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言いたいことは、言わなきゃなにも伝わらない


セルフラブ(自分を信頼する・愛する)を地道にやっていると、こんなこと本当に意味があるんかな、と思ったり、自分を好きになれたかとか、自信が持てたかなんていまいち実感が湧かないものだと思っていた。


たとえば今日のごはんは何が食べたいかを真剣に考えるとか、


「今何を感じたか?」

「どう思ったか?」


をノートに書き続けたり、頻繁に自分に問いかけすることは、地味すぎてその効果がなかなかわからない。


自分が変わったのか変わらないのか、わからないまま自分と向き合い続ける作業。


でもわたしはかれこれ年明けから、ほんのささいなことだとしてもずっとセルフラブをつづけていて、その間にもいろんなことが起こったが、今けっこうその真価を感じ始めている。



わかりやすいのは


ん?いつもとちがうな


と思う時だ。


ひとりでいてもあんまりわからないけど、人と接する時にすごくわかる。


あれ?この人こんな優しいこと言う人だっけ

とか、


こんなにわたしのこと大事にしてもらえるんだ

とか。



周りの人の自分に対する接し方が急に変わったように思えるし、冷たい人だと思ってたのにすごいいい人じゃん、みたいなこともある。


以前のクセで自分をないがしろにしそうになっても



相手が自分よりも自分を尊重してくれて、そんなに大事にしてもらっていいんだ、そんなに許されていいんだ、と感動したりする。


とにかく、なんか世界がすごく自分に優しくなった気がするのだ。


これ、最近すごくびっくりするのでなんでだろうと考えていたら、



相手が変わったんじゃなく自分の見方が変わったんだ
と気がついた。




なんなら最初からその人はそういう人だったし、ずっとわたしを大事にしてくれていたんだけど、自分で自分を大事にできていなかった時は、わたしがそれを受け取れていなかっただけなのだ。もっといえば、気づくことができていなかった。


愛情って、「探す」んじゃなくて「気づくもの」なんだなと思った。

相手は愛情を送れる体制が整っているのに、相談しなかったり、思ってることを伝えなかったりして「どうせこの人はわかってくれない人だ」と思っていると「信じない」という行為で相手を拒否していることになり、その人の愛情に気づくことができないのだ。


これを以前のわたしはずっとやっていたのである。

「どうせ言ってもわかってもらえない」は、わたしがいちばんよく使う合言葉だった。


あなたを信じていませんよ、という態度は「閉ざしている」「シャットアウト」の態度として相手に伝わって、ますます受け取りにくくする。


人間関係は相互作用なので、わたしの態度は写し鏡のように相手にバタフライエフェクトを起こしていくし、そんな状態で大事にしてもらえる方が不思議だ。


相手を大事にするつもりでよくやってしまう「自分さえ我慢すれば丸くおさまる」なんてものもとんでもなく逆でして


我慢する、というのは、本心を伝えない、ということだ。


相手に思っていることを伝えることは、「自分の思いをなかったことにしない」という自分への尊重になると同時に、あなたにならわかってもらえると思うから伝える、という相手への信頼が前提になって、ポジティブな関係しか生まないのでいいことしかない。



あなたが自分の思ってることを押し殺して伝えなかったり、我慢されることは気遣いを通り越して迷惑なのだ。


これは反対側からみてみるととてもよくわかることで、相手が思ってることを言ってくれないと何がして欲しいかわからなくて、見当違いなことをして怒らせてしまうときがある。


わたしは実際に仕事で、このようなタイプの人を支援することになって、自分で逆側を体験したからものすごく実感したのだが、


なにを思っているのかわからない人に対して、本当はどう思ってるんだろう?どうして欲しいのかな?とあの手この手で色々と気を回すことはとんでもなく疲れるし、本心を言ってくれないというのはこんなに疲れるもんなのか、と思った。


深読みの深読みの深読みの深読み、みたいなことをお互いにエンドレスでやり続けるのである。書いているだけで疲れる。


「忖度」「空気を読む」「気遣い」


日本人の専売特許である、思っていることを言わずに過度に協調することや、自分を押し殺して空気を優先させすぎることにわたしはもうずっと前からうんざりしてる。


思っていることを健全に言い合って、そこで生まれる協調性とは、性質が違うと思う。ひたすらお互いにいらん気を使い続けるだけのストレスの溜まる行為で、わずらわしいだけでなんの良いこともない。


素直に一言、言うだけで終わる話がえんえんと遠回りになるのだ。


しかも、今までたぶん同じようなことをしていたであろう自分はクソとんでもなくめんどくさくて、相手を疲れさせる振る舞いをしていたのだと実感したし


「思っていることを言う」というシンプルな行為は自分への思いやりでもあり、相手への思いやりなのだ。


それができるようになってきたら、相手もあなたがふだん何を考えて、何をされると腹が立って、何をしてあげたら喜んでくれるのかわかるので、疲れずに愛情をくれやすくなる。


だから、わたしがセルフラブをつづけて感じた変化は、


周りが急に優しくなったのでも、世界が変わったわけでもなく、相手を信頼して思ってることをちゃんと言うことができるようになったことで、愛情をちゃんと受け取れる体制の自分になったということなのだ。


そして相手を信頼するためにはまず自分を信頼する以外に方法がない。


セルフラブをしていてわかったことは、すべては自分から始まるので、自分が自分を愛せていないのに相手が自分を愛してくれることはありえないということだ。


「本心を言う」というのはいつでも「どう思われるんだろう」という足がすくんでしまう怖いことなんだけど、それでもなによりも「思ってることは言いたい」という自分への愛情からはじまると思う。



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