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元うつ病ニートがパン屋開業を達成して幸せに生きるまでの物語(序章)

皆さんこんにちは、パン作り研究家のナオキパンです。

YouTubeチャンネル「パン作りの教科書 / ナオキパン channel」と、ブログ型サイト「パン作りの教科書」で、パン作りの疑問を解決する情報発信をしています。

今回はnote初投稿ということで、僕がパン屋開業を決断するに至った道のりを書き記しておこうと思います。
これは「元うつ病ニートがパン屋開業を達成して幸せに生きるまでの物語」の序章となる部分です。
終章まで完成できるよう、頑張ります。

※正式には「うつ病」ではなく一歩手前みたいな「自律神経失調症」ですが、タイトルではわかりやすく簡略化して「うつ病」と表記させて頂きました。誤解の無いよう付け加えさせていただきます。


キッカケは「大挫折」

身も心も経歴も傷だらけだった僕

僕がネット上での情報発信を本腰入れて始めたのは、正社員として勤めていた2社目の会社を辞めた後だったと思います。

一社目は高級食パン事業に新規参入するベンチャー企業、つまりスタートアップのメンバーとして入社し、1店舗目は工房長(製造責任者)、2店舗目は店長(店舗責任者)をやらせて頂きました。

「1店舗目のオープンから1年足らずで2店舗目をオープン」
字面だけ見たらスゴイと思われそうですが、実際には2店舗目のオープンから1か月ほどで体を壊してしまい退職しているので、全然大したことないです。

しかも在職期間はトータルで1年少し満たない程です。世間一般では「経歴にキズが付く」とは正にこのことを言うのではないでしょうか?

そこから三か月ほどで「治った!」と思い、今度はオリジナルのベーカリーブランドを立ち上げようとしている田舎の中小企業に、ベーカリー部門の最初のひとりとして入社しました。
(懲りずにスタートアップ案件を選ぶという…笑)

この会社では主に商品開発を依頼され、偉い人のアイディアを代わりに僕が試作するということを、仕入先の選定や店舗レイアウト作成と並行して延々とやっていました。

ですが大型店舗のスタートアップなので、もし店がオープンしたら僕一人では当然店を回すことはできません。
2人目にベテランが入社してきたのですが、この人は後に店舗スタッフの多数からモラハラ被害を告発されてクビになります。

そんな人と二人っきりで仕事を進めていくハメになったのです。
どうなったかは察しがつきますよね…?

嫌がらせをされたり、会話が成立しないほどのコミュ障であることを自覚すらしていない人なので、こちらは結構なストレスが溜まっていくのです。
僕は当時、自分には合っていない価値観のビジネス書に書いてあることを鵜呑みにして、人をとにかく信じて疑わないスタンスでいました。
これは、この状況とはとても相性が悪く、
「自分がおかしいのかな?自分に理解力が無いのかな?自分に伝える力が無いのかな?」
と自分に対する猜疑心や不信感ばかりが募ってしまいました。

(今だから言えるけど多分、彼がもし精神科を受診したら○○性パーソナリティ障害とかASDとか何かしらの診断は下る人だとは思う。だからといって彼の行いは許される行為ではないけれど。そして僕はある種の「カサンドラ症候群」一歩手前みたいな状態だったのかもしれない。これは差別ではなく客観的事実であり、今の世の中が抱える大きな問題でもある。タブー視するから社会問題はこじれるのです。そのうち勇気を振り絞って詳しく言及します。)

そんなこんなで体調が悪くなりつつある中、東京ビッグサイトの展示会から帰ってきてから急激に体調を崩してしまいました。

実は1社目での体調崩しと2社目での体調崩し、それぞれ大きな共通原因があったのですが、当時はそんなことにも気付かず
「やっぱり一度でも精神疾患を患ったら一生治ることは無いんだ!自分は今後ずっとこうしてぶり返し続ける定めなんだ!」
と考えてしまいました。

そんな状態で大型ベーカリーの責任者など務まるわけが無いと判断し、結局2社目の在籍期間一年未満で退職。

その後、例のモラハラベテランから
「もう一度一緒にやらないか」
と誘われ、このまま終わるのも悔しいからせめて何か得るモン得ようと思い、
「体調のこともあるのであまりの長時間は厳しいので、アルバイトという形でなら良いですよ」
と出戻り。

