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【宝泉寺】坐禅修行 坐禅とは?後編 死ぬのが怖い人、読むべし!

前編はこちらから↓

そもそも坐禅とは何なのだろう?
ネットで調べると様々な説明が出てきた。
いくつか抜粋します↓


座禅とは…
姿勢を正して座り、精神を統一させることで自分と向き合うという仏教の修行方法のこと。
その本来的な意義は、「自分自身のこころを静かに見つめ直すこと」にあります。
歴史は非常に古く、仏教の開祖であるお釈迦さまの修行に始まると言われています。


まず1つ目の座禅の魅力は、姿勢を整えられることです。
特に座って仕事をすることの多い人は、良くない姿勢で日常生活を送りがちなので、一度座禅で調(ととの)えるのもいいかもしれませんね。
2つ目は、ゆったりと呼吸を調えて、心の落ち着きにつながることです。
普段なかなかリラックスした時間を取れない人には、座禅をすることで心に良い変化が訪れるかもしれません。
そして3つ目の座禅の魅力は、落ち着いた心で自分を見つめ直して、不安や悩みがクリアになることに期待できる、ということ。
人間関係や仕事など、悩みを抱えている人も多いことでしょう。
「悩みをどうすればいいかわからない」「自分はこのままでいいのだろうか」など、今の自分とゆっくり向き合いたい人に座禅はおすすめです。


仏教の開祖であるお釈迦様は、インドにあるブタガヤの菩薩樹の下、7日7晩の坐禅を行った後に悟りを開かれました。現代でも、坐禅をすることで心の働きを整えることができます。


その中でも最も分かりやすかったのがこちら!↓
是非、読んでみてください!

と、ここまで坐禅について読んでも結局は何なのかわからない。
今の自分に必要なものではない、というのが正直なところだった。
しかし、何事も経験あるのみ。

宝泉寺での修行を通して、坐禅を体験した。

それでも、最初の方は
「足の痛みに耐えながら25分間坐っているけれど、これであってるのか?」
「終わった後にきつかった、という感想しかないがこれでいいのか?」
とゴールが見えずにいた。
ゴールどころか、急にスタートラインに立たされて、スタートの合図が鳴り、レースが始まったようなもの。
走るのか、歩くのか、競うのか、踊るのか、すら分かっていない感じ。

しかし、修行を始めて5日目の和尚さんの講話で、ゴールが明らかになった。

週に2回、1時間ほどの講話を和尚さんが修行者にしてくださる。
iPadを使って、仏教についてを具体例をたくさん出しながら、誰にでも分かりやすく、ものすごいスピードでお話をしてくれる。
和尚さんはアメリカの大学院で臨床心理士の勉強をしていたこともあるそうで、仏教の考え方とは相反する私見もお話ししてくれて、盲目的ではないより自分たちの生活に直結するような内容もたくさんあった。

その和尚さんのお話を耳をかっぽじって聞き、メモをとりまくっていたところ、中盤で「死ぬのが怖い人がこの世にはいる」というお話になった。
私は、「自分のことだー!!!」
と、さらに耳の穴をこじ開けた。

そもそも人生は【四苦八苦】とのこと。
四苦八苦とは
①生 生きること
②老 老いること
③病 病気になること
④死 死ぬこと

⑤愛別離苦 愛する者と離れたり、死別したりすること
⑥怨憎会苦 誰かを恨んだり、憎んだりすること
⑦求不得苦 求めるものが手に入らないこと
⑧五蘊取蘊 自分の身体が思い通りにならないこと

生まれてくること、生きることすら苦というのが、仏教の考え。
(それ以外は納得できるが、これは初めての感覚だった。)

その中で死ぬことも苦であり、大きく2つの苦があるということ。
①死ぬことへの恐れ
②死ぬときの単純な苦痛

私は①である。
というのも、物心がついたときから死ぬのが本当に怖い。今でも夜、声が出そうになるくらい死ぬのが怖くなり、胸が痛むことがある。
基本的に悩みや恐怖、不安という感情は日常生活でほぼ無いに等しい私だが、唯一の恐怖は『死ぬこと』。
寝られなくなりネットで調べていて『死恐怖症』にたどり着き、私はそうなのではないかと思うほどだった。

死んだ後の世界を想像するだけで怖くなる。
あるときじいちゃんに、死ぬのが怖くないのか聞くと、「死んだら何もわからないんだから怖いも何もない😆」と一蹴されてから、頭では理解できるが心では恐怖がある状態だった。

話を和尚さんの講話に戻す。

和尚さんは
「①の人は自意識が無くなることが怖いのだ。そういう人に昔からよく言われているのは、『1回死んだら怖くなくなる』ということ。1回死ぬというのは本当に死ぬのではなく、【自意識】をなくすということ。それができるのが坐禅なのだ。」
とお話をした。

なるほど。

禅宗において坐禅は、坐禅をして悟りを開くことが目的であるが、私には悟りを開くというのは身近ではなかった。
というか未だに良く意味はわかっていない。

しかし坐禅をして、自意識がなくなることで1回死を味わい、死が怖くなくなるということは、今の自分にとって最も必要であり、望んでいること。

私のメモ📝

和尚さんは、坐禅の基本である『調息 調身 調心』をしっかりとして、坐禅をし続けていればいつか自意識がなくなるという。

坐禅の本の中にも
「坐相が安定し、呼吸が落ちついたら、こんどは下腹をゆったりとさせて、およそ善悪というものを思量しないことだ。
もし意識に起こったら、すぐにこれを覚ませるのであり、覚ませば、すぐに意識はなくなってしまう。
このように時を経て、対象的な意識がなくなると、自然と一つのかたまりとなる。是れが坐禅の最も大切な方法である。」
とある。

私はこの講話を聞いて、そこから2日間坐禅に対してプラスのモチベーションで取り組んだ。
一度死んでみたかったから。

ただ結論はそううまくはいかず。

最終日も自意識をなくして死ぬことはできなかった。

この世には坐禅をしている方がごまんといる。
スティーブ・ジョブズも安倍晋三さんも名だたる外国のスポーツ選手も数多く坐禅を行っていたという。
しかし全員が同じ目的ではないと個人的には思う。そもそも坐禅を組むことを目的としている人もいる。
坐禅には色々な効果があり、単に悟りを開くためのものではないと考えている。

そして私にとっての坐禅とは…
『死の恐怖からの解放』

ネットでは見つけられなかった、答えにたどりついた。

やっぱり来て良かった。
経験して良かった。
しかしまだ解放はできていない。

継続は力なり。

宝泉寺の和尚さん、常住さん、修行者の皆さん。
ありがとうございました!

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