【全文無料公開】 『会社を使い倒せ!』 #5 会社の内と外にむけて旗を立てる。
第5章
会社の内と外に向けて旗を立てる。
決定権のある人を味方につける。
広告会社でモノづくりをする、という前例がなかったチャレンジを実現するにあたって、僕はたくさんの人に意見を聞きながら、自分の考えをまとめていきました。
最終的に、会社に提案するために、それをキーノートのスライドにしました。2014年の5月のことです。
提案は、直属の上司ではなく、いきなり役員に行きました。
コピーライターになると決めたときに、役員に直談判に行った話は書きましたが、このときも考え方は同じでした。決定権のある人に、最初に話をする、ということです。
ましてや今回は、新しい事業の話なので、僕がコピーライターになりたいという話とは次元が違います。
それこそ部長に言ってどうにかなる話ではまったくないと思っていましたし、最初から会社全体を見ている人でないといけないと思っていました。
それだけに、企画提案のベースになるスライドについては、とにかく考え抜いてつくりました。
広告会社でモノづくりをやりたい、というからには、それを実現するために会社に徹底的に向き合う必要があります。
そもそも、博報堂でやる限りは、博報堂にもメリットがなければ、僕自身もそれをやる意味がないのです。
モノづくりと広告を掛け算するという、そのこと自体に、博報堂にとっての大きなメリットが存在すると考えていましたが、そう簡単に理解してもらえることではありません。
だからこそ、しっかりと説得ができるような資料をつくらないといけない。たくさんの人に会ったのも、プレゼン資料づくりに時間をかけたのも、そのためです。
役員に直談判することも含めて、僕はできることは全部やろうと思っていました。そうでなければ、本当にやりたいことなんてできない。そんなに会社は簡単に動くわけがない、と思っていたからです。
その覚悟を示すためにも、思い切った作戦をとることにしました。
冒頭でも紹介しましたが、提案資料の表紙には、たった1行だけ、こんな言葉を置いたのです。
「辞表」
さらに次のページには、こう書きました。
「もう広告はやりません」
できないなら辞める、くらいの気持ちだったのは本当です。
でも、僕はどうしても会社に「やる」と言わせる方向に持っていきたかった。
ならば、どうやったらできるか、を考えたとき、会社に納得してもらうための準備を徹底的にしたら、あとは自分の覚悟を示すだけだと思いました。「もう広告はやりません」という宣言もそうです。
それに、たとえ「辞表」と書いたとしても、どうせ簡単には辞めさせないだろうとも思っていました。
ただ、それほどの覚悟で僕は来ているので、しっかり聞いてください、という気持ちで、僕はそれをスライドの最初に持ってきたのです。
事前にアポイントはとりませんでした。
役員のフロアに行き、クリエイティブ担当の役員の部屋のまわりでしばらくうろうろして様子を探りました。
たまたま、その役員が新聞を読んでいるところで、今がチャンスだ、と思いました。
ドアをノックして、「今、空いてますか?」と声をかけました。「聞いてほしいことがあるんですが」と。
役員とは面識はありましたが、スライドは改めて僕の自己紹介からはじめました。
自分がどんなことをやってきたのか。そこからどんなことを感じるようになったのか。どんなことをやりたくなったのか。
そして、なぜ博報堂がそれをやるべきなのか、という説明に移りました。
まず説明したのは、今、世の中でどんな変化が起きているのか、ということです。
前述で触れたiPodのように、単にモノをつくって、それを広告する、というのではない、プロダクトと広告の接点にあるものが、たくさん出てきていました。
また、画期的な掃除機をつくったダイソンや、ロボット掃除機「ルンバ」をつくったアイロボットのように、たったひとつのプロダクトによって世界的な企業になっていく事例が出てきていました。
モノづくりには、それほど大きな力があるということです。
折しも、博報堂と博報堂DYメディアパートナーズの中長期ビジョン「未来を発明する会社へ。 Inventing the future with sei-katsu-sha」が示され、博報堂も「世界一級のマーケティング・カンパニーをめざす」と謳っていました。
でも具体的な新しい動きはまだ出てきていない。
