日本語教師の採用試験としての模擬授業
私はこれまで日本語学校、専門学校、大学で日本語教師として働いてきました。それぞれ一般の公募に応募し、模擬授業や面接を経て、採用を勝ち取ることができました。その経験から採用試験としての模擬授業では「瞬発力」が高く評価されると感じましたので、その経験を共有したいと思います。
1. 私が受けた模擬授業について
最初に経験した模擬授業は日本語学校の非常勤講師に応募した時で、予め日本語学校から教材(助詞の穴埋め問題のプリント)が送られてきて、これに基づいて45分の授業を組み立て最初の15分程度を模擬授業として行うというものでした。専門学校に応募した際には、『みんなの日本語初級Ⅰ』の第1課を扱う最初の授業を想定した模擬授業でした。それから大学院修了後に2つの大学の模擬授業を経験しましたが、1つ目は内容について何も指定がなく、「日本語の模擬授業をしてください」とだけ事前に知らされていました。2つ目は事前に内容を知らされず、当日45分間だけ準備時間を与えられて、初級の文法導入と中級の読解を指定された教材で行うというものでした。日本語学校と専門学校は20年以上前で、大学の模擬授業も10年以上前ですので、模擬授業の内容や実施方法については変わってきているかもしれません。ただ、共通した評価のポイントがあるように思いますので、それについてお話しします。
2. 模擬授業で評価される「瞬発力」とは
まず評価に関わる点として、評価者が日本語教師の先生方だけなのか、日本語教育以外の専門の先生も加わっているかが重要だと思います。私の経験では最初の日本語学校以外は、専門外の先生方が模擬授業に加わり(大学ではむしろ多数派が専門外の先生)、実際の学習者ではなく、それらの先生方を前に模擬授業を行いました。ですので、学習者とは反応が異なることは覚悟しておかなければなりませんでした。むしろその場で予想外の反応や質問が来た時にどう対応できるかが大きく評価に関わると感じました。準備してきた授業がうまくできるのは当たり前で、おそらく専門外の先生方は授業のやり方がスタンダードかどうかは判断できなかったと思いますし、関心もなかったと思います。それよりも、気を利かせて質問してくださったり、間違えてくださったりしたことに対して、どう対処するかに注目されていたように思います。そのような即時的な対応ができる力を「瞬発力」と呼びたいと思います。
1つ目の大学で「可能形」の模擬授業を行った時に次のような質問が出ました。「私は100メートル泳げます」という例を挙げた時に、「どうして『100メートルが泳げます』ではないんですか?」という質問を日本語教育の専門の先生がしてくださいました。これは日本語学習者が実際に疑問に思いそうな質問ですが、私がその時準備していた流れから少し外れる質問でした。私は「リンゴを1個食べました」の1個の後には助詞がないと説明して、「これと同じですよ」と答えました。模擬授業の後で、日本語教育の専門の先生から「難なくこなしていましたね」と言われましたが、専門外の先生方にも予定されていない内容を即時に例を挙げて説明できたと評価されたと思います。また、2つ目の大学では20人以上の先生方の前で模擬授業を行ったのですが、その大半は専門外の先生で初級や中級というレベル設定があまり機能していませんでした。中級の読解の導入の際に自動販売機の絵を見せて、「これは何ですか」と私が尋ねると、「machine」「ジュース」などの反応が返ってきました。そこで、「お金を入れて、ボタンを押すと、ジュースを買うことができます。これは何ですか」と言い換えました。このくらいの複文ができるレベルを想定していることを示すことと、中級レベルに合わせてティーチャートークを変えたことに気付かせるためです。また、「この大学に自動販売機は何台ありますか」と尋ねると、「それはわからない!」と本気で怒り出した先生がいらっしゃいましたが、「わかりませんよね。どうしてわかりませんか」「多すぎるからですよね」と日本には自動販売機が多すぎるという読解のテーマにつなげました。その後採用が決まった後で、その時の審査委員長の先生が「見事だった」とおっしゃっていたと知りました。
私が応募した職が日本語教育とは関係のない学部の専任教員だったので、専門外の先生方が多かったのですが、だからこそ専門知識があるのは当たり前で、その場で適切な対応を即時にとれるかどうかが評価に大きく影響すると感じました。
3. 模擬授業で「瞬発力」を発揮するためには
とはいえ本当に予想できない反応が返ってくることもあり得ます。どのような準備をすれば「瞬発力」を発揮できるのでしょうか。私の考えでは、学習者の反応と教師の対応の意味を説明できるようにしておけば準備として十分だと思います。たとえば、可能形を使った文型を導入するという模擬授業であれば、その課までに習った語彙や文型から学習者は何を知っているか、何ができるレベルか想定できます。また、その想定レベルの学習者が可能形を使った文型を使おうとするときにどんな誤用が起きやすいかもある程度は想定できます(学習者の母語についての情報があればさらに高い精度で想定できます)。その上で実際の模擬授業で想定外の誤用が出てきたり、質問が出てきたりしたら、それらが想定レベルよりもはるかに下か上の誤用・質問である可能性が高いです。少し下のレベルならそれまでの課で習った語彙と文型を使って説明できますし、かけ離れたレベルの誤用・質問だと思ったら答えないという選択肢もあります。自動販売機をmachineとしか答えられないレベルは、中級の授業では想定外ですので、対応する必要はないと考えました。自分の中で根拠を持って対応していて、その対応の妥当性について言語化できるなら、何も問題ないと思います。普段の授業から、準備の段階で学習者の反応を予想しておき、授業内で起こった誤用や質問に根拠を持って対応するようにしておけば、どんな模擬授業でも「瞬発力」が発揮されるに違いありません。
4. 模擬授業での評価と実際の授業力の関係
模擬授業に対する評価は、実際の授業力と関係があることばかりではないと私は思っています。後述しますが、唯一絶対に正しい教え方などないのですから、模擬授業に対する評価も絶対とは言えません。ただ、採用試験をパスするという意味では重要ですので、特に、専門外の先生が審査する場合に伝わりやすいのは「瞬発力」を見せることだとお話ししました。
日本語教育の授業は、養成講座などで短期間で訓練できることからもわかるように、ある種の型がある仕事です。型に則って行えば模擬授業の質に大きな違いは出ないとも言えます。ただ、授業内で教師が行う指示や説明、練習、誤用訂正など、一つ一つに根拠を持ってできるようになるにはかなりの熟練を要します。また、それを言語化できるようになるにはさらに時間を要するでしょう。そして、経験を重ねるにつれて養成講座で教える型が唯一絶対の正解ではないことを理解するようになります。出会った学習者の数だけ対応の仕方を持つようになり、その対応に明確な根拠を持つようになります。日本語教師のキャリアはそのような探究の過程であり、授業で垣間見られる「瞬発力」がその過程のどの地点にいるのかを見せるのだと思います。そういう意味で日々目の前にいる学習者に合わせて授業を行うことが模擬授業の準備にもなり、採用後に活きる力にもなると言えます。私も模擬授業を受けた時点よりも成長していくために、一回一回の授業での学習者の反応を教材に学び続けたいと思っています。
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