【彩の国さいたま芸術劇場】コンサートの当事者になって感じたこと
2020年から3年間にわたって、年に2回のペースでナビゲーター(案内人)を務めさせていただいた、彩の国さいたま芸術劇場が主催する平日午前11時からのコンサート「イレブン・クラシックス」が一区切りとなった(同劇場は2022年10月3日から2024年2月29日まで大規模改修工事により長期間の休館に入るため)。
※「イレブン・クラシックス」これまでのラインナップ
Vol.1 葵トリオ 2020年6月19日(金)(公演中止)
Vol.2 波多野睦美(メゾソプラノ)&高橋悠治(ピアノ) 2021年1月13日(水)
Vol.3 葵トリオ 2021年6月9日(水)
Vol.4 森谷真理(ソプラノ)&山田武彦(ピアノ) 2022年2月22日(火)
Vol.5 大萩康司(ギター)&江戸聖一郎(フルート) 2022年5月18日(水)
これまでにもコンサートの司会やプレトークなどをさせていただいたことは何度もあったけれど、こうした公共のホールの主催事業のシリーズもので、しかも地元で、企画段階から深く関わらせていただいたことは、とても貴重な経験になった。
いったいどういう風にして出演者が決まり、曲目が決まり、企画が定まり、コンサートはどんなプロセスを経て実現していくのか? アーティスト以外の裏方、制作の人々のどんな思いがそこにはあるのか? どれほど彼らの大変な努力と誠実さと技術があって、その信頼の上にこのコンサートが成り立っているのか? それを肌で感じることは、変な言い方になるが、またとない取材の機会でもあった。
大勢の観客の前で自分が舞台に立つということは、ある意味「晒し者」になるということだ。少しは演奏家と同じ場所に自分が立ってみることも、批評的なことを書こうという者にとっては、大切な経験である。
「イレブン・クラシックス」では、司会者という以上の思い切ったこともたくさんやらせていただいた。トークタイムでは必ず演奏家に無茶ぶりして、公演曲目に書かれている以上の何か(たとえば葵トリオにはメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第2番の第4楽章のクライマックスで出てくる重要な旋律を予習用に抜き出して)を演奏していただいた。初めて聴く曲のさわりをあらかじめ耳に入れてもらうことで、楽曲の理解にはとても役立ったと思う。
文学や美術など他ジャンルとの関連もできるだけ盛り込むようにした。音楽家の立場から、自由に他のジャンルの芸術について話していただくことも大切だと思ったからだ(たとえば今回大萩康司さんと江戸聖一郎さんのデュオでは吉松隆さんの曲にちなんでパウル・クレーを取り上げ、プログレッシヴ・ロックとの関連ということで、余興としてキング・クリムゾンの名曲「I talk to the wind」のさわりを編曲・演奏していただいた。森谷真理さんと山田武彦さんのラヴェルの歌曲集「博物誌」では、ルナールのエッセイに添えられたボナールとロートレックの挿画も舞台背景に映写した)。
詩の朗読も何度かやらせていただいた。波多野睦美さんも森谷真理さんも、喜んで私の背中を押してくださったのはありがたいことだった。高橋悠治さんの「民衆に訴える」の朗読を私がやるということを波多野さんがリハーサルで提案されたとき、作曲者である悠治さんが「どうぞ」とひと際はっきり大声で答えたときのうれしさは忘れられない。
コンサートで歌曲を原語で歌う前に、詩の大意を聴衆がつかめるように日本語で朗読することは、歌詞カードや字幕ばかりに気を取られないようにするためにも、有効な手段だ。
朗読とは、演奏技術を持たない者であっても、内容面で演奏に参加することができるという意味で、実は「誰にでも開かれた手段」でもある。もちろんプロの俳優や声優がそれをやるなら、よりコンサートの完成度は高まるだろう。特に作品の規模が大きい場合はやはりプロの朗読の方がいい。
だが、それが小さな「詩」である場合は別である。なぜなら詩とはさまざまな読み手が自分なりに共鳴し、ときには自己の内部から発する言葉へと転化していくことが、その本質なのだから。誰もが声に出して読むことを詩は求めているといってもいい。それを少しでも舞台で実践したかった。
舞台にアーティストと一緒に立ってみて改めて感じたのは、本番の舞台上では出演者どうしは本能的に助け合うものであるということだ。その頼もしいような熱いような感覚は、最良の友情のようにいまも心に残っている。
また、アーティストや出演者にとって、ホールで働く人々の視線や一言がもたらす影響は絶大である。音楽好きの熱心な人がそのホールにいるかどうか。それは音響の良しあし以上に、ホールの印象を決定づける。幸いその意味で彩の国さいたま芸術劇場は、本当に素晴らしい環境だった。
また、舞台上から観た客席は、一人一人の顔が想像以上にはっきり見える。寝ているか起きているか、気持ちを奪われているのか退屈しているのかも、一目瞭然だ。その無言の雰囲気もまた、出演者への影響は絶大である。
そう、いま思い出したけれど、森谷真理さんの歌うラヴェル「博物誌」のときに、マイクでPAを通した私の朗読と比べて、PAを通さない森谷さんの歌唱が微細なピアニシモが際立つものだったのに気が付いて、2曲目から私の朗読の声量をささやくくらいにぐっと落としたことがあった。マイクを通した話し声は、クラシックの場合、しばしば生演奏のピアニシモを台無しにしてしまう。そのバランス調整もコンサートでのトークでは気を付けたいポイントだろう。
とにかく、こんなに自由に試行錯誤しながら、たくさんのことに挑戦できるコンサートの当事者となる機会をいただけたことは、本当にありがたい経験だった。
これまでお世話になったアーティスト、そして彩の国さいたま芸術劇場の公演担当者、劇場スタッフの皆さん、そして平日の午前11時開演であるにもかかわらず、会場まで足をお運びくださったたくさんのお客様には、改めて厚く御礼申しあげます。
※写真はJR埼京線与野本町駅近くで撮影したばら
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