けど始まってみたら普通に14時間とか働かされて、病み上がり(というか大して治ってなかった)故にすぐにぶり返して、徐々に働く時間もフェードアウトして辞めました。
なので通算では一年以上は在籍してはいましたが、やはりこれも世間一般的には「経歴に傷が付いた」ってやつですよね。

そう、僕は身も心も経歴も傷だらけになったのです。

2社目の2回目の退職をする前後、実はアレルギー疑惑で精神的にパンが食べられなくなった期間があるのですが、それについてはまた別の機会に持ち越すとして…

リハビリ目的で始めた発信活動、実はニートでした

2度も3度も自律神経の不調をぶり返したことで、
「流石に繰り返すともっと悪くなりそう」
と思い、そこから半年ほど働かない期間を設けました。

医者には行きましたが、基本的に過労による自律神経不調には特効薬がありません。
「とにかく休め、それが薬だ」と言われます。
補助的な役割で睡眠を促す抗精神薬は処方されましたが、僕の体に合わないのか酷い悪寒と痙攣が発生するので薬には頼らない方向で休むことになりました。

実際には三ヶ月ほど休養した後、焦りから慌ててフルタイムで働き出して四日で体が動かなくなり、その後更に三ヶ月間何もできない日が続いての結果「半年ニート」です。

そのニート期間中に、
「今までやってきた事は何だったのか?このままパン職人として生きていけない人生が待っていたとしても、せめて誰かの役に立つ形で今まで勉強してきたことを残しておこう。そうでもしないと前に進めない。」
と思い、はてなブログやYouTubeを始めたのです。

ニート期間中、何もしないでいるのも気が狂うので、まずは出来る事からやろうという名目で始めたのも一理あります。

つまり、リハビリ目的で始めたのがネット上での発信活動だったわけです。

その延長線上にあるのが、現在の「パン作りの教科書」ってわけ。

広告収益激減、それは己と本気で向き合う機会をもたらした

それからしばらくして、短時間のアルバイトから徐々に体を慣らしていき、ダブルワークで実質フルタイムと同様の働きをしながら自分の活動もするようになりました。

ありがたいことに環境に恵まれ、そしてYouTubeチャンネルもじわじわと伸び続け、とにかく「今を生きる」ことに幸福を感じていました。

「人生の中で今が一番幸せで、世界で一番幸せモンだ」
と、本気でそう思っていました。
(僕が日本の幸福度調査アンケートに回答したら平均を爆上げしてしまうんじゃないかってくらい)

そしてあわよくば、YouTubeを始めとするネット上の活動だけで飯を食っていけたらいいなと思っていました。
なぜかというと、自分の不調は決して治るものではなく繰り返されるものだと考えていたからです。
だとしたら現場でずっと働き続けるのは不安ですよね。

思っていたけれど、同時に
「ホントに今の道を進み続けて良いのだろうか?」
と、漠然と思っていました。

そもそも僕が運営しているチャンネルやブログのジャンル的に、マニアックすぎて広告収入だけでは飯が食えないことは明白です。

パン作り系の動画を好んで見る人は大勢いても、僕のコンテンツのような超マニアックでガッツリ学ぶための動画を見たがる人はそのうちのごく少数。
マーケット規模が小さいのです。

でも、チャンネルもブログも「マニアックすぎるからこそ」の価値があるものであって、いまさら路線変更するのは違う。

言ってしまえば「これ、詰みじゃね?」という危機感が薄っすらありました。

だからこそ、よりマーケット規模の大きなジャンルも並行してやった方が良いのではないかと考え、ガラにもないことを試してみたものの、結局どれも「収益を拡大するため」ということが動機なのでで「自分のやりたいこと」とは道が外れてしまい充足感に欠けていました。

そんな中で“怪しい男”から「共同でオンライン講座事業をやらないか」という誘いのメールが来て、当時はネット上での販路拡大を焦っていたこともありまんまとその気にさせられてしまいました。

途中で不審に思い、その男からのメールをAIに読み込ませて詐欺師である可能性について分析したりと、不信感がぬぐえなくなったのでお断りしたのですが、結果的には自分ひとりで講座事業を進めてしまいました。

