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充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【12】家族1
診断を受けたとき、病気のことは実家の家族には隠しておこうと思っていた。特に親には知られたくなかった。
色々ショックを与えると思ったからだ。
親のきょうだいに精神疾患を患った人がいた。
実家に突然帰ってくるのは良いのだが、パニックになると住んでいる遠方の家から実家まで走って帰ってきたり、意思疎通がままならなかったり、不規則行動が多かったりと色々あり、祖父母が苦労していたのを見ていたからだ。
調子が悪い時は実家に帰り、しばらく過ごしていた。私は小さいころ祖父母と同居していたので、その人が帰ってきているときは一緒にお茶を飲んだり、遊んでもらったりしていた。夜中によく楽器を演奏していたのが、寝る時に子守唄のように聞こえていた。
その人と、祖父母と一緒に出掛けたりしたこともあったが話題がほぼなく、したがって皆それほど話すわけでもなく、静かに展覧会を見て、食事をして、買い物をした。
百貨店で私が手に取ったきれいな色のニットを、そのひとは何も言わずにレジに持っていき、買ってくれた。言葉はなくとも、気持ちが伝わった。
そのひとはもういない。
事故かそうでないのかは、わからない。状況的にわかるのは、いつものように実家に帰ってくる途中だったのだろう、ということくらいだ。
仕事中に親から連絡があり、知らされた。
突然遠くへ行ってしまった子どもを前にした、祖父母の悲しみはいかばかりだっただろうか。
棺の中のその人は、ただ、眠っているようだった。
みんな現実をまったく受け入れられないまま、お通夜が終わり、告別式が終わった。
自分が精神疾患を患っているとわかった時、その人のことを思い出した。
ひょっとして遺伝かな?と思った。
自分もそのうちあんな風になるのかな?と考えると、恐怖に襲われた。
今は大丈夫だけど(※休職なので大丈夫とは言えない)どんどんひどくなって、自分が自分じゃなくなって、あんな風に突然いなくなってしまうんだろうか。と不安で仕方が無かった。
自分の話に戻る。
家族もその人からの遺伝を考えるだろうから病気のことは絶対に言いたくないが、書類などを探しに実家に帰る必要があった。
自立支援の申請をするためだ。
診察と薬の費用が3割負担から1割負担に軽減される、大事な制度だ。
早く手続きをしたくて、適当な言い訳を考えながら実家に帰った。