パン作り研究家の僕がグルテンフリーパンを研究しない理由

小麦アレルギーの人にとって、食事の選択肢が増える事は非常に価値ある事だと思います。

そして世の中に出回っている加工食品の多くは小麦が原料として使われているケースが多い。

だからこそ、グルテンフリー食を実践している人にとってグルテンフリー食品は貴重であるということは理解しています。

ですが、僕はグルテンフリーパンの研究を(一時期やってはいたけれど)基本的にはやっていませんし、メインでやろうとも思っていません。

「グルテンフリーパンの研究をしなさい」
と命令的なコメントを頂くことが稀にあるのですが、それでもしません。

それは小麦アレルギー患者のことを見捨てているからではありません。
むしろ、思い込みだったとはいえ自分自身も小麦アレルギー疑惑でパンが食べられなかった時期を経験しているので、小麦抜き生活を実践する事がいかに努力が必要かという事ならわかっているつもりです。

では、何故その思いを経験してなお、グルテンフリーパンの研究をしないのか?

自分が本当に小麦アレルギーだったとしたら?

自分がもし本当に小麦アレルギーだったとしたらどうするのか?

今は小麦を食べても平気な体であったとしても、今後発症する可能性もゼロではありません。

そこまでの可能性を考慮して尚、僕は小麦アレルギーだったとしてもグルテンフリーパンの研究はしないと思います。

その理由は大きく分けて2つです。

単純に美味しく無い

「美味しく無いんじゃなくて、美味しく作れてないだけだよ!」
と言いたくなる人もいるでしょう。

ですが、美味しいと思うかどうかは人それぞれでハードルの高さは異なります。

僕は何十年も小麦パンを愛してきた人間ですし、比較実験での食べ比べを通してパンを味わう舌がかなり厳しめな審査員に育っています。

故に「パン」という食品に対して、その合格点を非常に高く設定しています。

僕の個人的な意見ですが、グルテンフリーパンは小麦パンとは全くの別物であり、「パン」として食べる事は出来ない食品なのです。

わかりやすい例えで言うと、皆さんはクッキーとお煎餅を同じ「クッキー」と捉えて食べる事は出来ますか?

出来ませんよね?
クッキーはクッキーですし、お煎餅はお煎餅です。

僕にとっては小麦パンとグルテンフリーパンの関係性がそれと同じなのです。

「パンはパンでも食べられないフライパン」とまでは言いませんが、グルテンフリーパンという小麦パンとは別物の食品を好んで食べようと思えないのです。

別に嫌いでもないんです。

「小麦アレルギーになったけど、どうしてもパンが食べたい!仕方ないから米粉パンで我慢するか」
と言った具合に我慢が前提の食事をするのが嫌なのです。

どうせなら食事は楽しみたい。
僕が考える「パン」という食品の良さは、小麦独特のタンパク質やでんぷんなどあらゆる成分ゆえのもの。
現状、全く同じように再現できる魔法の食材は無い。サイリウムだってあんなの大量の吸水能力を与えるだけで、グルテンの代わりが務まっているわけでは無い。

これが一つめの理由です。

そもそもパンである必要性がない

僕は生まれてこの道30年、ずっと白米の美味しさを理解できませんでした。

たまにテレビとかで
「白米だけで何杯も食べられるほど白米が好きです!」
と言っている人を見かけますが、もはや意味がわからなかったです。
それくらい、自分の趣向はパン一筋でした。

ですが、先日知り合いでパン屋を営む人から地元の新米を送ってくださり、
「どうせ自分には米の違いなんてわからんだろうなぁ」
と思いながら食べたことで世界観が変わりました。

なんとなく確かに味は違って美味しい。
けど、具体的に何がどう凄いとは言えない。
騒ぐほどでも無い。
なんて思いながらも気付けば箸が進む進む。
まさかの白米だけで一杯余裕で食べられたのです。

こんな経験は初めてです。
「あぁ、本当に美味い米ってのは、自然と箸が進むものなんだなぁ」
と強烈な感動を得ました。

そんな経験をしてもなお、グルテンフリーパンの研究に踏み込まないのには理由があります。

それは、米は粒食こそ米本来の美味しさを最も表現できるものだと思っているから。

そもそもなぜ今の時代、米は粒食が主流で小麦は逆に粉食が主流なのか?

