出席簿#34「寄り添う心、時を超えたリレー」
【月曜更新】「おしゃべりな出席簿」
11月11日、月曜日。一気に肌寒さを感じるようになりましたが、皆さまお変わりありませんか?私はお稽古をつけるため通っている隠岐國縁吟会の舞台が近づいてきたこともあり、なんだか慌ただしい週末でした。
隠岐の高校で教壇に立っていたのは、もう6年も前。でも、そのときに立ち上げた詩吟愛好会は今も健在です。それどころか年々パワーアップしているように感じます。次の週末に予定されている海士町産業文化祭での出演が、この会にとって一番の大舞台になるのですが、お芝居と殺陣を交えた舞台をやってみませんかと提案したところ、あっという間に地域の高校生と大人10名が集まり、殺陣部隊ができました。テーマは「源義経」、会員さんたちが手作りの衣装を準備してくれています。
お稽古の時には3時間ほどフェリーに揺られ、海を越えて海士町へ。港に降り立つと、「お!詩吟の先生!」と地域の方から声をかけられることも多くあります。どうやら高校で勤めていたことより、詩吟をやっている姿の方が印象に残っているみたいなんですよね。ありがたいことです。
さて、月木に更新しているnoteですが、月曜日には拙著『おしゃべりな出席簿』お試し版として、連載当時の作品とそれに寄せて今の思いなどを気ままに綴っています。今回ご紹介するのは、学校現場からはちょっと離れて、詩吟をきっかけに深く関わることになった隠岐郡海士町の後鳥羽院のお話。これを書いた3年前、ちょうど後鳥羽院が隠岐に配流されて八〇〇年という節目の年がやってきて・・・・・・、お楽しみいただけたら嬉しいです。
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「寄り添う心、時を超えたリレー」
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月に一度の隠岐通い。海士町で詩吟の愛好会を立ち上げてから5年が経った。人事異動で島から離れてしまったが、縁はこうして続いている。
「お、詩吟の先生」と、行き交う人に声をかけられ、お稽古では「ようこそようこそ、波は大丈夫でしたか」、と温かい挨拶。
待っていてくれる人が居るというのは嬉しいものだ。
それに今年は特別な年。1221年、承久の乱があって、後鳥羽院は海士町に配流。それから800年を迎えるという大きな節目の年だ。10月の大祭では後鳥羽院の和歌を吟詠させていただくことが決まっていた。
大祭の前日は、いつものように列車、バス、フェリー、内航船と乗り継いで島に着き、詩吟のお稽古。でも、後に控える行事を考えると、期待と同じだけの緊張や不安が湧き上がる。島で生まれ育ったわけでもないし、Iターン者でもない私なのに、いいんだろうか。そんな不安を拭い去るように会員さんが声をかけてくれる。「明日頑張ってね」「楽しみにしてるよ」。
大祭は雨のなか行われた。荘厳な雰囲気の中、祝詞が奏上され、お供え物が運ばれ、吟詠の奉納。午後からは小学生の学習発表や、「島留学」として一時的に島暮らしをしている大学生の民謡、後鳥羽院が好んだとされる京都の白拍子舞も披露された。次第に日が暮れかかる。大祭を締めくくったのは、刀剣打ちの儀。鋭い金属音が断続的に響き、薄闇の中に火花が散った。後鳥羽院の御番鍛冶伝承を再現し、刀剣文化を継承しようと、刀剣奉納を発案したのは、院に魅せられてこの島にやってきたイギリス出身の先生だった。
島は後鳥羽院への敬慕にあふれている。古くから配流の地であったということが、外から訪れた様々な人を温かく受け入れ、一緒に何かを作り上げようと巻き込んでくれる今のあり方につながっているのかもしれない。そういえば、町政スローガンも「みんなでしゃばる(引っ張る)島作り」だった。
承久の乱に敗れ、この地に配流となった後鳥羽院。その心を思うと、「800年おめでとう」でいいものか、と考えないではない。それでも、その訪れそのものによってもたらされた文化が、そしてその訪れを「御遷幸」と呼んで喜びあってきた人々の心が、今もなおこうして人と人とを結びつけ、あたらしい協働を生み出している。
古人の心と、答え合わせをするのは難しい。
そもそも人の心に正解なんて求めようもない。
だけど、800年もの歳月の中、時に自らの願いや期待、そして感謝を込めながら、その心に寄り添おうとした人たちがたしかにいた。そうしたたくさんの人の生を重ねた先に今があって、なんらかの形で私たちの心を支え、豊かにしてくれている。だからやっぱり、この年を迎えられたことを喜び合って「おめでとう」でいいのかも。800年、おめでとう。これからも、文化と心のたすきはつなげられていく。あたらしい願いと感謝を映し出しながら。
(2021/11/7 朝日新聞島根版掲載)
作品に寄せて
この地で詩吟を教えるきっかけとなったのも「後鳥羽院」でした。
私が隠岐に勤めるようになった年、隠岐國学習センターという町営学習センターが現在の場所に竣工されたのですが、地域のシニア層にも足を運んでもらえるような企画をしたいと当時のスタッフさんから声をかけていただきました。その縁で、学習センターで「吟じて味わう後鳥羽院」という詩吟ワークショップを開催したことが始まりです。
海士町の人は、本当に後鳥羽院への敬慕の情が深い。
老いも若きも関係なく後鳥羽院の和歌に触れたり、後鳥羽院をテーマに様々な企画を打ったり。そうそう、近年ではメイクライブイベントまで開催され、こちらで紹介されている第1回には隠岐國縁吟会も出演していました。
そんな海士町の皆さまと、一緒に喜び合った八〇〇年祭。不遇の身となった後鳥羽院のことを思えば、配流周年行事で「おめでとう」はおかしいのかもしれませんが、この敬慕の情から自然に口をついて出る言葉が「おめでとう」であるならば、それもいいのかな、など感じた1日でした。
読書の秋のおともに、拙著もよろしくお願いいたします。
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