ならば、広告会社の、ビジョンをつくったり、コンセプトをつくったり、人の気持ちを見つけ出したりする力と、モノをつくる力が組み合わさることで、世の中に新しい広告会社の姿や新しいモノづくりのあり方を提示できるのではないか。
それは博報堂という会社にとってもプラスなのではないか。
世の中の流れ、会社が打ち出したビジョンと、自分のやりたいこととがどうつながっていくのか、具体的な事例を示しながら説明していきました。
スライドは100枚以上。
じっと黙って聞いてくれていた役員は一言、こう言いました。
「いいね。やってみれば?」
まずは役員を味方につけることができた瞬間でした。
「進捗があったら教えて」と言われたので、それから役員とは月に1回程度、軽いミーティングを持つようになりました。
僕としても、何度か役員とキャッチボールをすることで、モノづくりと広告の掛け算について、より会社にしっかりと理解してもらうことができると考えていました。
そして、広告×モノづくり、博報堂×モノづくり、とは具体的にどういうものなのかを会社に示すため、また自分自身が模索するために、僕は勝手にプロダクト開発のプロジェクトをはじめることにしたのです。
リスクをとる覚悟を決める。
その頃、僕はコピーライターとして統合プラニング局という新しくできた部署に所属していました。
ですが、僕は「広告やりません宣言」をしていたので、基本的には広告の仕事は受けていませんでした。
考えてみたら、広告のセクションにいるのに広告をやらない、という状況をよく会社がよく許したな、と思うのですが、博報堂のクリエイティブの社員の場合、案件の数ではなく、成果による実績で評価が決まります。
つまり、僕のように「広告をやりません」と宣言することは、受ける仕事を減らせる代わりに、評価が下がるリスクに直面するということでした。
でも逆に言えば、そのリスクを自分で負えばいい、というだけの話です。
僕としては、それで評価がものすごく悪くなって、最悪クビになるのも覚悟の上でした。
役員から「やってみれば?」という一応のOKはもらえたものの、その時点ではまだ組織ができたわけでも、予算がついたわけでもありませんでした。
ただ、これはある程度、予想していたことです。
いきなり、まったく新しい事業がはじまる、などということは、まずないですし、大きな組織なので、そんなに簡単に事は運びません。
だから、役員にそう言われた時点で、まずは自分で動きはじめることにしたのです。
真っ先に会いに行ったのが、ロボット開発を手がけるベンチャー企業、ユカイ工学の青木俊介社長でした。
青木社長とは、それまでに一度、博報堂の案件で一緒に仕事をしたことがありました。
青木社長は、かつてデジタルコンテンツ制作を行っているチームラボのCTOを務めていたエンジニアでしたが、ロボットをつくりたい、ロボットを世の中に広げていきたい、という思いから独立し、ユカイ工学を起業したのです。今では20人以上の社員がいますが、当時はまだ5人ほどの規模でした。
ユカイ工学にはエンジニアがいました。彼らはモノをつくる能力があります。一緒にやれば、アイデアを生み出すだけではなく、かたちにすることができると思いました。
そして、青木社長は、僕がやっているYOYのことも知っていて、応援してくれていました。僕がプロジェクトについて説明すると、青木社長はこう言いました。
「いいですね」
「一緒にやりませんか?」
「じゃあ、やりますか」
「いつやります?」
そんなかたちでなかば強引に、定例的にミーティングを入れさせてもらうことになりました。以後、僕は毎週のようにユカイ工学に行って企画会議をすることになります。
さらにもう1社、デジタルクリエイティブエージェンシーのイメージソースの小池博史社長にも会いに行きました。
デジタル系、ウェブ系が専門の会社でしたが、ちょうどそのとき、ハードウェアの分野にも参入しはじめようとしていたのです。
小池社長とも、かつて一度仕事をしたことがあり、また、YOYのことも応援してもらっていたので、会いに行ったのでした。
会社でこんなことをはじめようと思っています、という話をしたら、興味を持ってもらえて、「何か一緒につくりましょう」という話になりました。
実は「monom」は、のちに第1弾、第2弾のプロダクトを、この2社とコラボレーションしてつくることになるのですが、この時点では、先にも書いたように、まだ博報堂からの予算はついていませんでした。つまり、はじめようにもお金がなかったのです。
