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京都観光は早朝がおススメ!~産寧坂(三年坂)から高台寺を経て八坂神社編

(引き続き2月頭を思い出しての記事になります)

朝一番の清水寺観光を終えての帰り道、産寧坂(三年坂)から高台寺を目指しました。

平日の朝早く、あまり空いているお店も少なく人も少なく
ただ人力車のお兄さんが二女と私という奇妙な二人連れに声をかけてくれました。
が、乗っている場合ではない、学生マンション引き払い当日の立ち合いの約束時間まであまり時間がない。
「すいません、地元民です~」というと、やわらかい笑顔で見送ってくれました。

いつ来てもいい感じの坂道、二女は初めてだったらしく
(高校から大学卒業まで長く京都にいたのに??)
修学旅行生のように喜んでおりました💦

三年坂の由来は、諸説ある。清水寺境内の安産に御利益がある「子安の塔」に続く坂であるから「産(生む)寧(やすき)坂」というのが一般的で、この坂を通って清水寺へ参詣すると安産するからといわれている。また、808(大同3)年にできたので「三年坂」ともいい、清水寺への参詣人が、この坂で再び念願を深くするので「再念坂」という説もある。

Blue Signal 西日本の美しい風土 by JR西日本

豊臣秀吉の正室ねね様もきっと、高台寺からこの坂を通って清水へお詣りしたのではないかと想像。

ラッキーなことに早くから開けていたお店で小休憩することができました。

抹茶ラテに抹茶わらびもち💛
寒い2月頭にストーブの火が暖かかった。

そして、ついに高台寺近くまでやってきました。

実は、高台寺を拝観するのは私も生まれてはじめて。
よく特別拝観を昔からやっていて桜の季節のライトアップは有名です。
真冬ですが💦 もうそう京都に来る機会もないと思うので足早ですが
拝観することに。

この足早にというのが、とんでもない誤算でした。
入場後、空いているせいもあったとは思いますが(貸し切り状態)、
案内をしてくださる方が要所要所にいらして、
歴史音痴な私たち母子のために丁寧に解説してくださった。
庭園では親子での写真も何枚も撮ってくださり、至れり尽くせりの観光でした。

さて、高台寺とは

高台寺は正式名称を「鷲峰山高台寿聖禅寺」という。
慶長11年(1606年)に豊臣秀吉の菩提を弔うため、正室であった北政所ねねが祈願し、徳川家康が酒井忠正や土井利勝に命じて、この地にあった岩栖院などを移し、雲居寺の跡地を整備して創建された。北政所は、秀吉の死後に出家した際、後陽成天皇より「高台院」という号を賜った。それに因んで高台寺と名付けられた。

高台寺パンフレットより

霊屋には、秀吉とねねが土葬されています。


方丈から開山堂へ観月台
開山堂から霊屋につながる臥龍廊
方丈内部から見る庭


霊屋をみあげて


臥龍廊(立ち入り禁止)

方丈と開山堂を結ぶ廊にある観月台から
北政所は亡き秀吉を偲びながら、池にうつる月を眺めたのだそう。
池に映り込む木々の緑や花も心を癒してくれたのだろうと想像。

霊屋で秀吉とねねに参拝し、そのまま高台を歩いてつくのが
傘亭と時雨亭

時雨亭

どちらも伏見城から移築されてきた茶室で、禅三昧の生活を送りつつも
秀吉のように茶を嗜んでいたという。

山を下りるようにして下界へ。
目に鮮やかな竹林

龍がいました💛


開山堂を正面から

きれいな庭園が眺められる圓徳院ではよく特別展を行っています。
今回は時間がなく、残念ながら立ち寄れず💦

ねねの道をとおって外に

さて、八坂さんを目指します!

少し歩き、足早に歩き
八坂神社の北側の入り口から境内へ

無事にお詣りをし、二女の京都での生活にお別れのご挨拶。

帰りに先斗町をちょっと歩き

一旦、新京極の東急Stayホテルに荷物を預けによって
急ぎ、引き払う学生マンションへ。

無事に立ち合いも終了し、
お世話になった上京区ともお別れ、転出届を出しました。

さようなら!
といっても実家もお墓もあるので、きっとそう遠くない日にまた来ます!

いつもより飛行機窓からの景色が切なく感じられました。


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