その活動も結局は「収益拡大」が大前提であったため、活動内容自体は自分とフィットせず充足感に欠けており、
「本当にこれで良いのか?何が正解なんだ?」
と混乱しながらの講座制作となってしまい、出来上がったものは中途半端なものでした。

その活動のさなか、YouTubeの広告収益が激減したことで、
「広告収益とオンライン講座事業を合わせて生活していけるぞ」
という当初の目論見が崩れ去り、深い絶望の淵に立たされてしまったのです。

その絶望は僕から動画撮影・編集のモチベーションを奪い取り、人生で4度目くらいの燃え尽き症候群(一歩手前くらい)を発症しました。

僕の今までの人生における大きな分岐点は、だいたい燃え尽き症候群が絡んでいました。
流石に4度目ともなるとその不快感にも慣れて、日常生活に支障をきたす前に色々と対処が出来るのですが、
「今の生き方と考え方を根本から見直さないと、きっと今後も燃え尽き症に人生振り回されることになる」
と危機感を抱き、人生で初めて「自己理解」という取り組みにチャレンジすることになりました。

自己理解に取り組んだことで、今までの人生における幸せだった時期と不幸だった時期の何が違うのか、その要因を頭で理解でき、自分の選択による結果が全て必然だったことに気付きました。

きっと、収益激減という大きなトリガーがなければ僕は今でも己の人生について真剣に考えずフラフラとした歩みを進めていたに違いありません。

大きな絶望を与えてくれたYouTubeさんには感謝すら覚えます。

見失った自分の「本来の姿」を探す心の旅

度々訪れる自問自答「自分、ホントにパンで良いのか?」

とはいえ、自己理解に取り組んで一発で答えが出たわけではありません。

自己理解の本に書いてある通りワークを進めていき、最初に辿り着いたのが
「今までパンの道を進んできたことは間違いだったのだろうか?」
という疑問です。

というのも、自己理解ワークの中で自分の価値観を5つ洗い出すというものがあるのですが、僕には最初は4つしか出せませんでした。

そのうちの一つが「健やか」という価値観。
身も心も健康である状態に価値を感じ、また他人にも出来ればそうなって欲しいという価値観です。

これがどんな価値観なのか、わかりやすい例えで説明します。

この価値観を持っていない人なら、夜通しオールで酒とタバコにまみれながらの飲み会でも楽しさを感じるでしょう。
健康と引き換えに親密なコミュニケーションが取れるからです。
「健やか」よりも「繋がり」に価値を感じる人、とも言えるでしょう。

しかし僕には健康を害してまで他人との繋がりを実感したいだなんて到底思えません。
ましてやお金がもらえるわけでもなく、むしろ出費になるなんて、損しかありません。
「繋がり」よりも「健やか」により大きな価値を感じているということです。
(そもそも僕には「健やか」の他に「積極的孤独」という価値観もあるから尚更です。)

この「健やか」が僕にとって多いな障壁となってしまいました。

それはなぜか?
数年前から「小麦は体に悪い」といった情報が蔓延していますが、自分もその情報を鵜呑みにしてしまった時期があったから。
そして、その問題について自分の中でしっかりと折り合いをつけてこなかったからです。

小麦とグルテンと僕にまつわる壮絶な戦い(?)については別の機会に詳しくお話ししますが、
「『健やか』という価値観が自分の中にあるのに、パンが健やかさを害してしまうものだとしたら、これを仕事にするのは間違いなんじゃないか?」
と思ってしまったのです。

僕にはパン作りの他にスパイスカレーという趣味があります。
スパイスは体に良いとは言われるけれど、悪いと言われることは滅多にありません。しいて言えばナツメグには致死量があるということくらいです。
食べる漢方薬と言って過言ではないものがスパイスカレーです。

なので、カレーの道に転向することが正解なのではないかと考えることもありました。
他にもいくつかの道を考えました。
けれども、どれも自分がやっている姿を想像できず、決心できるほどのエネルギーは湧いてきませんでした。
結局、一回目の自己理解ワークでは結論が出ず、自分にとって厳しい疑問だけが残り、再び絶望を味わい続けることになったのです。

