充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【9】休職中3
少しずつ起きていられる時間が長くなってきたが、本をずっと読み続けるなどは困難だった。
何かしていないと不安で仕方がないので、動画をずっと観ていた。
情報が多いものは受け付けず、寝台特急で旅行するナレーションのない動画や、グルメ動画を観ていた。
一番観ていたのは大食い系だ。ラーメン5キロやパスタ12人前など、山と積まれた食べ物をすごい勢いで食べるのを見て、注意を逸らしたり(行動療法)ストレスを逃がしたりしていたのかもしれない。
本当に、ずっとずっと観ていた。ふと思考が途切れた隙に飛び込んでくる不安や希死念慮、自責に囚われるのが嫌だった。
規則的な生活をするようにと医者から言われていたので、朝起きる時間と食事の時間、薬を飲む時間、寝る時間はなるべく一定にするようにしていた。
睡眠導入剤を飲み始めてから寝つきはもちろん良くなったので、ありがたかった。休職前はとにかく寝られず、薬も飲み始めは早朝に目覚めてしまっていたが、薬の量を増やしてくれたので8時間ほど寝られるようになっていた。
少しずつ、少しずつ元気になっているような気がした。
3ヶ月ほど休んで、「そろそろいけるんじゃないか?」と思ったが、診断書がまた出たのでさらに1ヶ月休むことになった。
ものすごく体調が悪かったわけだから、元気になったと比較する対象を間違えていたのかもしれない。
散歩などしてみたら、と言われたが結局あまり行かなかった。すっかり引き込もりが身についていたのだ。元気な時でも毎日散歩とか行ってなかったが。
振り返ると、この頃は「何もしなければ元気」という感じだった。仕事を一切していなかったのだから。
起きて、のんびり過ごして、食べて、寝るだけなら。
このころ薬が1つ変更になったが、飲み始めたら途端に体調が悪くなった。微熱、吐き気、めまいなどの副作用がひどく、起きていられなかった。
そのうち慣れるのでは、と我慢して飲んでいたのだが次の診察までもたず、10日ほどでギブアップしてまた薬を変えてもらった。
けろりと副作用が治まり、平常に戻った。
仙崎学先生の「うつ病九段」を読んで、うつによる入院から見事復帰を果たす経験談から元気をもらっていた。「治るよ、絶対治る」という文中の言葉に涙をこぼしていた。
しかし仙崎先生がかかったのは、双極ではなくうつ病だ。完治が難しいという双極性障害の特性と再発率の高さが、ぴんと来ていなかった。
病気になって以来、ひどくなったのは暗所恐怖症だ。
私はもともと暗いところが大の苦手だ。夜寝る時は豆電球では寝ることができず、かなり明るめにしたままでないと寝られない。
テーマパークなどで暗闇を通るところではさらに目をつぶってしまう。
まったく意味はないが、「光がない」=恐怖なのだと思う。
休職して数か月経つと、今まで大丈夫だった部屋の物陰などが恐ろしいと感じるようになってきた。何かいるかもしれない。何度見てもいないのだが、怖くて仕方が無かった。
鏡も何かおかしなものが映っているのでは、と見るのが怖くなった。ドアや窓の向こうに誰かいるんじゃないか、そんな妄想が絶えず頭を支配していた。
ドアや窓の鍵が閉まっているか何度も何度も確認したり、家にいてもまったく落ち着かなかった。ほんの少しの声や音にびっくりしていた。
薬が効いている途中なのか、何かの副作用なのか、特に薬は関係ないのか。医者に相談しても特に反応が無かったのでわからないが、家に居るのに落ち着かない状態はなかなかに辛かった。
いつ治まったのかは覚えていないが、少しずつ底からは抜けていったように思う。