はじめに
こんばんは、台風の動向が気になる一週間となりました。これ以上の被害が出ないまま、過ぎ去ってくれるといいのですが……。
さて、好きなことを書き散らしている木曜日。今日は先週に続いてむかしばなし「金太郎」のお話です。山の中で動物たちを遊び相手にして楽しく過ごしていている心優しき怪力童子、金太郎。童話の内容をたどっても、前半はほぼ「クマと相撲を取る」だけのお話でした。では、彼は何をした人なのでしょうか?物語の後半戦を紐解いていきましょう。
前回のお話はこちらです。
青空文庫より「金太郎」楠山正雄
以下に青空文庫より「金太郎」(楠山正雄)の第二段を引用します。
なお、YouTubeでも朗読バージョンを公開していますので、音声で楽しみたい、という方はこちらからどうぞ。
前回も少し触れましたが、森の中で動物と遊び帰路についた金太郎、その後ろをつけてきた者がいたのです。それは源頼光の家来、碓井貞光(うすいのさだみつ)。主君の命で剛の者を探し求めていた貞光は、金太郎に上京を勧めます。かくして金太郎は都へ上り、頼光の家来となったのでした。
おいしいとこどられのふしぎ
金太郎は、その名を「坂田金時」とあらため、頼光四天王の一人として目覚ましい活躍をするのですが……それはまた、別のお話。残念ながら昔話の「金太郎」の多くは、ここでお話が終わっています(絵本によっては続編まで含めて一冊にするものもありますが)。
では、坂田金時は何をしたかというと……?
源頼光は酒呑童子退治や土蜘蛛退治をしたとして語り継がれていますが、この頼光を支えたのが坂田金時を含む四天王たち。彼も鬼退治をしていたんですね。金太郎は序章に過ぎず、クライマックスは別の話に持っていかれてしまったのです。それではどうしてこのようなことが起こったのでしょうか?
鬼「退治」までの長い道のり
さて、「鬼」ってどのようなイメージでしょうか?赤・青・黄と明らかに人間離れした色のむき出しの肌、ほとんど半裸で筋骨隆々の肉体をさらし、虎皮の褌を締め、金棒を振りかざして頭には角……?
昔話によく出てくるような、桃太郎や一寸法師に退治される鬼って、こんな感じですよね。でも、こういうイメージが確立したのって江戸時代以降のようなんです。鬼門が丑虎の方角にあるからという風水の思想に影響を受けたとも言われています。
古代は「異形全て」の総称だった「鬼」。その昔の日本では大きく分けると、日本産の「地上をねり歩き、生きる人を脅かす鬼」とインド・中国産の「地獄で死者を責め苦しめる鬼」の二種類が信じられていました。平安貴族の多くは現世でも死後の世界でも、鬼に怯えていたようです。
こんな鬼と人との関わりが変化したきっかけの一つが武士の登場でした。鎌倉時代末期には武力を重んじる武家の文化が強まり、室町時代に入ると「鬼は武勇の士によって退治されるもの」という考え方やお話のパターンができてしまいました。また、日本でも仏教が発展し栄えたために祈りによっても退治されてしまう存在とされてしまいました。長く続いた武士の世が、少しずつ、鬼への恐れを取り払ってしまったようなのです。
鬼の話はこちらも書いています。
鬼(退治)は大人になってから!?
色々な話がありますので、あまりに単純化するのはどうかとも思うのですが、鬼と人とのかかわりについて、大きく流れをまとめると
①平安貴族の時代、鬼は非常に恐ろしい存在でした。
②鎌倉・室町の武家社会になると、鬼は強い武士によって退治されることも。
③江戸時代ともなると、鬼は退治されるのが当たり前の弱い存在となってしまいます。
「桃太郎」や「一寸法師」が今の形の昔話として広まったのは鬼退治最盛期・③の時代と言われています。それに対して「金太郎」の物語は……。頼光その人が平安中期の武将ですから、その後伝説が誇張されていったとしても、①~②まで時代における人々の「鬼」観を色濃く反映してこの形で語られたと考えてよいでしょう。
まだまだ鬼が恐れられていた時代、子どもになんて倒せっこないのです。大人だって、チーム戦でようやく倒せて、それで充分すぎるほどの武功になり、伝説として語られるのです。
加えて桃太郎らが不思議な誕生をし、人間離れした力を持っているのに対し、坂田金時は実在したとも言われる人物(山姥に育てられた怪童とする話も語られてはいますが)。彼は頼光四天王の中でも一番の力持ちと言われ、大江山にはびこる鬼を複数の武将と力を合わせて退治した、として賞賛されました。
今、他の昔話と比べると、少し拍子抜けしてしまうような『金太郎』ストーリー。これは鬼と人との関係に変化が見られた時代、人がなんとか鬼に立ち向かえるようになった時代だからこそ生まれたお話といえるのかもしれません。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。