを持ってきて「おなかにあか」と調べる。赤ちゃんがどうやって生まれるかの動画を見るのが好きなのだ。関連している動画として流れてくるもので、少しナイーブなものもあって、ちゃんと私が確認してから見せないといけないなと思う。
娘はミーティングが終わった夫と、壁倒立の練習を始めた。勢いをつけて足を蹴り上げ、壁に足をつこうとしている。何十回も繰り返して、額に汗をかいている。ずいぶん腰が高くあがるようになった。
夕飯はしゅうまいを作った。
町の中では色んな場所で被害があったようだ。我が家は一日家の中で安全に過ごし、3食温かいご飯を食べることができた。当たり前のことが当たり前じゃない。
2024/8/31(土) あぁ、またやっちゃった
8時頃起きてきた娘と朝ご飯を食べる。今日は明後日の「子どもの権利フォーラム」で発表する寸劇の練習に顔を出すために9時半頃家を出た。
昨日大雨の被害があった町中はどうなっているのだろうか。少しドキドキしながら自転車で出掛ける。
外はおひさまが出て、蒸し暑かった。
道は泥だらけで、川沿いのフェンスには木が挟まっている。昨日の川の氾濫の爪痕が感じられる。
ホールのあたりも浸水していたらしいけれど、いつもどおり開いていた。
寸劇の練習に参加。何か手伝えることがあったら、と顔を出したはずが、思いがけず役をもらう。「舞台に立ちたい!」と張り切って一緒にきたはずの娘は、「やっぱりやりたくない」と言って私の膝の上にずっと座っていた。
練習は午後も続くことに。お昼ご飯は持ってきてなかった。一旦家に帰ろうと思うが、娘が帰らずに何か買って食べたい、と言うから、自転車に乗って食べ物を探しに行く。
入ったことがない、テイクアウト専門のお寿司屋さんで「ランチ600円」の張り紙が見えた。海鮮丼と炙りサーモン丼を買って、ホールへ戻る。
炙りサーモンもおいしかったけれど、いろんな具が乗っている海鮮丼(サーモン、赤身、卵やトビッコが小さく切って乗っていて、海鮮ちらし丼という雰囲気)のほうがご飯と一緒に最後までおいしく食べられる。私も娘も海鮮丼のほうを食べたがりながら、譲り合った。
午後は公園で練習。娘は友達たちとアスレチックをしたり、砂場で遊んだりしていた。雨の日が続いていたから、外で遊ぶ様子を久しぶりに見たような気がする。
練習が一段落ついて、ホールの中で開催されている絵本の読み聞かせイベントに参加した。なかなか工夫がこらされていて面白かったが、涼しさと暗さが心地よくて、うとうとした。目をつむるたびに、娘が私の腕をつかんでゆらしていた。
買い物やカフェに寄ろうかと思ったけれど、娘がすぐに帰りたい、というから帰宅の方向に自転車を走らせる。駅前の八百屋さんで野菜を買おうとすると、ちょうど角から夫が曲がってきた。コンビニで買い物をしてきたらしい。
そのまま娘と夫は手をつないで歩いて帰っていった。私は八百屋さんで買い物を済ませて、自転車で追いかける。
夫がコンビニで買ったアイスを食べようとしている。私と娘も冷蔵庫にあるハーゲンダッツを二人で食べた。「もうひとつ食べる?」と娘が言う。「食べるならシャーベットにしたら」と少し小さめサイズのシャーベットを提案すると、2つ持ってきた。食べ過ぎではと思いつつ、シャーベットを食べた。
二人は段ボールの車づくりをする。窓がつき、ワイパーがつき、窓を開けしめするボタンが描かれ、どんどん機能がアップしている。
夕飯をつくる。鶏むね肉となすを使って何か作ろうと思う。カレーにしたかったけれど、玉ねぎがない。玉ねぎがなくても作れるのだろうが、玉ねぎのないカレーなんてやっぱりいまいちだろうという気がしてしまう。10分ほど迷った末、鶏むね肉となすは炒め物になった。
最近右奥の親知らずのあたりが、何か甘いものを食べていると沁みる感じがする。これは歯医者に行ったほうがいいかもしれない。
そんな話をすると夫が「じゃあハーゲンダッツ禁止ね!」と言う。「えー食べられるよー!」「いや、ハーゲンダッツは僕に譲ること」。そんなやり取りをしていると娘が「ママに優しくしてあげて!」と怒って泣き始めた。娘は、私が夫に責められるのがとてもいやなのだ。私のことを好き、というのもあると思うが、小さい子どもはまだ母親と一体化していて、「ママ=自分」だと思っている、と何かで読んだのを思い出す。
