傍観者ではなく当事者になること
写真は、JR埼京線与野本町駅から彩の国さいたま芸術劇場に向かう途中、与野西中学校の横にある歩道沿いの花壇で撮ったもの。
彩の国さいたま芸術劇場で、平日午前11時開演の「イレブン・クラシックス」というコンサート(全席2000円)の年2回のシリーズのナビゲーターをさせていただいている。
今年の1月13日には波多野睦美さん(メゾソプラノ)と高橋悠治さん(作曲、ピアノ)、昨日6月9日には葵トリオが無事終了したところである。
室内楽と歌曲をラインナップすることで、アンサンブルを楽しんでいただく機会を作るだけでなく、コンサートの内容をどう面白くしていくか、アーティストや劇場と一緒に考えながら作っていくのは、とても楽しい。
作る側に回ることは、取材者としても、何物にも代えがたい経験である。
ステージの上でアーティストと助け合い、スタッフとともにその緊張を身をもって体験することで、舞台に関わる人々すべてに対するリスペクトを一層強く持てるようになる。
とかく評論家は、客観的であろうとするあまり、上から目線で「評価」することに慣れっこになってしまう。そういう特権的「ジャッジメント」も必要な局面もあるかもしれないが、それよりも自分は、できるだけ作り手と観客を結ぶための仲間、パートナーでありたいと思う。
そもそも取材という行為は、それ自体、傍観者から当事者への第一歩である。話を聞く。共感する。それを言葉で誰かに伝える――それだけでもう「参加」なのだから。
イレブン・クラシックスの次回は、来年2月22日(チケット発売は11月初旬予定)に、森谷真理さん(ソプラノ)と山田武彦さん(ピアノ)を予定している。
森谷さんは6月3日サントリーホール・ブルーローズでのリヒャルト・シュトラウス協会の例会のリサイタルを聴いたばかり(ピアノは河原忠之さん)。ドビュッシー「抒情的散文」やラヴェル「シェエラザード」では、美しく精確な音程、言葉に応じて変化する豊かな表情で、まるでレンズの焦点がピタッと合うような見事な歌を聴かせてくれた。シュトラウスでは、作品27の4曲のつながりのなかで、有名な歌曲「あした」の最後「und auf uns sinkt des Glückes stummes Schweigen」(そして、私たちの上に至福の沈黙が訪れるだろう)で見せた、ライブならではの徹底的な静寂への意識が印象に強く残っている。
森谷さんは、私と同様、埼玉県内の高校に通っておられたこともあり、そんな地元どうしならではのトークも2月22日のコンサートでは少しできるかもしれない。
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