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寝ても覚めても振付。頭で踊る。

インフルエンザに感染してしまった。12月8日(月)、熱っぽいと思って病院に行ったら、インフルエンザだった。まさかの久しぶりの再会。中学校以来だと思う。小さい頃はインフルエンザで休めることにちょっとしたラッキー感もあったけれど、今回ばかりはそんな余裕は皆無だった。40.5℃。熱にうなされて、朝が来るのをただひたすら待つ時間が永遠のように感じた。自分の体力の衰えも感じて、「ああ、これが歳をとるってことか…」と無駄に実感したりして。それにしても不思議だ。身体は完全にダウンしているのに、頭の中は止まらない。寝ていても、ぼんやりとした夢の中でも、振付を考えている。いや、考えちゃうんだ。頭がガンガン痛くて、咳き込みながらなのに、稽古場で「ここはこう!」と動きながら言っている自分が浮かぶ。振付って、こんなにも自分の中に染み付いているんだなと、ちょっと笑えるほどに。

振付でいうと、最近、いろんな場所でチャンスをいただくことが増えた。振付やダンスの依頼、学校での講演、先生から声をかけてもらって作品内の振付を任されたり――。まだまだ実力も経歴も足りないのに、自分に期待してくれる人がいる。それがすごく嬉しいし、同時に大きな不安も抱える。でも、その不安があるからこそ、突き進めるんだろうなと思う。不安は消えない。でも、それでいい。誰だってそうだし、不安を振り払うためには、自分がやってきたことをただ続けるしかない。ただ、最近気になることがある。全然話が逸れるんだけど、本を読む人の少なさがヤバい。特に今の学生。もちろん、本を読むことがすべてじゃない。でも、何かモヤモヤしていることや言語化できない感情に対して、過去の先人たちは必ずヒントや答えを残している。それを取り入れることで、今後の文脈をどう築くか、その可能性を広げられるはずなのに、行動に移す人は少ない。今の世の中は、遅延性のやりがいよりも、即効性の快楽を選ぶ傾向が強いからだろう。SNSやネット文化がそうさせるのかもしれない。

「みたいものしか見ない。ききたいことしか聞き入れない。」

そんな偏った情報の中にいると、気づかぬうちに、自分の世界が狭まっていく。例えばX(旧Twitter)やインスタもそうだ。意識的にいろんな人や媒体をフォローしなければ、すぐに偏りが生まれてしまう。noteだって、ある意味そうかもしれない。気をつけないと、狭いコミュニティに閉じこもりがちになる。インフルエンザに感染した話から、だいぶ遠いところに着地してしまった。でも、一週間ほどゆっくり過ごして、いろんなことを考えられたことは幸いだと思う。もちろん、関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ない。ただ、デジタルデバイスから強制的に距離をとって、自分の体や身の回りのことだけに注意を向ける時間を持てたのは、ある意味で大切な機会だったと思う。情報過多の現代において、こういう時間がどれだけ貴重か、改めて感じた。

脱・マルチタスクゾンビ。日々、僕たちは何かをしながら何かを考え、目の前の時間や空間にちゃんと向き合えていない。
でも、それってすごく危ういことじゃないか。身体と頭をちゃんと繋げる。その大切さに、熱にうなされながら気づかされた。
今日も僕は活動を続ける。インフルエンザにはもう二度と感染したくないけれど、立ち止まる時間も、きっと必要なんだ。

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