「お父さん冗談で言ってるだけだから大丈夫だよ」と泣く子をよしよしする。
食後にお皿を洗い終わって、「あぁまたやっちゃった」とつぶやくと、「どうしたの!?」と娘と夫がぎょっとしてこちらを見た。これは明日の寸劇のセリフだ。独白部分を一生懸命覚えている。
2024/9/1(日) 今のことと、自分のことしかわからない
朝、パソコンに向かって仕事をして、お弁当をつくる。朝ご飯を食べる時間はなかった。外はザーザーと雨が降っている。車で夫と娘に送ってもらってホールへ。
「子どもの権利フォーラム」本番の日。昨日から関わらせてもらって、もう今日は本番。緊張する時間もない。
9時に集合。室内で練習をした後、ステージ上でリハーサルをすることになった。地声を張り上げる予定がマイクを使うことになって、そっとピンマイクを受け渡す練習をする。
舞台の袖にいる時間が好き。小さい頃から20代の終わり頃までバレエやダンスで舞台に立ってきた。ここにいるとわくわくする。
持ってきたお弁当を食べて、あっという間に本番になった。昨日台本を読み合わせて、今日舞台に立つ、というスピード感だったけど、大きな混乱もなくやり遂げることができた。大人も、一緒に劇に出た小学生の子どもたちもすごい!終わったあと2年生の子が「もう1回やりたい」と言っていた。本当だね。
フォーラムの後半の講演会を、見に来ていた娘と夫の隣に座って聞く。やがて娘が「つまんない」と言い始めて、二人は同じ建物内にある図書館に出掛けていった。
講演会では、子どもの権利を認めると、子どもがわがままになると長く日本では誤解されていたこと。「子どもの権利」は「子どもの義務」ではなく「親の義務」とセットだということ。印象的なことがたくさんあった。私の住む町で、こうやって話し合うスタートラインに立てたことが嬉しい。
子どもに関わる町の人達が登壇する座談会の終わり頃、娘と夫が戻ってきた。二人と一緒に帰る。
家に買えると、娘が「お母さん見て!」と段ボールにお絵かきしたものを見せてくれる。夫と娘と半分ずつ、魚やタコやクジラなど、海の生きものを描いている。
「こっちも!」とひっくり返すと、裏面にはお花の絵が描かれていた。
進化を続ける段ボールの車には、サイドミラーがつけられていた。片方は星、片方はハートの形である。本物っぽく再現するのもいいけど、かわいい形にしたところに、娘の個性が出ていて、いいね!と思う。
家族時間モードに入っていたから、打ち上げのお誘いは泣く泣く断って、夕飯は、鶏ひき肉でメンチカツを作った。玉ねぎがなかったから、代わりにオクラを刻んで入れたらおいしい。あるものでなんとかして、うまくいくと嬉しい。あとはにんじんラペと、ナスの煮浸し。
昨日の夜の冷汁を、朝ご飯に食べてね、というつもりで台所に置いておいたら、減ってないうえに、悪くなっていた。「食べていいのかわからなくて食べなかった」と夫が言う。「冷蔵庫から出してたんだからそういう意味でしょう」と思うけれど、たしかに伝えていなかったのだから仕方ない。たくさん作った冷汁が悪くなっていて、ちょっと悲しくなった。
夕飯を食べる。朝から出掛けて帰ってきた日もメンチカツを揚げる私、えらい!と自分を褒める。夫も娘もおいしいおいしいと食べる。
創作意欲にあふれている娘は、絵を描いた段ボールを扉にして、今度は家をつくっている。食後はドアの取手づくりに取り掛かっていた。「お母さん来て!」と呼ばれて見にいくと、ちゃんとカチャッと動かして開けることができる取手がついていた。
夫が娘の寝かしつけをして、私はお風呂に入る。ゆっくり入ってあがる。とっくに寝ているかと思ったら、まだ起きているようだ。泣き声が聞こえる。娘に夫がしびれをきらした様子で、部屋から出てきた。