しかし、もし何かいいアイデアを思いついたら、なんとしてでも予算を引っ張ってくるつもりでした。
「今は予算がないですが、お金はなんとかします」
「会社が出さなかったら僕が出します」
実際、1000万円くらいまでだったら、自腹を切る覚悟でいました。
YOYをはじめたときもそうでしたが、お金のリスクをとって自分を追い込むことはポジティブな結果につながると考えていたのです。
こうして毎週のようにふたつの会社とミーティングをすることで、役員にも具体的に進捗の報告をすることができるようになりました。
「今、こういう会社とこんなことをやっています」
「こんな取り組みを進めようとしています」
「テクノロジー×クリエイティブです」
広告会社のビジネスは基本的に、クライアントから課題解決を依頼され、アイデアを出して、制作をする、というものですが、そうではなくて、最初から自分たちで考え、何かをつくり、それを世に出していく、というのがモノづくりです。
モノをつくるとはどういうことか。どんなスタイルで、モノづくりを進めようとしているのか。役員への月1回の報告に向けて、自分の考えを整理していきました。
そして役員との何回かのミーティングを経た後、こう言われました。
「一人でやるよりも、チームとして、人を集めてやったほうがいい。先に既成事実をつくっていったらどうだ?」
ここから、いよいよ本格的に「monom」が動きはじめることになります。
全員兼務というチームをつくる。
「チームをつくったほうがいい」と役員にアドバイスをもらって、さっそく僕は動くことにしました。
最初に声をかけたのは、同期だった谷口晋平でした。
谷口はマーケティング戦略を考えるストラテジックプラナーをしていましたが、もともと入社時には経理に配属され、その後、経営企画局に配属されていたのを知っていました。
事業をやるとなれば、何が大事になるのか。
僕が最初に配属された部署で先輩に教わったのがコスト、つまりお金のことでした。
それがわかる人間を、最初に入れないといけないと思っていたのです。
実際、チームになっても予算がつくわけではありません。チームができたら、お金をくださいとお願いするつもりでしたが、実際にもらえるかもわかりませんでした。
しかし、経営企画局にもいた谷口だったら、どこにお金があるか、よく知っている。
また、会社の経営的視点、新しいことをやるときにキーマンになるのは誰か、ということもよくわかっていました。
僕がやりたいことと、会社とのすり合わせを、谷口ならうまくできるのではないかと考えたのです。
これはのちのメンバーの広がりについてもそうですが、チームをつくるにあたって、僕が第一に考えたのは、僕が持っていないノウハウを持っている人たちを仲間にしていく、ということでした。
社内であっても、社外であっても、です。
ただ、実は谷口には、最初に「一緒にやらないか」と声をかけたときに断られているのです。その上で軽く流されそうになったので、その後もしつこく何度も言いに行きましたが、それでもいい返事はもらえませんでした。
それが変わるきっかけになったのは、僕が所属していた統合プラニング局という部署で毎月1回行われている発表の場でした。
統合プラニング局は、ポスターやCMなどの広告を単体で行うのではなく、デジタル施策やリアルなイベントなどと組み合わせることで広告コミュニケーション全体を統合的にプラニングしていくことをめざしてつくられた新しい部門でした。簡単に言えば、カンヌで僕が見たような広告をつくるための部署です。
そこには各部署から優秀なプラナーやデザイナーが集められていて、定期的に勉強会のようなかたちで、大勢の前で誰かがテーマに沿って話す場が設けられていました。
そこで、「プロダクト×広告」というテーマで話をしてほしい、という依頼を受け、monom(この時点ではまだ正式な名前もついていませんでしたが)について、みんなの前で話をしたのです。
これは僕もすっかり忘れていて、谷口に後から聞いて思い出したのですが、最後の質疑応答で、「小野くんは将来どうなりたいの?」という質問があり、それに対して僕は、こう答えました。
「僕はスティーブ・ジョブズになりたい」
言わずと知れたアップルの創設者スティーブ・ジョブズです。プロダクト、お店、広告すべてのクリエイティブに、自分が描く理想に達するまでダメ出しをし続けるスタンスやスタイルが、モノづくりをする上でとても重要だと感じていたからでした。
そして、そのジョブズの言葉で、好きな言葉がありました。
