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腹のスペースに落ちてゆくこと。

サットサンやセッションで誘導瞑想をしていると、

「いつも頭の中の思考が忙しくて、疲れているのに、誘導してもらうことで、意識がハラに落ちて、くつろぎを感じた」という感想をもらうようになりました。

誘導する場合、言葉を使って、ハラのスペース(第一、第二チャクラ)にいざないます。

「上半身の力を抜いて下さい」とか、「瞼の力を抜いて下さい」と言って、リラックスしてもらいます。

ハラのスペースには、湯舟のような優しさや包まれるような深いくつろぎがあります。

母親の胎内で安らいでいる胎児のようなものかもしれません。

何も無いのに、安らぎがあるのです。

僕はこの「ハラのスペース」がよく分からなかったのですが、師匠(グル)といっしょに座っている時にいつのまにか体感しました。

ヨガ行者など悟ったマスターと座っていると、こういったことが起こります。

あたかもそのマスターの臨在が周りのひとをひっぱって、そのスペースに引き込むかのようです。

誘導瞑想をしながら、僕の意識が下へ下へと落ちてゆき、ある一定の状態に到達した時、おそらく、参加されている方々も同じタイミングでそのスペースに落ちているのではないかと思います。

なぜなら意識が共鳴しているからです。

まず先に僕自身がその沈黙のスペースに入り込む必要があるのです。水先案内人のようなものです。

すると、それにひっぱられるように周りのひともその沈黙のスペースに導かれるのだと思います。

ハラのスペースに落ちると、時間がなくなったように感じるかもしれません。目を開けると、いつの間にか30分とか、1時間経っていた、ということが起こります。

よく「今ここ」を感じるために、身体に意識を向けましょう、ということが話されていますが、

本当の「今ここ」というのは、身体感覚=五感の感覚から自由になっている状態なのです。

「無」と言って良いかもしれません。

深く座っていると、意識がハラに落ちて来て、自分がいるか、いないか、という状態になります。

身体と意識がすっぽりと下のスペースに吸収される感じです。

時間と空間のない、深いくつろぎの中で動かないという感覚です。

ハラに日常的に気が落ち始めると、瞑想をしなくても、深いくつろぎを感じるようになります。

目を開けていることと閉じていること、座っていることと立っていることはそれほど関係なくなるのです。

恐怖や不安が沸き上がっている時と言うのは、頭に気がのぼっている状態です。

ほぼすべての人間は幼い頃から、

「〇〇をしないと大変なことになるぞ!」という恐怖心を植え付けられてきました。

あるいは、好きなことをやっていたら、「そんなことをしていてもお金にならないぞ!」などと否定されて傷ついているのです。

その声は大人になっても、ずっとささやきつづけています。

さらに、現代人は、頭に気がのぼりやすい時代を生きています。デスクワークが主だからです。

ちなみに僕も日常生活の中で常にハラに意識が落ちているわけではありません。

ですから、なるべく運動をし、身体を動かし、気を落とすようにしています。

そして、呼吸を通じて、ハラに自分をゆだねるのです。

一日に10分でも、瞑想や座禅をして、ハラに自分をゆだねる感覚が分かれば、現象のサバイバルの世界とは関係のない安らぎが見出せるようになります。

恐怖心と言うのは、マインド(頭)の中にあります。

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今週のサットサンは17日(日)の11時~です。zoomにて無料。カメラはオフでも構いません。参加を希望される方は↓まで。
naokifloweroftheheart@gmail.com

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