「ママ来たよ〜」と寝室に入る。夫は一度怒って部屋を出たものの、「はい、〇〇ちゃんぎゅーしよう。おやすみ」と戻ってくる。「お父さんのお話なんてもう聞きたくない!!!」と娘が泣きながら怒っている。夫が出ていってしまうと「パパーパパー仲直りしようよー」と泣いている。めちゃくちゃだ。眠たいのだ。
「さっき仲直りしようと思ったのに、〇〇ちゃんがお話もう聞きたくないって言ったんでしょう」「今は聞きたくないけど、明日はわからない!!!〇〇ちゃんは今のことと自分のことしかわからない!!」私も夫も思わず笑ってしまう。たしかに今のことと、自分のことしか、きっとみんなわからない。
「パパーパパー一緒に寝よう」娘が夫を引っ張ったが、夫はまだ仕事をしたいようだった。「〇〇ちゃん水飲みたい」と言うので、みんなで階下に降りて、娘は水を飲み、それで落ち着いた。
この前おばあちゃんと行ったバレエ教室で習った、プリンセスのご挨拶の仕方で夫のところまでしとやかに歩いていってお辞儀をして、「おやすみなさい」を言う。どうぞ、とされて、私も娘に続く。寝室に行くことができたのは22時頃だった。
2024/9/2(月) 気持ちを輝かせる
夫が出かけるとき、娘は着替えの途中だった。下着でパンツ姿の娘が「行かないで」と言って夫にしがみつく。「夜には帰ってくるんだから」となんとか娘を夫から引き離す。そのままの格好で玄関で夫を見送り。またドアを開けて「パパー!」と娘が叫ぶ。熱烈な見送りを受けて夫は駅へ向かっていった。
私が仕事をしていると、自分の遊び場で、小さな声で何かをしゃべりながら、動き回っている。何をしてるのだろう、と思ったが、ひとりでミュージカルをしていたらしい。「どんなタイトル?」と聞くと「気持ちを輝かせる、ってタイトル」と教えてくれた。気持ちを輝かせる、いいなあ。気持ちが輝くことをしていたら、私たちはただただ幸せに暮らせるのかもしれない。
出掛ける準備をして、12時半頃家を出る。今日ははらっぱでカレーが食べられる日だ。はらっぱにある、学校にいかない子どもの居場所を運営しているはらっぱベースが、カレーを振る舞ってくれている。意気揚々と車のトランクからお皿を出してはらっぱへ歩いていくと、「ごめんね!もうないの」とYさんが申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。休校になった今日。たくさんの親子が訪れていて、もうお鍋の中はすっかり空っぽだった。
諦めて、近所のパン屋さんへ買い物へ。ホットドッグや、チーズのパン、あんぱん、シナモンロールなどいろいろ買ってはらっぱへ戻る。
パンを食べて、そのまま、ミーティングへ出掛ける友達の子、Yくんと娘を遊ばせながら、おしゃべりしていた。ゆっくりしゃべれて良い時間だった。
Yくんと娘は、最初は室内にいたが、やがて「キャンプすることにした」と外へ出ていくと、はらっぱの一角をキャンプ場に見立てて遊んでいるようだった。そこから3時間ちょっと、きゃあきゃあ言いながら走り回ったり、「迷路してるー!」と言って草の上を黙々と歩いたり、草の中にうずくまったり。二人が共有している架空の世界の中で遊んでいた。草と土さえあれば、子どもたちはいくらでもそこにいられる。
友達が戻って来た頃、ちょうど子どもたちもキャンプを終わりにした。友達と別れて、スーパーへ買い物に行く。カレーの口になっていたのにカレーが食べられなかったから、カレーにしようと玉ねぎなどを買う。
家に帰る。いつも言ってるのになかなか変わらないことがあって、それで娘にカッとなり、きつく叱ってしまった。
娘が泣く。それでも言葉が溢れてとまらない。
お風呂が湧いて、入る。湯船に入ると冷静になれる。「お母さんもきつく言い過ぎた、ごめんね」と娘に謝る。強く言えばわかるようになる、というのは間違いだ。これは『叱る依存がとまらない』という本に書いてある。
「〇〇ちゃんはあんなに強く言わなくてもわかるよね」「わかるから、もっと優しく言ってくれたら嬉しかった」とシャワーを浴びて泣きながら娘が言う。「ひどいこと言っちゃった。〇〇ちゃんもお母さんにひどいこと言っていいよ」「〇〇ちゃんはママにひどいこと言いたくない。ママのこと大事にしたいんだ」。