「Real Artists Ship」
直訳すると「真のアーティストは出荷する」。要するに、アイデアはかたちになって、世に広がって初めて芸術になる。モノをつくる人はみんなアーティストである、といったような意味であると僕は解釈していました。
実は僕も、もともと同じようなことを考えていて、ユカイ工学の社長と話していたときに、ジョブズが似たようなことを言っているよ、と、教えてもらったのです。
この話を聞いた谷口は、「ああ、小野がやりたいのは単に面白いアイデアをつくって世の中に発表したいということではないんだな」と思ったのだそうです。
YOYではアート寄りのことをやっていたので、小野はアートに寄ったことをやりたいのではないか。どうも最初、僕はそう誤解されていたようでした。
そうではなくて、僕はもっと世の中に新しい生活シーンや、ライフスタイルのようなものを提案できるモノづくりがしたいのだということが、このとき、理解してもらえたのです。
ただ、チームになっても専業ではお願いしませんでした。
実は今もそうなのですが、monomのメンバーは、のちに博報堂に転職して合流したYOYのパートナーである山本と、「Pechat」の販売担当者を除いて、全員が他の仕事との兼務なのです。
谷口には、今も本業と半々でmonomの仕事をやってもらっています。
これは、僕が最初に描いていたことでした。
役員に興味を持ってもらった後、ゴールにするべきことは何か考えたときに、モノを生み出していくことはもちろん、会社として重要になるのは、博報堂のなかにプロダクトをつくるという職能、もっと言えばモノづくりのDNAを入れていく、ということなのではないかと思ったのです。
僕やmonomのメンバーだけがモノをつくるのではなく、博報堂のみんなができたほうがいい。また、みんなができうるとも思っていました。
ただ、モノづくりにおける知見や制約がわからないとできない。それを広げ、モノづくりのDNAを博報堂に浸透させていくということが、僕の役割だと思ったのです。
いろんなノウハウを持っているメンバーに、モノづくりの制約を理解してもらい、アイデアを出してもらう。やりたい人みんなでやる。モノづくりを理解する人が、アメーバのように増えていく。
そうなってくると、組織はもしかするといらないのではないか、と思いました。
それに部署にすると、やれ予算がどうだ、採算がどうだ、という話になっていくわけです。また、部署として評価もされる。博報堂の既存の評価システムのなかでは、モノづくりの評価はうまくいかないんじゃないか。
そんなことを考えているうちに、部署にするのは時期尚早な気がしました。
そこで、monomは活動体として、いろんなメンバーに兼務で入ってもらい、外から力を借りていく、という仕組みにすることにしたのです。
そして、モノの案件ごとに判断していく。実際、まずは社外の人も含めた数人でチームを組み、僕も加わってテーマを決め、アイデアを出し合って、案件を決めていきます。
それから「Pechat」「ELI」など案件の事業化の目処が立ってきたら、それぞれにプロジェクトチームができていきます。実際、今もこのプロジェクトチームのかたちで動いています。
最初は、谷口と二人でしたが、同期のマーケターに加わってもらったり、博報堂のモノづくりに興味を持ってくれた後輩が参加してくれたりと、次第に人が増えていきました。
さらに、僕が入社した数年後からテクノロジー採用、新領域クリエイター採用といった、これまで博報堂にいなかったような人材が博報堂に採用されるようになったので、彼らの何人かにも声をかけました。彼らの上司に直接話しに行って、力を借りたい、と説得したりもしました。
「monom」を対外的に発表するのは、2015年2月のことですが、この段階で8名ほどのメンバーがいました。全員が兼務です。
最初に、会社のめざすビジョンとの接点を見つけていたこと、そして会社の得意分野を活かす目標を定めたことにより、一から人を集めなくても、プロジェクトに必要な人材は、会社のなかに豊富にいました。
そして、わざわざ組織にしなくても、兼務として関わってもらえれば、その能力やアイデアをうまくプロジェクトに活かすことができるのです。
しかも、モノづくり、というこれまでにない仕事のノウハウを会社のなかに広げていくこともできる。自分にとっても会社にとってもメリットのあるかたちでした。
こうして僕は、会社の人材をフルに活用しながら、チームとしてプロジェクトを動かしていくことになるのです。