それは、米は粒のままで美味しかったから。
小麦は粒のままだと美味しくなかったから。

小麦には真ん中に溝があり、そこの部分の殻を取り除く事が難しいのです。
故に、精製しても外皮が残ってしまう。
一度粉々にしてしまった方が、食用部分と非食用部分に分けられて、結果美味しい食べ方にたどり着くからです。

米は粒のままで一番美味しいのですから、粒のまま食べる事が素材本来の良さを体感できるのです。

わざわざ製粉して弄り倒す必要性が無いのです。

僕がもし小麦アレルギーになったとしたら、わざわざ小麦パンの下位互換のようなグルテンフリーパンで「我慢」するより、普通に美味しいお米を食べたいのです。

美味しいお米の存在を知ったからこそ、そう思える。

日本には美味しい国産小麦もありますが、美味しいお米もあるんです。
なのに30年生きてきた僕ですら、30年間美味しいお米の存在に気付けなかったんです。

ということは、きっと他にも本当に美味しいお米に出会ったことのないパン好きさんは沢山いるんじゃないか?

そんな人々に無理にグルテンフリーパンを食べさせても、余計に米粉パンのイメージを悪くするだけです。

それよりも、美味しいお米の本来の良さをそのまま伝えた方がよっぽど良いんじゃないか?
僕の考えはここに行きつきました。

だからグルテンフリーパンの研究は今のところするつもりは無いのです。

その代わり、パン屋でおにぎり作りたい。
「30年間パン一筋だったパン研究家が人生初めてパンより美味いと思えた米」と、その米で作ったおにぎりを売って、
「パンも美味いけど、実はお米もこんなに美味いんだよ」
って言いたい。

と、ここまで言っておいて言うのも変ですが、
「君はまだ、本当のグルテンフリーパンの良さを知らない」
と言われるかもしれない。

もし、僕の予想を遥かに超えた美味しいグルテンフリーパンを作る技術が誕生したのであれば、その時は是非とも食べさせてほしい。

その時はここで述べたことと180°考えが変わって、
「ちょっと明日からグルテンフリーパンの研究始めます」
とか言い出すかもしれない。
それこそ僕の価値観を変えるほどの感動を与えられる物なら、ですけどね。わかんないけど。

この世の中は諸行無常ですから、僕の体も脳細胞も諸行無常、半年後には新品の細胞で構成されているのですから、「自分の体も考えも変わらない」なんて断言することの方が摂理に反しているのです。

「変わらない考え」を持てるというのは、ある種人間という特殊な生物故の異常さだとすら思います。そこが人間の強さでもある。

例外的に好きなグルテンフリー食品

そんな僕でも例外として、米粉100%で作るパウンドケーキやオイルケーキは好きです。

生地の質感的には米粉パンと対して変わらないし、作り方も「混ぜ」と「焼く」の間に発酵があるか無いかの違いでしかありません。

膨らみを得る手段もイーストによる呼吸・発酵か、ベーキングパウダーによる化学反応か。

グルテンフリーの米粉パンって、多めのイーストで短時間発酵させて焼くのがオーソドックスなので、小麦パン(中でも特にフランスパンなど)のような「芳醇な発酵風味」とは程遠いのです。

ただただ、イーストの臭いって感じ。
イーストが生成したアルコール分の臭いって感じ。
極めて単調な風味です。

「だったらそもそもイーストで発酵させる必要無くね?膨らませることだけが目的ならベーキングパウダーで良いじゃん」

そう思ってベーキングパウダーを使用した米粉パンならぬ米粉ケーキを何度も作っていた時期がありました。

食感が全然違うんですよね、イーストでの膨らみとベーキングパウダーでの膨らみでは。

ただ、僕はベーキングパウダーで膨らませた米粉オイルケーキは普通に美味しいと思えた。

それこそ、小麦である必要性も無いな、と思えた。

黒ゴマやココアなどの風味材料を混ぜ込めば、それはもう小麦粉なのか米粉なのか、味だけではよくわからない。

パンと違ってケーキにおいては小麦のグルテンはなるべく形成させないように作るから、混ぜ方にも神経を使う。
米粉はいくら混ぜてもグルテンが形成されないから、とにかくしっかり混ぜることだけ考えれば良い。超簡単。

米粉パンよりそっちの美味しさを広めた方が良いんじゃないかなって思うほどです。

プロテイン混ぜて作ったこともあったな。
タンパク質も手軽に取れて、最高じゃん!

そんな感じで、僕はグルテンフリーのケーキ類に関しては例外的に好きです。

とはいえ、あまりにも簡単すぎるから、わざわざ僕がレシピを研究して広める必要も無い気がする。
僕はあくまで、本当に良いと思った素材の良さを活かして輝かせてあげたいだけ。それがミッションであり、それだけが己のツトメである。
余計な事はしない。それが禅的な生き方だと思う。

ここで述べたことはあくまで僕個人の価値観であって、皆様に強要するものではありませんし、強要しているつもりもありません。
ご理解ください。

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