私も娘のことを大事にしたい。
それから夕飯にカレーを作った。カレーはおいしかった。「はらっぱのカレーは食べられなかったけど、ママのカレー食べられてよかったねぇ」と娘が言う。カレーをもりもりおいしいと食べて、歯磨きをして、夫が帰ってくるより前に二人で寝た。
2024/9/3(火) 夏の終わり
10時過ぎまで娘は寝ていた。今日は友達に娘を預かってもらえる日だったけれど、娘が「家にいたい」と言うから、預かりはなしにしてもらう。今日は原稿を書かなければいけない。「原稿を書いている間、ひとりで静かに遊んでいる」という言葉を信じてみる。
起きてきた娘に、昨日買ってきたパンの余りを食べさせる。「ブルーベリーとクリームチーズのはまだある?」と聞かれる。それは私にくれたものと思って、朝ご飯にひとりで食べてしまった。「楽しみにしてたのに」と娘が悲しそうな顔をしたから、失敗した、と思った。半分とっておけばよかった。
あっという間に昼がやってきて、13時頃、昨日の晩につくったカレーを温めて食べた。やっぱり今日もおいしい。
午後も引き続き原稿。「みんなが遊んでるところ行きたくなってきた」と娘が言う。「それなら最初からそう言って!」と言ってしまう。
「おうちにいたい」と言っても、後から「やっぱりみんなと遊びたい」と言う。「あなたが言ったからじゃない」と言いたくなるが、子どもの心はころころ変わりやすい。最終的に決めたのは私なんだから、子どものせいにしないで、私が引き受けないといけないんだろう。
ひとりで楽しく遊べるはずだから、と娘を諭す。娘は「ケーキ屋さんになりたいな!」と言うと、ケーキ屋さんの看板を書くことにした。「ぱてぃすりー〇〇」と書いている。
それから私が持っているケーキのレシピ本を引っ張りだしてきて、「このケーキはどう?」と私にきく。ひとつひとつ「いいね!」と言うと、次々と名前を書き出して、メニュー表を作っていた。
16時半過ぎ、原稿は終わってないが、一日家にいて退屈だっただろう娘と、散歩に出掛けた。雨上がりの外の空気の中に秋を感じた。家の中にいるより、むしろ外のほうが涼しく感じる。「ずっとこんな日だったらいいのにね」娘が言う。
食料品のお店Nは、もう閉まっていた。15時までの営業だったらしい。雑貨屋Tの方に回って、でも何も買おうと思っているものがないのに入るのも、と気が引けて外から、お店のオーナーに会釈して通りすぎる。駅前のロータリーをあっという間に一周してしまった。
「まだ帰りたくない」という娘と、商店街へ足を伸ばす。突き当りにあるお肉屋さんでコロッケでも買おうか、と思ったらコロッケはすでに売り切れだった。商店街を引き返して、駅前の八百屋さんで桃を買って、家に帰った。
帰ってまた原稿の続き。
「見つからない見つからない」と言っていると「何探してるの?」と娘に聞かれた。探しているのは言葉だ。記事の締めになるような言葉が見つからない。
「お腹空いた」という娘をあと10分!と待たせる。「長い針がどこに来たら?」「3のところに来たら」。3のところに来ても終わらなかったから、立ち上がってカレーを温めた。
昨日つくったカレーに、一日助けられている。今日は何も作っていない。
食後に「見つからない」言葉は、見つけないまま、シンプルに締めるので良いのではないか、と思いいたった。できあがった原稿を上から下まで再読して、うん、これでよし、と送信する。
今日もなんとかなった。いや、なんとかした。なんとかしてる日々。
一日ほぼ家にいたし、と二人でお風呂をさぼった。眠たいらしい娘に引っ張られるようにして、階段をのぼり、二人で布団に横たわる。
明日で夏休み最後の日だね、この夏は何があっただろう。お泊り保育、じいじばあばたちとの旅行、ようちえんの合宿、地引網、どろんこ、おじいちゃんおばあちゃんの家...夏を振り返る。あんなに長い長いと思っていた夏休みも、もうあと一日か、さみしいな。
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