monom組織イメージ図
濃いグレーの部分がmonomの所属メンバー、薄いグレーの部分がメンバー以外の協力者を表しており、monomの旗を中心にアメーバ状に広がっている。
いかに会社に収益をもたらすか。
ところで、博報堂でモノづくりをする、と一口にいっても、どういうかたちでそれを会社の収益につなげるか、ということも考えなければなりません。
僕は、それにはいくつかのパターンが考えられると思いました。
①博報堂が自社事業としてやる。
②会社同士で出資し、共同事業としてやる。
③企画・コンサルティングでフィーをもらう。
僕は、これを全部試したいと思いました。
実は、役員に対してプレゼンテーションしたとき、すでにこの話もしていました。
自社事業モデルか、共同事業モデルか、フィーモデルか。
それは、どうして博報堂がやるのか、を考えたとき、自然に出てきたことでした。
どうして僕がやりたいのか。
これは、僕がやりたいからで理由は必要ありません。
では、どうして博報堂がやるのか。
これに答えられないと、博報堂で僕がやる意味がなくなってしまうのです。
だから、このふたつの間のいいところを見つけるのが、会社のためだし、世の中のためだし、自分のためだと思いました。
ここで「自分」という視点が入ってくるのが、僕の我の強いところなのですが、「自分がやりたくないことはやらない」というのは前提としてありました。
極端な例ですが、いくら儲かるからってミサイルはつくりたくない。
単に儲かるからという理由で何にでも手を出す、という事態にはしたくなかったのです。
では、どうやったら自分がやりたいことがやれる環境がつくれるか、というとき、会社がやりたくなれば、いちばんいいわけです。
そのためには、なぜ博報堂がモノづくりをやるべきなのか、そのストーリーをつくる必要がありました。
そこで、博報堂のビジネスを事業領域と収益構造のふたつの軸で考えました。
事業領域でいえば、これまでやってきた広告領域なのか、それとも広告以外の領域なのか。
そして、収益構造でいえば、広告制作やコンサルティングなどの労働集約型のビジネスなのか、テレビCMなどの広告枠を販売するメディア販売のような労働集約型ではないビジネスなのか。
それを示したのが、下の図です。
monomがめざすべきビジネス領域はどこか。
一般的な広告領域で考えると、広告の企画・制作やメディア販売は、広告ビジネスの好不調に左右されます。
僕が博報堂に入社した当時から広告は過渡期だと言われ、従来のメディア依存のビジネス構造から脱却しなければならないという論調をよく聞いていたこともあり、僕としては博報堂としても従来の広告領域の外に積極的に出ていくべきだと感じていました。
一方、広告以外の領域は、コンサルティングの領域を広げていけばビジネスは伸びていくかもしれません。
その代わり、人に依存する労働集約型なので、スケーラビリティがありません。人を増やしていくという選択肢しかないのです。
そうなると、広告領域でもなく労働集約型でもない領域を狙っていくというのが博報堂がやるべきことなのではないかと考えました。
そして、monomは、広告領域で培ったクリエイティビティやマーケティングの知見を活用してモノづくりを行い、先に示した図の、右下の領域で博報堂の新しい事業開発にチャレンジするというストーリーを描きました。
ここまではっきり「monom」として考え方が定まってきたのは、この2年ほどですが、そうした考えから、最近では「博報堂がモノをつくり、そこにクライアントを巻き込んでいく」というモデルに力をフォーカスしていくことを考えています。
コンサルティング案件もありますが、この領域は主体がクライアントで、最終的な決定権が博報堂にないため、事業に責任を持ちきれないと感じています。
こうしたなかでも、まだまだトライすべきことがあります。
そうして、いろいろ試してみるなかで方向をしっかり定めていく。そんなことを、立ち上げ当初から、考えていたのでした。
それから、もうひとつ目標として決めていたことがありました。
それは、「3年で10のモノをつくる」ということでした。
全部同時に10は厳しいですが、3年で10のモノをつくるならできる。
さらに、毎年何かモノを出していって、それぞれ異なるカテゴリー、異なるビジネスモデル、異なる考え方でやることも決めました。
検証と実験。どこに正解があるのか、ひとつひとつ試してみようということです。
