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目覚めとは、「観ている自分」に気づくことである。

サットサンに参加された方々に向けて、

「試しに今日の夕飯のことを考えてください」と指示した。

夕飯をつくることを無理やり考えてみる━━。

次に、考えていることそのものを見つめる──。

すると、夕飯のことを考えている自分を観ているもうひとりの自分が後方のあたりにいることに気づかないだろうか?

もし、あなたが思考そのものであれば、思考していることにすら気づけないはずなのだ。

実際、その「観ている自分=気づいている自分」と言うのは、エネルギー的に感じることができる。頭の周りとか、後方に存在している。

一般的に、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想のように、身体のどこかや行為に気づき(意識)を向けるということが悟りへの道だと言われている。

確かにそれは効果的なのだが、意識が依然として、外側に向いたままだ。

本当の意味で悟るためには、意識を反対方向に向けないといけない。

これは難易度が高い。多くのひとはいきなりこれは理解できないようだ。

大抵の場合、長年瞑想をして行き詰まりを感じているひとが、「気づきに気づく」=意識を反対側に向けるということを知って、目覚めのブレイクスルーを起こす。

あるいは、人生上の苦しみの中で「観ている自分」に突然、目覚めるということが起こる。

それは一瞥体験と呼ばれている。

「こんな苦しい人生なんてもうムリ!」となる時、突然目覚める。つまり、思考との同一化から離れるのだ。

「あれ?もうムリ!と思っている自分に気づいている自分って一体何なんだろう?」と。

その頭の周りや後方のあたりにある「観ている自分」は、身体や心にどんなことがあっても、それを観ていて、苦しみや喜びすらも離れて、ただ静かに存在している。

本当の幸福というのは、この「観ている自分」としてとどまることなのだ。

「気づきに気づいている」時、世界は映画のように見える。

もちろん、視覚は日常の風景や他者を捉えている。

しかし、目覚めたひとは世界を本当の意味では、観ていない。

観ているのは、反対方向にある源泉であり、無の次元だ。

そして、その「観ている自分」にとどまることができるようになると、頭のあたりで騒がしくしている気がハートへ、さらに腹へと落ちてくる。

そして、自動思考が止まる。

いずれ思考することすらできなくなる。

思考を止めようとしていたのが、今度は「どうやって考えれば良いんだろう」という状態になる。

そして、予定や計画を立てることもできなくなる。話すことも減って、どんどん沈黙するようになる。

以上のことが僕が発信したいことの内容だ。

でも、自分はかなりヤバいことを話しているのだ、と最近気づいた。

なぜなら、これは万人向け、大衆向けの話ではないからだ。

意識を逆に向けるということは、最終的に、苦しみからの解放をもたらす代わりに、幸福を掴むことすらもできなくなる。

女性のM様は幸いにもその「観ている自分」を体感していた。

M様は禅宗のお寺で「幸せすらも掴んではいけない。何もかも捨てないといけないのだ」と言われた時、拒否反応があった、と語ってくれた。

すべて捨ててしまったら、無になってしまうではないか、と。

でも、今では、その僧侶に言われたことが分かる、とM様は言う。

無であること、静寂であることがほんとうの幸せで、

「観ている自分」にとどまることができて始めて、世界をいっさいの執着なしに楽しむことができる、という趣旨の話をされた。

「観ている自分」のことがなかなか理解されないんです、という愚痴をこぼしたら、M様は慰めるように、

「でも、Naokiさんがその話をnoteの記事で書いたり、サットサンで話をすることで、読んだ人や聞いたひとの内側に種が撒かれるんですよ。その種がいつか花開く時が来るんです。それは何か月先か、何年先か分かりません。私が禅宗のお寺でポジティブなものさえも手放しなさい、と言われた時、分からなかったことが今では分かるように。」と言ってくれた。

M様に言われたとおり、僕は今まで通り、この訳の分からない、クレイジーな話をしてゆくことになるのだろうと思う。それが多くのひとに届かなくても良いのだ。

僕は種を撒いているだけで、それが開花するかどうかは、僕が心配することではない。

何事も期待してはいけないのだ。すべては自然に起こっている。

Naokiさん、今日もサットサンに参加させて頂き、ありがとうございました。

何度か参加させて頂きながら、その都度感じる新しさや、それでいてずっと変わらずある何かがあり、そのような深淵な時間空間を提供してくださっていることに感謝しています。

共有させて頂く静寂は、しんと静まっているようで、その奥ではなんだかものすごく沢山の何かがひしめきあっているような、躍動すら感じられるような不思議を感じます。

かけがえのないひとときをありがとうございました(^-^)

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