人それぞれ価値観は違うし、『健康観』も違う

「パンってそもそも何なんだろう?」
そんな禅問答のような疑問が浮かび、
「これはパンではない、全く別の何かだ」
と言い聞かせながらスパイスや全粒粉を使ったパンを作ってみたりもした。

やっぱり、パン作りは楽しい。どんなどん底にいても楽しめる。
だからこそ、自己理解ワークでたどり着いた疑問とぶつかる。
その時はなぜその疑問とぶつかっていたのかわからなかった。

もう、頭で考えるだけでは結論に辿り着かないなと思いました。
ちょうどその頃、「禅マーケティング」という本をたまたま見つけて、何となく惹かれるものを感じて読んでみました。
そこで初めて「禅」の考え方に触れました。

元々、瞑想が科学的にも心身の健康に良いということは知っていましたが、仏教の教えという部分まではあまり興味が持てませんでした。

しかし、多くの名だたる成功者が禅の考え方を取り入れていることを知り、何かしら学べることはあるはずだと思い、禅を世界に広めた白隠禅師の教えについてわかりやすく書かれている「心を燃やす練習帳」という本を読み、今の自分に必要なのは頭だけで考えることではなく、己の無意識を見つけて寄り添い共存していくことだと確信しました。

長いこと取り組んでいなかった瞑想にも再び取り組み、幼少期から未解決のまま心の奥底に封じ込められていた感情の再評価に取り組んだり、とにかく無意識領域にアプローチし始めました。

そうした取り組みから一か月ほどでしょうか、それまで頭だけで考えてこんがらがっていた思考がスルスルっとほどけてシンプルにまとまったのです。

その時、「健やか」という価値観に対しての結論として心の中で湧き上がってきた声はこんな感じです。

心の声「『健やか健やか』って口では言うけど、実際のところどうなんだい?
お前はどれだけ体の健康に気を使っているんだ?
お腹を壊す確率が高いとわかっているアイスクリームを絶対に避けているのか?
毎日しっかり食物繊維のグラム数まで管理して食事をしているのか?
していないだろう?
その結果、お前はどうだ?
不幸になっているのか?
否、十分幸せだろう?
むしろ、変に気を使いすぎることなくラフにしているからこそ、無駄なストレスを抱えず幸せに暮らしているのではないか?
『健やか』っていうのは、体の健康だけじゃなくて心の健康も含まれているんだろう?
頭でっかちに雁字搦めにされた生き方だと、かえってお前の『健やか』から遠ざかっていくのではないか?
お前はお前の思う『健やか』を生きろ」

もちろん、実際にこんな幻聴が聞こえたわけではありませんが、わかりやすく言うとこのような考え方を無意識からキャッチできました。

きっと、同じ『健やか』という価値観に辿り着いた人でも、その本質は人によって大きく異なり、僕の場合の『健やか』は頭でガチガチに体を管理することではなく、もっとラフでおおらかな姿勢のことを言うのであって、健康に気を使いすぎるのも使わなさすぎるのも違うということ。

人それぞれ異なる価値観ならぬ「健康観」があるから、自分の健康観を無理に他人に押し付けるのも良くないし、他人の健康観を鵜呑みにして自分に無理させるのも良くない。
「結局、要はバランスだな」
という結論が出たわけです。

ここでようやく頭と心のわだかまりが解けて、
「自分は本当にパンの道で良いのか」
という疑問が解決されるのもそう時間はかからなかったです。

一旦思考をクリアにすると、見失っていたものに気付く

広告収益の激減というイベントが、自分が今まで向き合ってこなかった心の中のわだかまりと真剣に向き合う機会を設けてくれて、結果的にそれらは解決されました。

その過程で僕が今までの活動で抱いていた想いにも気づかされました。
それは、うつ病などで体を壊して将来に不安や絶望を感じている人に希望を与えられる存在になることです。

「ちゃんちき堂」というシフォンケーキ専門店を営む方が執筆した「うつ病のぼくが始めた行商って仕事の話」という一冊の本があります。
この方も僕と同じく過去に自律神経失調症の診断を受けて、様々な心身の不調に悩まされた経験の持ち主なのですが、そんな人でも新たな夢を描き叶えて幸せに暮らしている事実を教わりました。