うまくいかないものがあったとしても、うまくいっていない理由がわかれば、それを次につなげることができる。
何が成功、何が失敗という定義はあえて書きませんでした。
10やって、ひとつでも当たれば大成功だと思っていたからです。
それこそ、100やってひとつ当たるくらいだという前提を僕は持っていました。実際、世の中のビジネスを考えていくと、そのくらいが妥当だと思ったのです。
それを10のうちひとつ当たるところまで、いかに狭めていくか。これが、自分の腕の見せ所ということになります。
可能性がいくつかあるのであれば、全部試してみればいいのです。
どれが正解かは、検証と実験を繰り返すことで見えてくる。
そのためにも、まずは会社のビジネスモデルを分析し、そこから、自分のやりたいことが事業としてどう展開できるか、どうやって収益を上げていくかを考える。
会社がやりたいと思えるようなプランを、最初にしっかり提示することが重要なのです。
リーダーが誰よりもコミットする。
「これがやりたい」ということができたとき、何よりもやらないといけないことは、それができるための環境づくりをすることです。
どうやったらやりたいことができるのか。
そのための環境づくりに、どこまで向き合っていくか。
やりたい理想がそのまま、いきなりできるわけではありませんから、その土壌をつくるために、必要ならば、会社の意思決定者とすり合わせ、調整をする。
役員に企画を提案する前に、いろんな人と会って意見を聞き、企画書づくりに時間をかけたのもそのためです。
やりたいことというのは、言ってみれば、自分がいちばんパフォーマンスを発揮できることです。
そこにこだわることは、自分がいちばんパフォーマンスを発揮できる環境を手に入れること、に直結します。
だから僕は、この環境づくりにとにかく時間をかけます。
僕の場合は、やりたいことをやれるなら、その環境づくりのために時間を9割使うことになったとしても、残りの1割でやりたいことをやれるほうを選びます。
9割面倒だけど、やったらこれができる、と思えば頑張れる。逆に言えば、そこまでしてでもやりたいことか、というのが問われてくると思うのです。
「チームをつくったほうがいい」と役員に言われたことで、僕はチームづくり、という新たな環境づくりに取り組むことになりました。
チームをどうやって動かしていくか、ということに関して、博報堂にはたくさんのプロジェクトがあり、僕自身も社内のさまざまなプロジェクトに参加してきたのですが、そのなかで、ふたつの学びを得ていました。
ひとつは、「リーダーが誰よりもコミットする」ということ。
それは、あるプロジェクトで、口だけで自分ではまったく動かないリーダーと一緒に働いた経験から得た学びでした。
その人は、人柄はとてもいいのですが、自分では行動しない、チームのメンバーの尻ぬぐいもしない、口だけは出す、という人でした。
リーダーがそういう人だと、プロジェクトに関わった人間は、どんどんフラストレーションがたまっていきます。
モヤモヤするし、気持ちよくプロジェクトに取り組めない。
テーマとしてはとてもいいプロジェクトだったのですが、リーダーがそういう人だったので、最終的にはプロジェクト自体もよい結果にはなりませんでした。
そんなリーダーの姿を反面教師として、僕は、口だけで自分の手を動かさないリーダーにはなるまい、何かをやるときは、リーダーとして誰よりも自分が動こう、と強く思うようになりました。
二度と一緒にやりたくない、と思ったプロジェクトではありましたが、そういう学びが得られたという点で、今となっては参加してよかった、と思っています。
また、別のプロジェクトでは、リーダーがとにかく「やるといったらやる!」とアグレッシブに動いていくタイプで、彼が自ら率先して動いて人を巻き込み、ぐいぐいとチームを引っ張っていく姿を目の当たりにしました。
そのリーダーシップには、すごいなぁ、と素直に感動したのですが、プロジェクトを継続させる、というときに、別の課題が生じました。
そのリーダーは、確かに行動力も押しの強さもあって、実際に人も動いたのですが、プロジェクトを進めていくうちに、メンバーのなかに少しずつ不満が溜まっていたのです。
そこには理由があると僕は感じていました。
リーダーも忙しくて仕方のない部分もあったのかもしれませんが、チームのメンバーや協力してくれる人たちに対してのリスペクトが足りていない、と感じたのです。本当は持っていたのかもしれないですが、それがはっきりと伝わりにくかった。
