それ、特技じゃなくてただの適応
まあまあなショックだったので共有しておくことにしました。
インナーチャイルドの傷を生み出すきっかけになった、幼少期の体験を持つ大人(アダルトチルドレン)には特徴がある。
・人の顔色を見るのが得意
・機嫌の良し悪しや感情の変化がよくわかる
・傾聴(話を聞く・あいづち)が上手
・相手のニーズを読むのが得意
・一対一の会話は得意だけど、4人以上はストレス
これらは、わたしが仕事をするうえで実際にとても役に立っている自分の長所かつ特技だと思っていて、人からもよく褒められる部分だ。
とくに人の感情の機微や要望が手に取るようにわかるので、喜ばれることも多いしその場にとって適切なふるまいができる。
一対一で話をじっくり聞くことができるし、相手はとても満足してくれる。
HSPで感性が敏感だから人の感情に共感したり、汲み取りやすいのもあるだろうし、意識せず自然にやってしまう程度のことで感謝されるのは、この気質と長所のおかげだと思っていた。
しかし
これは幼少期に、親や身近な大人の顔色を伺いつづけ、その中で生き残るために一生懸命その場に適切なふるまいをしようと適応しつづけたことによる
子ども時代の自分の悲しい努力のおかげで身についた能力なのだ。
一対一が得意なのに、4人以上になるとしんどいのも、相手が一人なら反応を合わせて相手に適した対応をすることができるけど、4人以上になるとすべての人や全員が心地良くなる場にしようと、とんでもなく気を使うししんどいからだ。(というか、すべての人に合わせるとかそんなことは不可能)
つまりわたしたちのようなインナーチャイルドをもつ人たちは、相手と健全なコミュニケーションを取れているというよりは、ただ無意識に相手に合わせようとしているだけということの現れなのである。
自分の意見・考えをお互いに言って関係性を作るというよりは、適切なふるまいというのがなんなのか、いつも相手に合わせながら考えていて、相手の反応を見ながら自分の反応を決める、みたいなやり方で人と接していることになる。
うわあーーこれだーーー
完全にこれだ。
思い当たることがあり過ぎて、文字どおり傷に塩を塗り込むような痛さを感じる。
たしかに、今の、おかしくなかったかな?とか
変に思われなかったかな?とか
いつも思ってた。
適切であること、
普通であること、
喜ばれること、
変に思われないこと、
それがわたしのいつも注目してきたポイントだった。
そんなの、わざわざ考えなくても疲れるに決まっている。
インナーチャイルド関連の書籍を読んだり、実際にインナーチャイルドを克服した人の発信を見ていて、
え?これって長所じゃなかったんだ
生き残るための適応だったんだ…
と、愕然とした。
なかなかの衝撃だった。
それならわたしは、「わたし」という人格としての長所って、いったいどこにあるんだろう。
その「適応」するまえの自分って、自分らしさって、どんなだったんだろう。
適応した後の自分も、自分なのだろうか。
いろんな疑問が湧いてはいるが、自分を知って理解することは、自分を大切にするうえでとても大事で、その環境で生きてきた自分だからこそ、できるようになったこともある。
だからなにひとつ否定しないでいたいと思う。
HSPを調べているときも思ったのだが、生きづらさがHSPのせいだと思っている人の中で、実はかなりの割合でHSPではなくインナーチャイルドが原因であることはよくある。
敏感なだけでは感じない種類の生きづらさも、ごっちゃにして考えてしまう人がとても多いそうだ。
HSPはある意味「流行」になった時期があって、一気に広まったしセンセーショナルだったので、生きづらさをかかえた人たちがまるで最適解を見つけたかのように、HSPの定義にすがったのだと思っている。
わたしは正直、自分はHSPではあるがHSPに括って発信している人の生きづらさについて、あまり共感できないことが多くて、いわゆるXとかでもよくみる「HSP界隈」みたいなのをナナメに見ている節があった。
HSPは本当は才能があってすごくて、それ以外の一般人とは違うんだ、というようなHSP界隈独特の空気も、ひとくくりにされる画一的なカテゴライズも、わたしはわたしなんだからそんな簡単に決めつけるなよみたいなめんどくささ反発もあり、なんだか合わなかったのもあるけれど。(これは余談)
HSS型だから一般的なHSPの人の感覚がしっくりこないのかな?同じ気質と言っても共感できることもあればないこともあるし、別の人間なんだから人それぞれじゃん、といつも思っていたが
インナーチャイルドについて知ってからは、うわっそのまんまだ、これがカギだったのか…とわかることが多くて、自分の生きづらさの核という答えにようやくたどりついた気がしている。