それまで僕は
「神経は一度傷ついたら元に戻らないってどこかに書いてあった。だから、一度でもうつ病など精神疾患に罹ったら、常に再発のリスクと隣り合わせで生きていくしかないんだ」
と、その後の人生に対する不安がありました。
正直、自分が店を持つことはおろか、就職してもロクに続かないんじゃないかという不安さえありました。

そんな思いを抱えていた当時の自分には、この一冊の本はとても大きく優しい希望でした。

自分がここまで回復したのも、将来への不安を拭い去ってくれたちゃんちき堂のおかげです。
けれどもあの時、あの本に出会っていなかったら、もしかしたら今でも不安と戦っていたかもしれません。
不安は体を蝕みます。すごく苦しいものです。
けど、不安を抱える人の皆があの本のような希望的存在に出会えるとは限りません。
もしかしたら、希望的存在に出会えなかったせいで人生を諦めてしまう人もいるかもしれないし、いたかもしれない。
なら、1人でもそういった存在は多い方が良いはずです。

自分の体調が回復するにつれて、自分もいつかちゃんちき堂のように誰かに希望を与えられるようになりたいと思うようになりました。

こんな思いを抱いていたことにも、自己理解と禅に触れたことで思い出すことが出来ました。

2つの使命が合わさって、一つの決意が生まれた

頭で考える自己理解への取り組みから、禅をはじめとする無意識領域へのアプローチを経て、
「自分の現状のせいで将来に不安や絶望を感じている人に、明るい希望を与えられる存在になりたい」
というミッション①に気付いたわけですが…

実はこの段階で既に、5つ目にして最も大きな価値観「本来性」に気付くことが出来ており、自分の「本当にやりたいこと」に通ずるミッションを見つけています。

それが、「素材の良さを活かして、届けて、発信する」というミッション②です。
※このミッションについては今後また詳しくお話する機会を設けます。

ミッション②を遂行するにはネット上の活動だけでは不十分で、まず「味」を広く届けてようやくその後の発信活動が活きてくるものです。

ただネット上で「この素材がこんな風に凄いから、皆もこのレシピで使ってみてね!」とどんなに吠えたところで、味は伝わりません。
味が伝わらないとその素材の重要性も理解してもらえないので、一番安い外国産素材で代用されて終わりです。伝えたいことは何も伝わりません。
だから、「発信する」を最初にやっても意味がありません。

けど、「発信する」の前に「味を届ける」があれば、かなり伝わるはずです。
「届ける」のついでに素材の歴史や特徴をお伝えする工夫をすれば、届ける行為自体が発信行為にも繋がります。

じゃあ、「活かして、届けて、発信する」を順番通りに行える環境は何か?と考えた時、自分の店を持つことがそれを叶える手段だと結論が出たのです。

「自分の店を持つこと」が目的でもなければ目標でもありません。あくまでそれはミッション②を遂行するための手段であって通過点なのです。

もちろん、「自分の店なんて持ちたくねぇな」という感情があったとしたら、たとえ己のミッションを遂行する最善策だとしてもやるべきではありません。

幸い僕は自分の城を持ちたいという思いがずっと前から朧げにあったので、そこは全く問題ありませんでした。
別の機会に話しますがリスクに対する考え方も普通の人とはちょっと違うので大きな問題にはなりませんでした。

そして何より、僕という人間が「開業」という偉業を成し遂げたとしたら、その事実自体が多くの人に希望を与えられるストーリーになるんじゃないかと思いました。

雑誌に取り上げられる有名店でエリート職人路線をまっすぐ進んできた有名シェフが独立開業するだけなら、「そんなのお前だから出来たんだろ!」と何の参考にもならないでしょう。

しかし、僕はそうではありません。

YouTubeの動画しか見ていない人からしたら「こんなに製パン理論に強い人なんだから、パン屋の一つや二つくらい開業できて当たり前だろ!」と思うかもしれません。

あるいは、「ベーカリーの新店開業に何度か携わってきてるんでしょ?開業なんて朝飯前じゃん!」とも思われるかもしれません。

ですが実際には上で述べた通り、経歴は傷だらけで、心と体を何度も壊して挫折の繰り返しです。
レールなんて無い、オフロードの人生を無理やりボロボロになりながら走り続けています。というか、途中で走るのをやめたりもしています(笑)