このときに得たふたつめの学びは、チームの一人ひとりに対して、ちゃんとリスペクトを示す、感謝の気持ちを表すことが大切になる、ということです。
これは、意識的にやらなければいけないと思いました。一緒にやってくれている人が、当たり前にやってくれている、などと思ってはいけないのです。
モチベーションが続かないことを、人は続けられないものだから、どうやってチームのモチベーションをつくっていくか、どうやって自分のモチベーションをつくるか、ということがとても重要だということを学びました。
だから、博報堂でモノづくりをする新しいチームを立ち上げるとき、リーダーとして僕が強く意識していたのは、リーダー自身が誰よりもやらないといけないということ。
そして、チームのメンバーをリスペクトして、モチベーションをつくれるようにすることでした。
そしてチームをつくるにあたり、いよいよプロジェクトの名称をつけることになりました。
たくさん考えたなかで、出てきたひとつが「monom」でした。
メーカーが「モノ」と言っても普通ですが、博報堂がやるのであれば、「モノ」という言葉は、ぜひ名前に加えたいと思っていました。モノをつくることを、表明する単語が欲しかったのです。
「monom」は、「モノ=mono」にいろんな言葉を足していったとき、キーワードとして「magic」という言葉が出てきたところから考えました。人の気持ちを動かす「魔法」、という意味です。
さらには、「marketing」のm、未来に対する「message」のmでもある。これらを通して世の中を動かしていく、という思いを込めています。
僕自身はコピーライターでもあるので、ネーミングにも仕事として携わることがあったのですが、ネーミングを考えるとき、意味から考える場合と、響きから考える場合があり、さらに、見え方も重要になります。
monomは、そういう意味でもよかった。YOYも線対称なのですが、monomも線対称です。線対称だと絵としての強さが生まれやすいのです。
また、monomには、真ん中に自分の名前である「ono」が入っています。これは、本当に偶然だったのですが、最終的に決める際に、自分がやるんだという覚悟の意味も込めてこのネーミングにしました。
monomのロゴに込められた理念
「モノ=mono」に、「magic」「marketing」「message」「move」などの意味を込めた「m」を組み合わせてできた。
みんなが「自分ごと化」する体制をつくる。
もうひとつ、チームでプロジェクトを進めるにあたっては、大切なことがありました。
それはチームのメンバーが「自分ごと化」する状況をつくることです。
先に、案件ごとにプロジェクト化していくという話を書きましたが、それだけではなく、monomでは、各案件に一人だけ担当をつけるかたちにしています。
もちろんプロジェクトそのものは、社外の人にも入ってもらってチームを組みますし、僕もすべての案件に関わります。
また、事業的な視点が必要になるフェーズになったら、経営企画局出身の谷口に入ってもらったり、博報堂の法務室に所属するメンバーにも入ってもらうのですが、担当するmonomメンバーは、僕を除けば、基本的には一人です。
プロジェクトは複数同時に動いているので、monomのメンバーは、それぞれがそれぞれのプロジェクトの主体者になります。
プロジェクトでよくあるのは、複数のメンバーみんなで考えて、みんなでディスカッションしたり、ミーティングをしたりして、プロジェクトを進めていく、というものだと思います。
monomではそうではなくて、個々で考えるのです。
先にも書いたように、僕と一緒にテーマを考え、方向性を定めながら進めるので、基本的に考えるのは僕を除けば一人、という体制にしているのです。
どうしてこうしたのかというと、プロジェクトを「自分ごと化」してもらうためです。
これも、僕自身が社内のさまざまなプロジェクトに参加するなかで感じたことなのですが、みんなでやると「きっと誰かが考えてくるだろう」ということになってしまって、なかなか「自分ごと化」しないのです。
だから、「自分がやらないと誰も考えてくれない」という状況にしたかった。そうすることで、自ずと「自分ごと化」するのです。
プロジェクトのメンバー同士で和気あいあい、みんなで楽しくやろう、というのも、それはそれでいいこともあるのかもしれませんが、どうしても役割がかぶってしまう。
そうすると、お見合いをして遠慮してしまうようなことも起こる。こういうところも、モチベーションに大きな影響を与えると思いました。
また、モチベーションに差があると、低い人がチームに悪影響を及ぼしてしまったりもします。それなら、完全に分けてしまったほうがいいのです。
実際、「企画を持ってきて」と言ったとき、他にも誰かいたら、ある程度、手加減できてしまうわけですが、一人だとそうはいかなくなります。
また、ちゃんとしたモノづくりは初めてで、勘所もわからなかったりするところからはじめるメンバーもいるので、持ってきたアイデアに対しては、「これは可能性があるから、もうちょっと掘ってみよう」「これはこうだから、ちょっと難しいかな」といったコメントを、僕が丁寧に返していくことを心がけています。
そしてもうひとつ、個々で考えるというこの仕組みは、僕にとってもいい効果をもたらしています。
実を言うと、僕は、自分のペースでやっていいと言われると、わりとマンガを読んだりしてサボってしまうタイプなのです。
だから、チームのメンバーと一緒にやることで、彼らがこれまで以上にその気になるようなアイデアを僕も出さないといけない、という状況に自らを追い込むのです。そうすることで、僕自身のモチベーションも上がるし、そんな僕のモチベーションに引っ張られて、担当メンバーも、もっといいものを出そうというモチベーションがわく。
もちろん自分がいちばんいいアイデアを出してやろう、くらいの気持ちでやってはいるのですが、一人で悶々と考える、というよりは、僕にとっては、メンバーが一緒に考えてくれていることが、僕自身の考えるモチベーションにもなっているのです。
しかし、例えば週に1回の打ち合わせが3つのテーマで同時に走っているとすると、その全部に向けて考えないといけなくなる。
もちろん、すぐにはいいアイデアは出てきません。何カ月もかかるものもあるし、3年経ってもまだいいアイデアが出ていないケースもある。
だから、僕の場合は、アイデアを出すためにアイデアの出やすい環境をつくることを心がけています。
僕は、基本的に朝型です。しかも、かなり極端な朝型です。朝の5時くらいから仕事をはじめて、昼くらいに一通り終わらせて、あとは、打ち合わせを繰り返していくことが多い。おかげで夜はすぐ眠くなってしまいますが、朝、動くのです。
これは、大学で建築の勉強をしていた頃からです。
建築を考えるときには、ひらめきが必要でした。では、自分がひらめくタイミングとは、いつなのか。それが、寝起きの瞬間でした。
寝るまでとにかく考えて、いろいろな情報を脳にインプットしておく。そして、目が覚めるか覚めないか、くらいのギリギリの瞬間。そこに、ひらめきがやってくることが何度もあったのです。
そこで僕が何をしたかというと、1日何回も寝ることでした。寝ている合計時間は、普通の人と同じですが、1日に何回も寝起きをつくるようにしたのです。行き詰まったら、とりあえず寝る。だから、短い時間、何度も寝ていました。
おそらく寝ている間に、脳の中が整理されて、起きるか起きないか、という瞬間に脳が急速に動きはじめ、ひらめくことにつながっていたのだと思います。実際、これで何度もひらめきを手に入れていました。
脳の調子がいい、という意味では、電車の中も有効です。
目的の駅までにひらめくぞ、と決めて、通勤や打ち合わせのための移動の電車でアイデアを考えたりしています。
また、お風呂でもよく思いつくことがあるので、考える時間として入浴をしています。
特に大事にしているのは、脳がすっきりしている朝のお風呂です。おかげで、朝の打ち合わせには遅刻しがちだったりします。
もしかすると、こうしたことは自分への勝手なマインドコントロールかもしれませんが、このようにして思いつく環境を意識的につくる、というのも、とても大事なことなのです。
こうして考えたアイデアを「もう世の中にあるね」「面白いけれどプロモーションっぽいかも」「それは博報堂がやったほうがいいのかな」などなど、メンバーとディスカッションしていきます。
そうすると、やることが狭まっていって、アイデアが出にくくはなるのですが、とにかく出して考え、出したものをたたき台にして方向性を探していく。
それが、最良の方法なのだと実感しています。
〔第6章につづく〕
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