もっと若い頃にさかのぼれば、初めてのアルバイトは1日で辞めたし、時差ぼけがキツくてバイト2連続で寝坊してそのままバックれちゃったり…

そんな人間でも開業が出来たという事実、そして健全に運営を続けて幸せに生きているという事実、そんな未来を作ったとしたら勇気づけられる人はかなり多いと思うのです。

自分の挫折と復活のストーリーは、誰かの復活の助けになるコンテンツにもなれると思うのです。

ここで全てが繋がって、自分の店を持つことで二つのミッションを実現できるし、二つのミッションを実現するためには自分の店を持つこと以外に方法は無いと確信しました。

そして、これらのミッションを遂行していく生き方を歩むことで、
「あの頃、体壊してよかったわぁ。」
と思えるようになるはずですし、
「あの頃、パン作り初めてよかったわぁ。あの時、パン作り辞めなくてよかったわぁ。」
と、パンの道を志した過去を肯定出来るようになると思うのです。

時間は未来から今へ流れ、過去へと去っていく

もし僕が今すべてを諦めて、安定した職業に就くことを選んだらどうなるか?

僕はフルタイムで働けない体になった時期、しばらく休養した後にリハビリがてら郵便局での短時間アルバイトを始めたのですが、例えばそこで正社員登用を目指して見事入社が決まったとします。

当然、アルバイトとは違う部署で働くことになるでしょうし、より多くの人との関わりが発生するでしょう。
その先でまたヤバい人間と共に働くことになる可能性だってゼロではありません。むしろ、変な人が多いのでその可能性は決して低くはありません。
また、安定した職業というイメージとは裏腹に、夜勤と日勤の入れ替えシフトが激しく生活習慣は不安定になります(部署や役職にもよるけど)。

安定を見込んで入社したのにまた体を壊して不安定になる、なんてリスクは容易に想像できます。

自分の本当にやりたいこともミッションもやらずにそのような道を歩んでしまったら…

きっとまた今までみたいに
「やっぱりあの時体を壊したから今もこうしてダメなんだ。パン屋でなんて働くんじゃなかった。パンなんて好きになるんじゃなかった。」
という思いに苛まれて、己の過去の全てを呪うことになるでしょう。

というか、自分の無意識と向き合っていく過程で、そうなって放心している自分の姿が鮮明にイメージとして浮かんだのです。
「こうなったら多分、いよいよ自分死ぬんだろうな」
とハッキリと感じました。
だって、心が死んでるように見えましたから。

過去に起こった出来事は変えられませんが、その解釈を変えることは今後の進む生き方次第で如何様にも変えられます。

最後に死ぬ間際に過去を振り返った時に、良い解釈が出来るようになっていれば、心地よく死ぬことが出来そうです。
なんなら、僕は今こうして己のミッションを遂行する道を確かに歩んでいますから、最悪明日死んでも後悔はしないと思います。

「もっと早くに開業を決断していればよかった…!」
とも思わないでしょう。
なぜなら今のミッションに辿り着くためには必要不可欠な過程だったから。
全ては必然とすら思えますし、なんだか何かに導かれているようにも感じます。

長くなりましたが以上が、僕が開業を決断するに至った過程のごく一部です。

ホントにここでは説明しきれないほどの経験や葛藤など、これまでの人生全てが決断の要因となっています。
なので到底すべてを伝えきれたとは思えませんが、何か少しでも伝わるものがあれば幸いです。

(余談)僕は「死に方」にこだわっている?

余談ですが、僕は「死に方」にこだわっているのかもしれません。
せめて死ぬときくらいは「なんだかんだ良かったわぁ」と思いながら死にたいんだと思います。
きっとONE PIECEのゴールドロジャーみたいに笑って死にたいんです。

開業するとなると、一番最悪のケースが返済が大量に残っている状態で自分が事故って死んで周りに迷惑をかけてしまうことです。
流石にこのケースを踏んでしまったら、「あぁ返済がぁ~、みんな本当にごめんなさい!」と罪悪感が永遠と続く地獄に落ちてしまいそうです。

そうならないように、死亡保険には入っておくのがいいかなって思ってます(笑)

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